ハナイチモンメ
昨日はメルラン・ニヤカム振付『ユメミルチカラ Rêve de Takase』のゲネ。
もしこれが、本物のハナイチモンメを見る最後の機会になったとしたら。
舞台を見ながら、そんなことを考えていた。
思えばニヤカムと一緒に「子供が大人に、生きる上で一番大事なことを教えられるような舞台を作る」という企画案を練ったのは、昨年7月のことだった。それから一年ちょっとの間、打ち合わせ、オーディション、稽古を重ねて、一年前には思いもよらなかったようなアイディアが次々と形になっていく。
企画の目的が達成されたかどうかは舞台を見てもらうしかないが、ちょっと奇蹟のような舞台であることは、今のうちに伝えておきたい。
今の世界で、人はしあわせに生きることができるのか。
もしこの舞台が「しあわせ」の幻影を伝えるものだとしたら、
この作品は「楽しく遊ぶ子ども」を最後に幻視する機会になるかも知れない。
だが子どもたちが過ごしたメルラン・ニヤカムとの一ヶ月は幻影ではない。
舞台が終わっても、この子どもたちは、そこで見た世界をどこかで生きつづけるのではないか。
そして、この子どもたちとこの舞台を見た人々が、この世界をあちこちで築いていき、
そこに「しあわせ」を見つけられない人たちを少しずつ誘っていってくれたりしないものだろうか。
そんな夢みたいなことを、考えてもいいような気がした。
本番は今日17:30・明日15:30の二回。お見逃しなく。
http://spac.or.jp/10_summer/yumemiru.htmlハナイチモンメ
昨日はメルラン・ニヤカム振付『ユメミルチカラ Rêve de Takase』のゲネ。
もしこれが、本物のハナイチモンメを見る最後の機会になったとしたら。
舞台を見ながら、そんなことを考えていた。
思えばニヤカムと一緒に「子供が大人に、生きる上で一番大事なことを教えられるような舞台を作る」という企画案を練ったのは、昨年7月のことだった。それから一年ちょっとの間、打ち合わせ、オーディション、稽古を重ねて、一年前には思いもよらなかったようなアイディアが次々と形になっていく。
企画の目的が達成されたかどうかは舞台を見てもらうしかないが、ちょっと奇蹟のような舞台であることは、今のうちに伝えておきたい。
今の世界で、人はしあわせに生きることができるのか。
もしこの舞台が「しあわせ」の幻影を伝えるものだとしたら、
この作品は「楽しく遊ぶ子ども」を最後に幻視する機会になるかも知れない。
だが子どもたちが過ごしたメルラン・ニヤカムとの一ヶ月は幻影ではない。
舞台が終わっても、この子どもたちは、そこで見た世界をどこかで生きつづけるのではないか。
そして、この子どもたちとこの舞台を見た人々が、この世界をあちこちで築いていき、
そこに「しあわせ」を見つけられない人たちを少しずつ誘っていってくれたりしないものだろうか。
そんな夢みたいなことを、考えてもいいような気がした。
本番は今日17:30・明日15:30の二回。お見逃しなく。
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<スパカンブログ⑮>ハナイチモンメ
SPAC文芸部 横山義志
昨日はメルラン・ニヤカム振付『ユメミルチカラ Rêve de Takase』のゲネ。
もしこれが、本物のハナイチモンメを見る最後の機会になったとしたら。
舞台を見ながら、そんなことを考えていた。
思えばニヤカムと一緒に「子供が大人に、生きる上で一番大事なことを教えられるような舞台を作る」という企画案を練ったのは、昨年7月のことだった。それから一年ちょっとの間、打ち合わせ、オーディション、稽古を重ねて、一年前には思いもよらなかったようなアイディアが次々と形になっていく。
企画の目的が達成されたかどうかは舞台を見てもらうしかないが、ちょっと奇蹟のような舞台であることは、今のうちに伝えておきたい。
今の世界で、人はしあわせに生きることができるのか。
もしこの舞台が「しあわせ」の幻影を伝えるものだとしたら、
この作品は「楽しく遊ぶ子ども」を最後に幻視する機会になるかも知れない。
だが子どもたちが過ごしたメルラン・ニヤカムとの一ヶ月は幻影ではない。
舞台が終わっても、この子どもたちは、そこで見た世界をどこかで生きつづけるのではないか。
そして、この子どもたちとこの舞台を見た人々が、この世界をあちこちで築いていき、
そこに「しあわせ」を見つけられない人たちを少しずつ誘っていってくれたりしないものだろうか。
そんな夢みたいなことを、考えてもいいような気がした。
本番は今日17:30・明日15:30の二回。お見逃しなく。