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2025年1月31日

カロリーヌ・ギエラ・グェンと『ラクリマ、涙 ~オートクチュールの燦めき~』

SPAC文芸部 横山義志

『ラクリマ』はパリのオートクチュールの世界を描く、一見華やかな作品です。でも、そこで焦点が当てられるのは、その舞台裏で搾取される労働者や家庭内暴力の被害を受ける女性の姿です。やがてはパリから遠く離れたインド・ムンバイの刺繍職人にもスポットライトが当てられることになります。

この作品を作った劇作家・演出家・映画監督のカロリーヌ・ギエラ・グェンは2023年、ストラスブール国立劇場の芸術監督に就任しました。アジア系の芸術監督はフランスの国立劇場では初めてで、現時点では唯一の女性でもあります。カロリーヌのお母さんはベトナム人(仏領インドシナ出身)で、お祖母さんはインド人(仏領ポンディシェリ出身)、お父さんは仏領アルジェリア生まれのユダヤ系フランス人でした。フランスの植民地支配の歴史を背負って生まれてきたといってもいいかもしれません。カロリーヌは大学で社会学と舞台芸術を学んだのち、ストラスブール国立劇場演劇学校で演出と劇作を学びました。そして2009年、劇団レ・ゾム・アプロキシマティフを設立します。この劇団名は「大まかには人間」という意味です。

最初にカロリーヌ・ギエラ・グエンの舞台を見たとき、「訛り」のあるフランス語を話す俳優が多数出演していて驚きました。そして、街ではよく聞くそんなフランス語を、劇場ではほとんど聞く機会がないことに気づかされました。フランスで公立の演劇学校に入るには、まず「正しいフランス語」を話すことが条件になります。フランスの舞台俳優はけっこう学歴社会なので、「正しいフランス語」ではないフランス語を話すプロの舞台俳優というのはほとんどいないわけです。カロリーヌは訛りのあるフランス語が好きだと言います。そんなフランス語が話せる人と、カロリーヌはいろいろな手段で出会って、演技のプロたちとそれぞれの人生のプロたちが一緒に稽古をして、作品を作ってきました。

アフリカの植民地出身者に比べると、アジアの植民地出身者は、これまでフランス社会のなかで、目立たないように振る舞ってきた傾向があります。フランスのベトナム料理店を舞台に、帰れなくなった故国の言葉で、秘められた思いを語り、歌う『サイゴン』(2017年初演)はベトナムを含む13ヶ国以上で上演されました。次の『兄弟愛 おとぎ話』(2021年初演)では、さまざまなルーツをもつ身近な人を失った人々がケアセンターに集まり、互いに支え合いながら辛い記憶に向き合っていきます。カロリーヌはつねに聞かれることのない声に耳を澄ませてきました。そのためには、これまで舞台に上がることのなかった人たちにも、舞台に上がってもらう必要があったのです。

カロリーヌはリサーチとフィクション、そして対話を大事にしています。俳優を職業としない人が、必要以上に自分を晒すことなく、安心して舞台に上がれるようにするためにはフィクションが必要です。そのフィクションを聞かれることのない声を聞かせるものにするためには、時間をかけたリサーチが必要になります。カロリーヌは何年もかけてDV被害者たちの声に耳を傾けてきました。最初はファッション業界の厳しい労働環境がもたらすDVに焦点を当てようとしていたところ、世界最高級の刺繍の技術がムンバイのムスリムの職人たちのあいだで父から子へと受け継がれ、その技術もまた過酷な労働環境のために継承者がいなくなってきていることを知り、ムンバイに旅立ったそうです。

こうして得た題材を稽古場で共有し、即興を重ねます。それを映像で記録し、夜それを見ながらテクストを練り上げていきます。今、この世界で起きている現実と向き合い、そのために一緒に作品を作る人々とも向き合う姿勢には、ティアゴ・ロドリゲスと共通するものがあります。カロリーヌは稽古場で即興をするとき、よく出演者たちに「答えは他者のうちにある」と言うそうです。「だから私は演劇をやっているのです」、とカロリーヌは付け加えます。

カロリーヌはこれまでも作品のなかでたびたび涙を扱ってきましたが、この作品は「涙の現代史三部作」の第一部だそうです。

「なぜ私たちは政治において涙が場違いなものだと考えるのでしょうか。涙を流す人はただ慰めればよいと思われているからでしょうか。
被害者とは声を上げる人、物語る人、この世界には私たちに暴力をふるってやまない場所があるということを教えてくれる人でもあるはずです。」

仕事によって命を失うような人がいない社会を作っていくためには、ふだん声を発することのない人たちの声にも耳を傾ける必要があります。劇場は昔から、そのための場所でもありました。今いよいよ、このことが大事になってきているような気がしています。
 
SHIZUOKAせかい演劇祭

『ラクリマ、涙 〜オートクチュールのきらめき〜』 

作・演出:カロリーヌ・ギエラ・グェン
製作:ストラスブール国立劇場(フランス)https://tns.fr/