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2011年10月19日

<役者おくぬ~日記>牧之原訪問記

いよいよ明日、リーディング・カフェ記念すべき100回記念の
「リーディング・カフェで待ち合わせ」です。
場所は静岡大学。
これは静大の学生二人からの提案で、アッパレ会の協力によって実現しました。

静岡は戦国時代の歴史が有名ですが、「お茶にまつわる話しを学生とお茶農家さんを交えて」読むという学生が考えたコンセプトで企画を進めるうちに巡り会った「侍たちの茶摘み唄」という小説は、「もともと荒れ地だった牧之原の大茶園を切り開いたのが、徳川の幕臣達であった…」という知る人ぞ知るエピソード。
調べたら「牧之原開拓幕臣子孫の会」という会があり、その小説でも中心人物だった大草高重のご子孫大草省吾さんとお会いすることができた。

大草高重氏は弓の名手で、開墾団のサブリーダーだった人。
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名字を見てもしやと思いましたが、やはりご子孫の方でした。
怖い感じかとおもいきや、とても柔和な方で一安心です。
(小二田先生、ご紹介ありがとうございました)

静大三年で企画者の一人宇田さんとご挨拶をかねてお訪ねしたこの日、大草さんに色々珍しいものを見せて頂きました。

応接間に飾ってあった書は徳川慶喜公の書いた「心如水」の文字、
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そして1982年放送テレビ静岡制作の番組のVHSテープ、
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さすが弓の名手として名高かった大草高重のご子孫宅らしく、床の間に雑然とたてかけてあった弓の中には、明治天皇から賜った「重藤の弓」が…。
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天覧の流鏑馬で高重は三矢とも命中させたそうである。

しかし、刀を鍬に持ち替え、土にまぎれて荒れ野を開墾した幕臣達の苦労たるや、壮絶だったに違いない。
脱落者が出て行く中、それでも徳川家家臣として忠誠を忘れず、歯を食いしばってこの地にとどまった彼らの先祖、大草さんによると、自宅には剣術道場や馬場があり、高重たちは暇があれば武芸の修練にいそしんでいたという。

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◆馬場跡

image011◆ 道場跡

そんな大草省吾さんも明日、「リーディング・カフェで待ち合わせ」にお越しくださいます。

今も茶業を続けておられる大草さんから直接、当時の話しが聞けます。

お時間ある方は是非遊びにいらしてください。