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2015年10月27日

『室内』観劇レポート(泰井良)

この作品を「静寂」という言葉で語るのは、もはや月並みかもしれない。けれども、「静寂」という言葉で始める以外に術はない。この作品は始まりから終わりまで、「静寂」が舞台と客席とを支配しているからである。
バロック演劇である『舞台は夢』には、その特徴である光と影のコントラストが見られる。一方、この作品の空間には、光と影の狭間にあるとされる「幽玄」が充溢している。この「幽玄」は、とりわけ、日本の古典芸能である「能」の真髄とも言われ、「ユーゲニズム(幽玄主義)」として、広く世界に知られている。谷崎潤一郎は、『陰翳礼賛』において、日本人の美意識は「陰」や「ほの暗さ」を条件に入れて発達してきたものであり、明るさよりもかげりを、光よりも闇との調和を重視してきたと分析した。戦後、アメリカ式の蛍光灯による照明が、生活空間を占有するようになるまで、かつて日本人の生活は、間接照明によって「陰」を巧みに取り入れてきた。この『室内』という作品に向き合う時、我々は、まず現代の照明や照度から隔絶され、かつて日本人が親しんだ「幽玄」の世界に引き入れられる。ここでは、普段我々が最も頼りにしている視覚に依存することは難しく、視覚以外の他の感覚器官である聴覚や嗅覚が少しずつ鋭敏化していくのを感じる。これは、他のメーテルリンクの戯曲『盲点たち』にも通じることである。つまり、この作品は、我々の日常生活ではほとんど用いない感覚を刺激し、より鋭敏なものとするのである。
この物語は、人間の生と死が主なテーマであり、それゆえ舞台の上は、彼岸の世界ともいえる。舞台の上に敷き詰められた砂は、あたかも砂浜のようであり、この場所から死者の霊魂が彼岸に向けて旅立つかのようなイメージを観者に与える。ここで繰り広げられるこの世のものとは思えない動きと一定のリズムを刻んで発せられるオートマティックな台詞。登場人物の動きは、重心を一定に保ちながらゆっくり移動し、その動きは能役者の動きのように「動」を孕んだ「静」といえる。
そして、時間という観点からしても、ここに流れているのは、時計によって刻まれる時間ではなく、人々の意識において感じ取られる時間、すなわち「内的時間・意識」とも言えるものである。これは、自然とともに生活を営んできて日本人ならではの時間意識といってもよい。
このように『室内』は、我々日本人が古くから育んできた「美意識」に包まれており、そのため時間の経過とともにしだいに違和感を覚えなくなる。我々は、この作品によって、忘れかけている感覚や意識を呼び覚ますことができるのではないだろうか。

執筆クルー 泰井良プロフィール写真泰井良(たいい・りょう)
1972.9.5、神戸市生まれ
関西大学美学美術史専攻を経て、静岡県立美術館学芸員。
現在、静岡県立美術館上席学芸員、俳優。
(一財)地域創造公立美術館活性化事業企画検討委員、全国美術館会議地域美術研究部会幹事など。展覧会企画のほか、市内劇団でも活動中。