今年4月から制作部に加わった新メンバーが、未だかつてない状況のなかでどのような日々を過ごし、何を感じていたのかを自身の言葉で綴ってくれました。
まだ劇場でお会いすることはできませんが、いつもSPACの活動を支えてくださる皆様へ「はじめまして」のご挨拶ブログです。
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「なぜ二日連続で駅へと向かっているのか?」そんな疑問が私の頭の上を旋回していました。
通勤のためではありません。むしろ通勤しないために私は駅に向かっていたのです。目的は前日に購入した定期券の払い戻し、理由は電車に乗らなくなってしまったから。
私、鈴木達巳はSPAC制作部の新人として、4月1日より東静岡にある静岡芸術劇場に勤務する予定でした。
しかし、勢い勇んで通勤をしようとする私の出鼻を挫く、二週間の在宅勤務。4月の新型コロナウィルスの状況を考えれば当然の処置ではありますが、それでも在宅勤務の報は青天の霹靂のように感じました。それは私が今回のコロナ禍の当事者としての自覚が少し薄かったからではないかと思います。
駅に定期券を購入し、「よし、やるぞ!」という気持ちでいた帰り道と、定期券の払戻しをしに行った駅からの帰り道とでは景色は違って見え、商店街のアーチを抜けて見た夕日は、大袈裟ではなく夕日に似たなにか別のものを見たような感触を私に与えました。
4月1日より始まったリモートワークによる研修。ただでさえSPACの新しい仕事に困惑する中、初めてのリモートでの研修で、困惑は二乗になります。
特に会社や団体といった各組織が持つ独自の雰囲気を嗅ぎ取れないことが個人的には心苦しく感じました。なんらかの組織に属するのであれば、その組織の色に自然と、時に自ら染まっていく部分があるかと思いますが、その浸食の進行度合いが牛歩の様で、居心地の悪さを感じました。これは普段職場に勤務している方々が、リモートワークに切り替えたことで生じた、調子が狂うとは違う悩みだったような気がします。
それでも徐々にSPACの一員としての自覚が芽生え始めた新緑の4月末、「くものうえ⇅せかい演劇祭」が開幕します。しかしここで困惑は三乗に。初参加の演劇祭が初のオンライン開催、「初」の重なりによって生まれた困惑の液体は、私の許容範囲をゆうに超えていたかと思います。
▲「くものうえ⇅せかい演劇祭」開幕メッセージより
▲コア企画の初日に配信された、ワジディ・ムアワッドと宮城聰の対談
私はこの「くものうえ⇅せかい演劇祭」の期間中、空中ブランコを同じサーカスの団員として見上げているような、そんなかたちで参加していたように思います。
この新型コロナウイルスの状況下で、どうやって演劇祭を実施するか、オンラインでどのようなかたちで観客を楽しませるか、滞りのない運営とはなにか、ということにSPAC一同、限られた時間の中で葛藤し苦心し成立へと導いていく姿はとても躍動的で輝かしいものがあり、それを観客という全くの第三者ではなく、SPACの人間として内側のアングルで捉えていた自分は演劇祭の期間中、制作の仕事をしつつも、どこかプレイヤーにはなり切れず、見上げるようなかたちでお祭りに参加しており、私は寂しさと歯痒さがモザイク状に広がっていく心境で閉幕式の映像を見届けました。
▲「くものうえ⇅せかい演劇祭」閉幕メッセージのエンドロールより
6月現在、演劇祭閉幕後もSPACは走り続けています。「でんわde名作劇場」や「教科書朗読」など、この新型コロナウイルスの状況下で演劇をどうやって届けていくのか? を課題に、新規事業が複数動いており、私もいくつかのプロジェクトに参加しています。
複数のプロジェクトに参加している現在、演劇を届けるという目的は同じでも、ターゲットや理由によって手段や方法がそれぞれ違い、届けるということの難しさに実感しつつ、同時にやりがいも感じております。
ただ私は、どの新規事業に取り組むにしても共通して、「演劇とはなにか?」ということを折りに触れ考えることが多くなりました、とても難しい問いであり、勿論答えは未だに出ていません。
しかしSPACに所属するとなった時、初めての課題としては最適だとも思います。原点であり根幹の問いでありながら、どこかで答えを既に自分は知っているような気がするからです。自分自身この状況下で演劇を欲しているから、その答えは見つけられるはず、漠然とそんな想いを抱いています。
今回の騒乱が沈静化し、劇場でお客様をお迎えする日までに、この答えは見つけられたらいいなと思い、そのために今は前を向いて仕事に精進していけたらと思います。
鈴木達巳