ブログ

2024年4月7日

今そこに生まれる感情を描ききる、オスターマイアー演出『かもめ』(庭山 由佳)

庭山 由佳 
(舞台制作・ドラマトゥルク・劇評)

チケット入手最難関の舞台はトーマス・オスターマイアー演出。彼はベルリンの名門劇場シャウビューネを1999年より率いるアーティスティックディレクターでもあるが、チケットが取れないのはベルリンだけの話ではない。ドイツ全土、欧州各地のフェスティバル、世界各地のツアー公演、いずれの地でも満員札止となる。オスターマイアーが世界で支持される理由、それは舞台を、時代も国も超えて客席と地続きにしてしまう力業にある。

オスターマイアーの取り上げる戯曲は、新作書き下ろしから、近現代劇、古典、そしてシャウビューネのドラマトゥルクや座付劇作家と共に古典を翻案した作品までと、かなり幅広い。だがキャスティングを見ていると、新作にはこの役者、古典にはこの役者、と適材適所の定番の座組で臨んでいるのが分かる。筆者はオスターマイアーの稽古初日に立ち会った経験があるが、ほとんどの時間は役同士の対人関係を築く作業に充てられ、ここで殊に役者各々の持つ特性が光ることとなる。欧州でよく見られる古典戯曲の演出法に、設定を現代にしたり、舞台美術を別世界に設えたりして、観客へ戯曲を近づける読替演出というものがあるのだが、オスターマイアーの力業とはこれとは全く無縁で、観客へ近づくのは俳優である。

シャウビューネの『かもめ』では、客席から手を伸ばせば俳優に触れられるほどの距離感なので尚更だ。その俳優はというと、相手役との、そして観客との化学反応を楽しむかのように自由で、時に即興演技を仕掛けてくる。オスターマイアーの舞台は、観客が変われば舞台も変わる、ゆえにリピーターが絶えず、ロングラン公演となってゆくのだ。チェーホフは近代リアリズム演劇の巨匠であり、その代表作『かもめ』は演劇史に革命を起こしたのみならず、後の演技術に大きな転換を促すことになる戯曲である。オスターマイアーの『かもめ』における、役の人物像の精緻な描写は、まさに「神は細部に宿る」という言葉がぴったりで、それこそが語りに説得力を帯びさせ、今そこに生まれる感情を描ききる。

オスターマイアーはこれまで、ドイツ国外の劇場にゲスト演出家として招聘されて『かもめ』を演出したことはあったが、本拠地シャウビューネでの新演出は機が熟すまで、つまり、理想のキャスティングが実現するまで、待ちに待った。そして初演を2023年3月に迎えたのだ。今回の来日が2024年5月であるから、初演からわずか1年という鮮度である。加えて、チェーホフの故郷が、現在の地理上のウクライナ国境から目と鼻の先のロシアということもあり、2022年以前に『かもめ』に触れたことのある方も新たなリアリティを感じられるだろう。

オスターマイアーが自身の演出においてどれだけ観客を重視しているか、それは「ふじのくに⇄せかい演劇祭2018」へ招聘された『民衆の敵』のクライマックスに顕著だった。通常の演出であれば、舞台上の役同士が台本通りのセリフを交わす政治集会のシーンなのだが、オスターマイアー演出版では、集会司会者役が客席に座る観客に対して意見を求め、その場での発言を促し、役はそこで発された内容に当意即妙で応えてゆくのである。


 
この観客重視の姿勢は、コロナ禍におけるシャウビューネの発信にも表れていた。ロックダウンにより閉鎖された欧州の劇場は、どこも舞台映像の配信に注力したが、シャウビューネは無料ながらも配信時間を欧州時刻の夜に限定することで、同じ空間を共にできない観客との時間の共有にこだわった。また、世界中の芸術監督達とオンライン会議システムにてシンポジウムを繰り広げる度、オスターマイアーは一貫して、演劇は観客ありきと説き、無観客収録に疑問を投げかけた。彼のこうしたスタンスと物作りの精神は、コロナ禍後、シャウビューネに新たな客層をもたらした。そしてまた、チケット入手が激戦となったのである。

オスターマイアーいわく、“演劇というのは、その始まりから「死」というものと直面していると思います。そして、死と向き合って、一種亡霊を鎮めると言いますか、そういう役割を果たしていると思います”。これは以前の来日時の記者会見での発言で、彼の演劇との向き合い方を端的に示している。しかも、宮城聰の具現化してきた表象と通じる気がしてならない。せかいを羽ばたき、ふじのくにへと舞い降りるこの『かもめ』、ぜひ存分に堪能してほしい。
 
庭山 由佳 NIWAYAMA Yuka
ドイツ語圏舞台芸術の、ドラマトゥルク・翻訳・字幕、制作・ツアーコーディネート、劇評。ベルリンドイツ座ドラマトゥルク部、国際交流基金、外務省、東京芸術劇場を経て、2018年よりベルリン在住。翻訳にSPAC『メフィストと呼ばれた男』(宮城聰 演出)等。
 

▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
【演劇/ベルリン・ドイツ】
『かもめ』
日時:5月3日(金・祝)14:00、4日(土・祝)13:00、5日(日・祝)13:00、6日(月・振休)13:00
会場:静岡芸術劇場
上演時間:210分(途中休憩あり)
ドイツ語上演/日本語字幕

演出:トーマス・オスターマイアー
作:アントン・チェーホフ
製作:ベルリン・シャウビューネ
https://festival-shizuoka.jp/program/the-seagull/
▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△