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2015年10月2日

『舞台は夢』観劇レポート(清野至)

舞台は夢にもっとも近い現実

9月27日、『舞台は夢』を観てきました。
 私は1988年の生まれで、物心ついた時から映像作品は身近なものでした。幼いころは、父親が買ってくれたディズニーの短編アニメを繰り返し何度も観た記憶があります。この時代は、映画、アニメ、ネット動画等々、物語に触れる媒体は色々な物があります。そんな時代に舞台がはたして何が出来るのかなと、ふと思いました。単純に良い物語に触れたいだけなら、舞台である必要は必ずしもないんじゃないか。DVDなら再生ボタンを押すだけでいいし、ネットならどこでも見られます。そっちの方が断然便利です。
 少なくとも現代では大多数の人にとって、舞台より映画やテレビドラマの方が物語に触れる媒体として、一般的で慣れ親しんだものだと思います。
 『舞台は夢』では映像がとても効果的に使われていました。俳優のモノローグ(いわゆる一人で聴衆に語り掛ける長い、心情を吐露するセリフ)をビデオカメラで撮影し、それを背後の大きなスクリーンに映写するのです。スクリーンには大きく俳優の表情が映しだされ、小さな声で語るセリフもマイクが拾うことによって観客に届きます。映画みたいでした。俳優が訥々と語る様はまるでドキュメンタリー映画のようで、ある意味では舞台より慣れ親しんだ表現でした。私には、リーズの恋心、ジェロントの怒り、クランドールの激情、それらが心にすっと入ってきました。
 しかし巨大なスクリーンから少し目線を下にずらすと、そこには俳優と俳優を撮影するカメラマンとガンマイクを構える音声さんがいるのです。スクリーンを見ると慣れしたしんだ映像表現で俳優が熱演しているので感動できるのに、目線をずらすとそれを撮影している現場がある。スクリーンにはたしかに物語という夢があるのに、舞台上にはそれを撮影している生々しい現実がある。少し困惑しました。なぜこんな生々しい現実を見せるのだろう。物語への感情移入を阻害しているのではないかと。映画を観て「この時代劇のセットってホントはスタジオなんだよな」とか「カメラに映ってないところでスタッフは居眠りでもしてるんだろうな」とか普通は思いません。映画がみせる夢物語に没頭しているとき、私達はそんな現実は考えません。
『舞台は夢』は夢と現実を同時に見せてきました。なぜ、夢だけを見せてくれないのだろう。

終盤のどんでん返しで、父親は息子が俳優になったことを知ります。息子に起こった悲劇は実は彼の出演している芝居の一場面だったのです。そうして息子が幸せになったことを知った父親は魔法使いに感謝して劇場を去ります。
物語の結末を知って、腑に落ちました。この話は、父親が息子の劇を観る話です。父親は舞台を観る観客です。
舞台が映画やアニメ、小説とも決定的に違うことは、目の前で生きた俳優が物語を演じているという点です。他のどんな媒体も、完成した時点で既に物語をつくる作業は終わっています。一方舞台では私たち観客の数メートル先で、俳優達が今まさに夢を形作っているという現実があります。確かに映画の方が、荒唐無稽な素晴らしい夢物語を描くことに向いています。技術は進歩していますし、今ではCGでどんな未来や過去も、空想の生物も描けます。かっこいいアクションだってお手の物です。でもそれらは撮影し終わった過去のものです。映画の夢はスクリーンの中にしかなく、触れることも出来ません。
舞台には、目の前で、今まさに、俳優達が夢を形作っているという現実がある。観客はそれを目撃できる。そこに大きな感動が生まれるのだと思います。
俳優ってすごいな。舞台って素敵だな。『舞台は夢』を見て、そう思いました。是非夢を形作る俳優達を観ていただきたいです。

IMAG0013_2清野至(きよの・いたる)
1988.2.9生 静岡県浜松市出身
劇団静火所属/演劇ユニット寝る子は育つ主宰
2013年より、劇団静火に所属し第6回公演『三人姉妹』より同劇団で役者として活動中。次回、第8回公演『マクベス』出演予定。



SPAC 秋→春のシーズン#1
『舞台は夢』
公演日時:9月23日(水・祝)、26日(日)15:00~
     9月27日(日)14:00~
     10月10日(土)、11日(日)14:00~
公演会場:静岡芸術劇場