ボゴタ演劇祭二回目参加の記(9/最終回)
3月27日(火)
SPAC文芸部 横山義志
今年のボゴタ演劇祭は、劇場で上演される海外招聘演目が38作品(数え間違えてなければ)。他に大道芸やコンサートなど、多彩なプログラムでまだまだつづくようだが、SPACにとっては今日がコロンビア最終日。朝までバラシのあと、夕方に在コロンビア日本大使を公邸に訪問、そのまま空港に行く予定。
日中はオマール・ポラスが運営しているキンタポーラ劇場の見学に行く。希望者は12時ロビー集合し、徒歩で劇場のある中心部まで歩いて行く。
SPACで『ドン・ファン』を演出したオマール・ポラスはコロンビア出身で、もう30年近くスイスのジュネーヴを基盤に活動している。
もうすぐSPACで公演、オマール・ポラス新作『春のめざめ』(右側にニュース映像あり)
http://www.forum-meyrin.ch/spectacle/leveil-du-printemps
2年前にボゴタに来たときに、オマール・ポラスはこの劇場について、こう語っていた。
「玄関から馬が入れるようになっているところからすると、植民地時代のスペイン軍士官の屋敷だったようで、正確な年代は分からないが、1800年頃に作られたらしい。それを1960年代から活動しているテアトロ・エル・ロカルという劇団が買い取って劇場にしようとしたんだ。この劇団はかなり政治的な作品をやっていたし、コロンビアでは劇団に対する公共の助成はないので、本当に食うや食わずだった。80年代に、20世紀ラテンアメリカ史最大の悲劇の一つである1985年のゲリラによる中央裁判所襲撃事件を題材にした作品をここで上演して、それが大ヒットしたおかげで、その間はなんとか電気代と水道代を払える、という状態だった。
ぼくは十数年間コロンビアに戻っていなかったんだけど、数年前からコロンビアに何かと理由をつけて戻るようになった。そのころ、テアトロ・エル・ロカルの代表者がコンタクトを取ってきて、この劇場が取り壊されてしまいそうなのでなんとかならないか、という話を聞いた。この劇場に込められた記憶を失わせてはいけない、と思って、これまでに出会ったコロンビア政府文化省や教育省の官僚、政治家、外交官、財界人などに思いつく限りコンタクトして、劇場を救わなければ、という話をしたが、誰も動いてくれなかった。そうこうしているうちに、スペインのホテルチェーンが劇団に対して、巨額の買い取り金を提示した、という話を聞いた。ここカンデラーリア地区はラテンアメリカでも最大の文化的地区の一つで、観光資源も多くて、地価がすごく高騰しているんだ。
そこで、もう他に方法がない、と思って、自分で買い取ることに決めた。多額の借金を背負うことになったが、とにかく働けばなんとかなるんじゃないかと思った。ぼくはコロンビアの多くの演劇人と違って、少なくとも演劇で生活していけるというチャンスに恵まれているんだから。でも、ぼくはコロンビアじゃなくてスイスに住んでるんだから、コロンビアで劇場を買うというのは本当にクレイジーなことだった。ここで劇場を経営する、というのはどう考えても無理なので、ここを、世界を代表するアーティストたちがコロンビアの若いアーティストたちに知識と経験を伝える教育と研究のための施設にしようと思った。そこで財団を立ち上げて、作業チームを作った。宮城さんも個人の立場で資金提供を申し出てくれた。おかげで、この財団で数人のメンバーを雇えるようになった。その一人のナタリアは、フランスでアートマネージメントを学んだ後、コロンビア文化省の舞台芸術部門で3年間働いていたんだが、フランスにいた頃からぼくの舞台を見てくれていいて、この話をしたら、文化省を辞めて、財団の代表に就任してくれた。
将来的には、劇場を整備して、屋敷を18世紀のオリジナルの姿に戻したい。すでに歴史的建築の修復をやっている専門家のチームに依頼して、調査はしてある。お金の都合がつくたびに、少しずつ工事を進めていく。
宮城さんとSPACの皆さんには、ぜひここをコロンビアの家だと思ってほしい。いつでも歓迎する。ぼくの夢は、ここに宮城さんとSPACの俳優の皆さんを呼んで、ワークショップをしてもらうことだ。」
そして今、欧州委員会の支援も受け、キンタポーラでは急ピッチで工事が進んでいる。ナタリアさんの案内で工事現場を見学。屋根を外し、木材を入れ替え、劇場部分には雨の音で声がかき消されないよう音響遮蔽をする予定だという。通りに面する部分はレストランになるとのこと。5月にはオマールが来て、現場を見て塀の色を決めるそうだ。
劇場部分は空中ダンスのカンパニーが稽古に使っている。キンタポーラ財団では、とりわけコロンビアで不足している舞台技術者の育成に力を注ぐ予定で、この8月から3年に渡る舞台技術者養成プログラムがはじまり、今年は装置製作の講習を行うという。
キンタポーラ財団のサイト
http://laquintaporra.wordpress.com/about/
午後3時頃にホテルに戻り、午後4時40分までにチェックアウトして集合・・・の予定だったが、フェスティバル側の手違いで午後4時チェックアウトになっていたそうで、あわてて荷物をまとめてロビーに降りる。
午後5時、ホテルからバスに乗って日本大使公邸へ。大して遠くないはずが、雨のせいかえらく時間がかかって(ボゴタは今あちこち工事中で、すぐに渋滞が起こり、かなり迂回させられることがある)、6時頃にようやく到着。
アシア・イベロアメリカ文化財団のサミルさんによれば、大使の鈴木一泉さんは静岡のご出身だそうで、静岡から35人もの劇団が来るという話を聞いてとても喜んでくださり、「ぜひ公邸にお招きしたい」とおっしゃってくださったとのこと。
鈴木さんは前日『ペール・ギュント』をご覧になっていて、諸国を遍歴するペール・ギュントにご自身の外交官生活を重ね合わせて、「とても身につまされた」とおっしゃっていた。とても気さくな方で、俳優やスタッフの一人一人にお声を掛けてくださっていた。
今日はサミル・ヤンさんをはじめとするアシア・イベロアメリカ財団の方、コロンビア国立大学の方などもいらしている。
午後8時、空港に向けて出発。午後9時頃ボゴタ・エルドラド空港に着き、楽器や小道具を搬出して、チェックインしていく。
10時半過ぎ、ようやくチェックイン終了。空港まで見送りに来てくれたアシア・イベロアメリカ文化財団代表のサミル・ヤンさん、プログラム・ディレクターのエマ・チョーさん、制作担当のディアナさんに別れを告げて、ゲートへと進んでいく。
午前0時過ぎに離陸。一週間ほど過ごしたボゴタを後にする。
28日午前5時半、ヒューストン着。
5時間ほど乗り継ぎの時間があるので、軽食を取ったあと、日記をまとめる。
制作の丹治から、ボゴタ市内の本屋でお土産を買っているとき、コロンビア人の青年に「『ペール・ギュント』の方ですか?すごくよかったですよ!」と声を掛けられたと聞く。
午前11時頃、ヒューストン発。
翌日29日午後2時半に成田着。フライトは12時間ほどだが、帰りには14時間の時差がおまけで着いてくる。
ふたたび楽器や小道具をトラックに積み込み、バスに乗り込む。
「ボタン作り」役の貴島豪さんとお話。コロンビアのお客さんは俳優をとてもよく見ていて、よく反応してくれるが、「それで役者が調子に乗ってちょっとでもやり過ぎると、すぐに引いちゃんうんだよね」とのこと。目の肥えたお客さんで、とても楽しかったという。
午後8時頃、ようやく静岡芸術劇場着。
俳優たちは4月・6月に公演の『ペール・ギュント』と、6月演劇祭で公演の『マハーバーラタ』に使う楽器を仕分けていく。
旅が終わり、ふたたび静岡での公演が待っている。