『夜叉ヶ池』出演者に聞く!
◆中高生鑑賞事業「SPACeSHIPげきとも!」パンフレット連動企画◆
SPACの「SPAC秋→春のシーズン」では、中高生鑑賞事業「SPACeSHIP(スペースシップ)げきとも!」を実施しています。「SPACeSHIPげきとも!」では、あらすじや作品について考えるヒントが書かれた公演パンフレットをみなさんにお渡ししています。
『夜叉ヶ池』のパンフレットには山沢学円役の奥野晃士と百合役の布施安寿香の出演者二名による対談の様子を掲載しており、今回のブログでは、このインタビューのロングバージョンを掲載します。
※一部ネタバレを含むため、内容を知りたくない方は、観劇後にお読みください。
▲百合役の布施安寿香(写真向かって右)と山沢学円役の奥野晃士(写真向かって左)
——お二人が演じる役柄について教えてください。
布施:私が演じる百合という役は、主人公の萩原晃の想い人というか、晃の人生を変えちゃった人ですね。またこの作品は妖怪も出てくる話なので、この人は本当に人間なのかな?というところがあって、人間の世界と異界との中間にいるというか、きつねが化けたみたいな、ちょっと境界線にいるような役かなと思います。
——百合を演じるうえで心がけていることはありますか?
布施:私としては百合を、ピンと張った細い糸がずっと存在しているようなイメージで演じています。それを表すために比較的抑制をして演じていますが、だからといって存在感が消えては駄目だと思っています。その辺りのバランスには十分注意していますが、細かな調整をし続けるということが、結構大変だなと思います。例えば、出張公演などで静岡芸術劇場より大きな会場で上演するときには、会場のサイズにあわせて全体的に声量を上げる必要もあります。でも、それによって変に力が入ってしまったりすると、百合という役の存在が変わってきてしまいます。
また、この役は「自分から出すもの」はすごく少ないけれども、その分「色々なものを同時に受け取っている」というふうに解釈していて、その状態でいるということが大変です。五感がすごく開いた状態だから、余計な音とかも入ってきてかき乱されたりもします。本当に舞台袖奥の音まで聞こえてきてすごく疲れるけれども、それをやらないといけない役なので、集中し続けるのが大変だな、と。
奥野:私が演じる学円は、行方不明になった晃の大学時代の親友で、今も学問の道を歩んでおり、百合との出会いも晃の捜索が本当の目的の調査旅行の途中であり、ついに晃を発見するところからお話が始まります。
晃同様、百合の美しさに惹かれながらも、学円は現実世界に踏みとどまって、お客様と一緒に夜叉ヶ池がある山の麓の村で起きる出来事の“目撃者”になっているような役所かなと思います。
——学円を演じるうえで心がけていることはありますか?
奥野:僕は『夜叉ヶ池』に出演するまで最後は死ぬ役が多かったのですが、学円はこの物語で唯一生き残る人間です。なので、「この物語が今に伝えられているのは、僕が見たからなんだよ」ということを示す役割です。もっと言ってしまえば、お客さんの視線を背負って異界に入ってきて、お客さんと一緒にことの顛末(てんまつ)を目撃してるような役なんですね。
だから、学円は異界に憧れを持っていながらも、晃のように入り込めない。このあたりの調整を、いい塩梅(あんばい)にしたいと気を付けています。
——『夜叉ヶ池』の魅力について教えてください。
布施:宮城さんの壮大で幅広い演出が魅力ですね。晃、百合、学円の会話のシーンはちょっと能に似ていて、舞台の色も割と「黒と白」みたいな感じですが、妖怪が出てくるとすごくカラフルだったりします。音楽も、私達三人のシーンと妖怪のシーンと村人のシーンでは質感も音色も様式も全然違っていて。そういったことを全部ひっくるめて、すごく大きな世界が作られていますので、観ていて楽しいと思います。
もちろん社会情勢などの難しいことも描かれていますが、シンプルにスペクタクルとしての面白さもあって、これだけ間口が広い作品だからこそ、これまで多く再演されてきたのだと思います。
奥野:この物語の魅力の一つとして、日本文化に根差していることも大きいと思いますね。
『鬼滅の刃』と同じく大正時代が舞台ですが、文明社会と異界がすぐ近くにあると思われていた頃の話です。一方で近代化を目指して大日本帝国が富国強兵に突き進んでいて、個人の意思よりも国全体の利益を優先させるような価値観が勝っていた時代の中で、人を好きになる気持ちの大切さや今盛んに言われている『人権』について考えさせられたり、ある種進歩的で自由な思想が、今観てもとても新鮮に映ります。
また、泉鏡花がつむぎだす台詞が古風ですけど味わい深く、こういうセリフは他の作家の作品ではなかなか語れない………そういう作品ですね。
——『夜叉ヶ池』は2008年の初演以来再演を繰り返し、今回は7年ぶりの上演となります。初演の時に思ったことや14年間で考え方に変化があったかどうかを教えてください。
奥野:初演が行われた2008年はというと、宮城さんが芸術総監督に就任された次の年だったので、SPACにとって体制の変化が訪れていた時だったんですよね。
私がそれまでの芸術総監督だった鈴木忠志さんの様式的な演技演出を引きずっていたのもあってか、世間話をするような日常的なお芝居にはちょっとした戸惑いみたいなものがありました。
しかし何度か再演を重ねることによって、役が徐々にしっくり馴染んできて、やる度に自由になっていって、再演を重ねるたびに熟成されていったような気がしますし、今まで以上に時代がこの作品を求めているような………。そういう意味では、それだけ掘り下げがいのある作品とも言えるんじゃないでしょうか。
布施:私は初演の時に宮城さんから「この役はあなたの得意技だけでは通用しない」と言われたことをよく覚えています。若い時のように、いわゆる「思い込んでやる」だけじゃ駄目で、様式性というか、ちょっと引いた目線で演じる自分を見てコントロールできるようにならないといけない。ちょうど、この先俳優を続けていくにあたって、それができないと駄目になっていく、というタイミングでいただいた役だったので、思い入れが強いです。
初演の頃は迷いもあり、いろいろと試行錯誤もしていましたが、2012年の再演の頃から宮城さんの演出も方向転換していったこともあり、私自身、自分の成長に合わせて、キャラクターの作り方が変わっていきました。
今回は7年ぶりの再演ですので、なぜ百合を見て晃は村にとどまろうと思ったのかとか、白雪姫は自分の衝動を抑えることができたのか、といった点に対して、説得力が出る存在になりたいな、と思います。特に白雪姫から見て、人間は儚いものというか、その弱々しい命と向かい合った時に、簡単には潰せないと彼女に思わせる、そういう存在として百合を演じられたらいいな、と。まだ全然答えは出てないんですけれども、でもせっかくこれだけ再演してるのだし、自分自身もちょっとずつ成長できているはずで、理想はさらに高く掲げてやりたいな、と思っています。
——このシーンは是非見てもらいたい!という場面はありますか?
布施:やっぱりラストシーンでしょうか。静岡芸術劇場の機構とか仕掛けとかとも一体感があって、映画とは違った、劇場で見る面白さが味わえると思いますので、ぜひ劇場で見てもらいたいですね。
あと、この作品は舞台上に「鐘」が出て来ないんですよ。
奥野:「鐘」は結構ポイントですね。晃がなぜ夜叉ヶ池に踏み留まることになったかのポイントでもあるので。
布施:それが舞台上に出てこない。想像力で見せるというところが面白いなと思います。
▲クライマックスは息をのむほどに壮大で圧倒的
——中高生にむけてのメッセージをお願いします。
奥野:この作品では、明治の文明開化から50年ほど経った頃の村の様子や、現代では失われた伝説、説話、自然に対する向き合い方などが鮮やかに描かれています。今に通じる人間の本質や、現代とは全く違う価値基準をリアルに感じられるのも魅力だと思います。
布施:学校の行事として劇場に来ると、つい「真面目に見なきゃ」みたいな気持ちになったりするかもしれませんが、『夜叉ヶ池』はリラックスして、舞台の上で起きることを心から楽しんで見てもらえたらと。
奥野:ゆるキャラみたいのも出てくるしね。
布施:ひとりひとり自由な気持ちで見てもらえるといいな、と思います。
2021年11月18日 静岡芸術劇場にて
(聞き手:SPAC制作部・鈴木達巳)
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SPAC秋→春のシーズン2021-2022 #3
『夜叉ヶ池』
<静岡公演>
2022年1月22日(土)、23日(日)、29日(土)、30日(日)、2月6日(日)、12日(土)、13日(日)、19日(土)、23日(水・祝)、3月5日(土)
会場:静岡芸術劇場(グランシップ内)
各日14:00開演
日本語上演/英語字幕
演出:宮城聰
作:泉鏡花
音楽:棚川寛子
美術デザイン:深沢襟
衣裳デザイン:竹田徹
出演:奥野晃士、春日井一平、木内琴子、貴島豪、小長谷勝彦、鈴木真理子、たきいみき、武石守正、永井健二、ながいさやこ、布施安寿香、三島景太、宮城嶋遥加、山崎皓司、若宮羊市
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