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2011年10月4日

アメリカツアー日記(13)

アメリカツアー日記

SPAC文芸部 横山義志

10/2(日)

ピッツバーグ一般公演本番日。

舞台班は午前9時集合。俳優は9時45分から訓練、舞台稽古で、11時に楽屋入り。

本番前のメイク風景。

「三島さん、眉毛濃すぎですよ。」「やっぱり?ちょっとやりすぎたかなと思ったんだけど。」

そこに若宮さんがやってきて、「今日、もみあげちゃんとつながってます?」

午後2時開演で、午後1時くらいからお客さんが少しずつ来はじめる。

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今回はペンシルベニア日米協会さんが主催のためか、日本語で話しかけてきてくれる方がけっこう多い。ボランティアで受付や案内をやってくれている地元の若者も、4、5人はかなり流暢に日本語が話せて、驚く。在留邦人が非常に多いわけではないようだが、ピッツバーグ大学等の日本語専攻もけっこう優秀らしい。受付ではアメリカ人女性が着物で対応。客席に行くと、私の後ろの席ではアメリカ人の大学教授らしき方が、二千円札をひろげて、『源氏物語』の「鈴虫」の帖について話している。

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通常の劇場ではないところでの公演で、お客さんに来てもらうのは大変だっただろうが、日米協会のみなさんが精力的に宣伝をしてくれたおかげで、平土間は満員。二階席にもけっこう入っていて、お客さんは300人前後だろうか。かなり集中して見てくれていた。終演後は平土間のほとんど全員がスタンディング・オベーション。

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終演してもお客さんがなかなか帰らず、ずっと舞台のうえに残っている「乳母」役のたきいさんを見ながら、日本人の留学生らしき方が「あ、さっき動いたで!やっぱり生きとるんや」などと話している。開演前、じっとしていたたきいさんがポッキーを取り出して食べ始めたら、アメリカ人の女性がびくっとして、「オーマイガッ!」と叫んだという。今日は大成功。

終演後、ピッツバーグにあるカーネギー・メロン大学演劇科三年生のテイラーさんが宮城さんを訪ねて来た。数日前、たまたまSPAC宛に「日本で演技の研修をしたいが受け入れてくれないか」というメールを出したら、なんとそのSPACがピッツバーグに来ていた、という。なんたる偶然。カーネギー・メロン大学演劇科はブロードウェイやハリウッド、テレビ俳優などを多く輩出している。来年来日の予定だそうで、いろいろお話しし、再会を期して別れる。

すぐにバラシに入る。舞台班と俳優と、お手伝いのCAPAの学生さんとで、どんどんバラして運んでいき、6時前には舞台は空に。CAPAの学生さんが「舞台もすごかったけどバラシもすごい」と感心してくれていた。

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バラシ中の音響水村さん・青木さん。

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水村さんはふだんラテン音楽などをやっているが、宮城作品は音楽の場合とかなり近いとのこと。実際、楽器の音など、かなり細かい調整が要求される。今年の演劇祭の『ヒロシマ・モナムール』は非常に繊細な音響空間を要求する作品で、フランスでは主演のヴァレリー・ラングさんが納得のいく音が作れず、音響さんが3回代えられたというが、水村さんが仕込みを担当して、ヴァレリーさんから「こんな技術を持った音響さんに出会ったのははじめて。フランスでの再演にも絶対ついてきてほしい」と言われている。そのときオペを担当した青木さんもヴァレリーさんのお気に入りで、「オペはセクシーなリョウ(注:二人ともファーストネームがリョウ)にやってほしい」とのこと。そんなに派遣したらSPACの音響さんがいなくなってしまうが・・・。青木さんはかつて清水でDJとして活躍していて、『ガラスの動物園』の選曲でもダニエル・ジャンヌトーの信頼を勝ち得ている。

衣裳の岡村さん。

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パリの舞台衣裳専門学校を卒業し、今年4月からSPAC衣裳部に。今回はいきなりツアーの衣裳責任者を任され、俳優19人分の衣裳を管理している。

もちろん一人では到底無理なので、制作河尻さんもお手伝い。人手がある時はもう二人くらいアシスタントが入る。本番中はずっと舞台裏で女優の早替えの手伝い。

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衣装部屋用簡易式ドアストッパー(バレエシューズ?)

衣装部屋専用靴型ドアストッパー

明日はウェストバージニア州ハンティントンに移動。