まるふ演目紹介⑤はポーランドからやってくる『母よ、父なる国に生きる母よ』の紹介です。
ワルシャワ演劇祭にて本作を観劇してきたSPAC文芸部の大岡淳より、ポーランドを訪れた感想なども交えてご紹介します!
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2012年3月、ワルシャワ演劇祭に招待され、様々な舞台作品を観せてもらい、
その中でも、観劇した瞬間に「これこそ静岡に呼びたい!」と確信したのが、
ヴロツワフ・ポーランド劇場『母よ、父なる国に生きる母よ』です。
なぜ私がこの舞台を招聘したいと考えたのかを、説明申し上げたいと思います。
ポーランドという国について、皆さんはどんなイメージを持っていますか?
私は、こんなふうにイメージしていました―――
ドイツとロシアという2大強国に挟まれ、たびたび蹂躙され翻弄されながらも、独自の言語と文化を守り続けてきた誇り高い国。子供の頃、テレビのニュースで、ポーランドにおける自主管理労組「連帯」の動向が、緊張感をもって報道されていたことを思い出します。共産圏に属しながら、共産党とは独立した労働運動が鬨の声をあげたことに世界中が注目しましたし、そのリーダーであるワレサ議長は、逞しい容貌も相まって、気骨あるポーランド民衆の象徴と見えていました。
また、政治的・社会的な面のみならず、文学や芸術に関しても、ポーランドは世界中の尊敬を集めていたと言えます。最も知られているのは作曲家のショパンでしょうけれども、20世紀に入ってからも、ヴィトカッツィ、シュルツ、ゴンブロヴィッチといった前衛作家たちが登場しました。このうちブルーノ・シュルツは、ブラザーズ・クエイ監督の映画『ストリート・オブ・クロコダイル』の原作者として注目を集めました。それから、代表作『灰とダイヤモンド』で知られる、反骨の映画監督のアンジェイ・ワイダは、ご承知の通り、日本でも大変人気があります。また、私にとって印象深かったのは、美術家のマグダレーナ・アバカノヴィッチ。人間の背中を象ったオブジェをずらりと並べた彼女の立体作品は、単に強制収容所(思えばユダヤ民族の虐殺は、ナチス占領下のポーランドで起きたことでした)における人間性の破壊を表現するのみならず、およそ個性なるものを剥奪され「物」と化すほかない、現代人の有様を表現するものと思えました。
そして肝心の演劇についてですが、20世紀の演劇史を振り返る際に、最も無視できないのがポーランドだと言って過言ではありません。というのも、タデウシュ・カントール(1915-1990)とイェジー・グロトフスキ(1933-1999)というふたりの傑物を輩出したからです。第1次大戦後に、表現形式を問い直すアヴァンギャルド芸術が叢生したように、第2次大戦が終わり、戦後世代が成人を迎えた1960年代には、慣習化した表現方法を打破する、実験的な芸術家たちが世界中に出現しました。共産主義国となったポーランドで、果敢に自由な表現に挑み、攻撃的な実験精神を発揮したふたりは、60年代の世界の演劇人を先導する存在だったと言ってよいでしょう。
※文化科学宮殿。1955年に完成した、共産主義時代を象徴する建築。中には、劇場、博物館、カフェバー、オフィス等があります。劇場では日々演劇祭の演目が上演され、カフェバーには夜毎関係者が集い、深夜までライブ演奏を楽しんだりしていました。
グロトフスキの主著『実験演劇論』は、演劇が何よりも俳優の肉体の力によって、観る者の心をゆさぶる表現分野であることを知らしめ、自然主義的な心理表現を重視したスタニスラフスキーの『俳優修業』とは対極に位置する俳優訓練法として、世界中に影響を与えました。またカントールは、早稲田小劇場(現SCOT)を主宰する演出家・鈴木忠志(SPAC前芸術総監督)が、日本初の本格的国際演劇祭である「利賀フェスティバル’82――第1回世界演劇祭」を実施した際、ロバート・ウィルソン、メレディス・モンク、ジョン・フォックス、寺山修司、太田省吾らと並んで招聘され、代表作『死の教室』(ワイダが記録映画を撮ったことでも知られています)によって、日本の観客にも衝撃を与えました。「内面」を剥奪された抜け殻のような俳優たちの肉体の有様は、例えば、先述のアバカノヴィッチのインスタレーションにも一脈通じると解釈してみたくなります。
かくして、他のジャンルの芸術家たち以上に、カントールとグロトフスキというふたりの傑物に畏敬の念を抱いていた私は、昨年3月、初めて憧れのポーランドを訪れることとなった次第です。
ワルシャワ演劇祭は、過去1年の間に、ワルシャワの内外を問わず、ポーランド国内で話題となった演劇公演を結集させるものでした。「ポーランド演劇の現在」と題したレポートを執筆しましたので、個々の公演について興味のある方は私のウェブサイトを御一読下さい。
10日間ほどの滞在で、昼は子供向け、夜は大人向けの芝居を毎日観て回り、また市街を散策して、気がついたことが三つあります。
第一に、当たり前のことかもしれませんが、ポーランド人にとって演劇は文学と並んで、民族固有の言語と文化を守るために重要な役割を果たしているのだろうということです。訪問以前から私が感じていた、大国の狭間で独立を守る心意気は、ただの先入観にとどまるものではなかった、と確信しました。
※Guliwer劇場。子供向けのレパートリーを上演している劇場なので、かわいい外観です。ワルシャワ市街には、このような子供向け劇場がいくつも存在していました。
第二に、ポーランドの舞台には、生演奏と歌がつきものであるということに気づきました。この国では、ストレート・プレイと、音楽劇やミュージカルとの間に、線を引くことはできないんじゃないか。そのくらい、いずれも、演劇と音楽が有機的に結びついていました。いや演劇だけではありません。ショパンの彫像のあるワジェンキ公園を散歩していたとき、あの「連帯」のデモ隊に遭遇しましたが、遠くから見る限り大変賑やかに楽器が鳴り響いており、お祭りのパレードかと勘違いしたくらいでした。そもそもポーランド人は、音楽好きなのかもしれません。
第三に、既に欧米の資本が数多く進出し、ワルシャワは国際都市へと発展しつつあるようでした。様々な芝居の中で、スターバックスやマクドナルドのような多国籍企業が、皮肉混じりに言及されていました。実際街中では、売店であれレストランであれ、どこでも普通に英語が通じました。これは、かつてのワルシャワを知る方々からすれば、驚くべき変化だそうです。英語で外国人とコミュニケートすることができなければ、顧客を奪われてしまう競争状態に、ワルシャワも突入しているということです。
今回私たちSPACが招聘する『母よ、父なる国に生きる母よ』は、以上のようなポーランド現代演劇の諸特徴を、バランスよく兼ね備えた傑作です。第一に、ポーランド民衆が背負った現代史に深く立脚した台詞劇であり、第二に、女優陣が歌いあげる美しく力強いハーモニーに心打たれる、豊かな民族性をたたえた音楽劇であり、第三に、変容しつつある今日のポーランド社会において、女たちがどのような生を強いられているかを、母娘のドラマに託し、時にユーモラスに時にシリアスに表現する、まさしく現在形の演劇作品です。演出のヤン・クラタ(1973-)は、ヨーロッパで高く評価されているそうですが、それも頷けました。ちなみに、ポーランドから規模の大きな芝居が日本にやってくるのは、1990年に来日したアンジェイ・ワイダ演出『ハムレット』以来だそうです。
※ワルシャワ演劇祭の中心的な役割を果たしていた、演劇研究所。カフェや小劇場があり、演劇祭の会場にもなっていました。
ワルシャワ演劇祭の全体を1年ぶりに想起して改めて痛感するのは、当然と言えば当然のことながら、共産主義体制下で格闘したカントールもグロトフスキも、私の期待とは裏腹に、残念ながらもはや過去の人であるということです。彼らが追求した、身体表現としての演劇の可能性は、既に前提として共有されていると言ってもいいのかもしれません。そして、共産主義時代を総括する暇もないうちに、ポーランドの人々は、欧米の金融資本主義に蹂躙され、弱肉強食の中で生き残る努力を強いられるグローバリゼーションに直面することになり、演劇人たちも、現在の状況に対応した表現方法を模索することを強いられているようでした。社会状況に注目すれば、日本とも多分に重なるところがありますが、昨今の日本の小劇場演劇が、そのような状況には背を向けて、日常における極小の人間関係を描くことに終始しているのと異なり、ポーランドの現代演劇は、社会を捉え時代を捉え世界を捉えようとする骨太なドラマツルギーを手放さず、創意工夫を重ねていました。その中でも、とりわけ感動的だった『母よ、父なる国に生きる母よ』が、静岡にやってきます。どうぞお見逃しなく!
大岡淳(おおおか じゅん)
1970年兵庫県生まれ。演出家・劇作家・批評家。
SPAC文芸部スタッフ、ふじのくに芸術祭企画委員、はままつ演劇・人形劇フェスティバルコーディネーター、静岡文化芸術大学非常勤講師。
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トークイベント「ウォッカを片手にポーランド演劇を語る」を開催!
5/27(月)19:00~ポーランド料理店 Smacznego(スマッチネゴ)にてポーランド演劇の歴史と魅力を映像とともにお伝えするトークイベントを開催します。
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トーク:大岡淳
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