『真夏の夜の夢』出演者インタビュー、
第16回は、悪魔メフィストフェレスを演じる渡辺敬彦です。
メフィストフェレス:渡辺敬彦(わたなべ たかひこ)
静岡県三島市出身 B型
–渡辺さんが演じるメフィストフェレスはどのような存在ですか。
悪魔メフィストフェレスは、シェイクスピアの原作にはなくて、野田さんの潤色で加えられた登場人物です。そして野田さん潤色では、『真夏の夜の夢』自体が、登場人物の一人そぼろ(シェイクスピアの原作ではヘレナ)の想像世界として描かれます。つまり悪魔メフィストフェレスも、そもそもは彼女の妄想が生み出したもの。けれども彼女の想像の産物なのに、メフィストはすごく想像否定主義というか、現実主義というか、物質主義というかで、何かが決まっていないことや、想像することが嫌い。登場シーン板前デミとのやりとりはギャグだけどまさにそう。質問も答えも決まってないとイヤ。言葉として口に出されたものが現実で、人が口に出さずに呑み込んだものが想像だとすれば、その呑み込んだ言葉を片っ端からとらえて、それを現実にしようとする存在なんだと思います。
メフィストの台詞で、気に入っているのにこんなのがあります。
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永遠の愛だなんていうけれど、
人を好きになるなんてただの気のせいなんだね。
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野田さんのこの戯曲の中で、「気のせい」は目に見えないものを見る想像力と読み替えていいと思うんですけれども… この台詞をメフィスト自身は、もちろん否定的な意味で、愛は気のせい=想像力でしかないんだよ、つまりそんな物無いんだよ、と言っている。けれども、だからこそ愛には「気のせい」が大事だということを、この言葉はメフィストの意志とは裏腹に、聞き手に言っていると思うんです。つまり、「気のせい」さえあれば、永遠の愛が存在する。永遠の愛というものは、その一瞬に、永遠も人を愛する事も想像力によって立ち現れ、確かに存在する。だから気のせい=想像力はとても大切な素晴らしい力である、というメッセージがここにはあると思います。
野田さんはシェイクスピアの原作を潤色するにあたって、森の妖精たちを「木の精」と呼んで、「木の精」を「気のせい」とかけました。そして元の物語の世界を、<口に出された言葉>と<口に出されなかった想い>、つまり現実と想像力の物語として描いています。想像力という、人間の持つとても素敵で大切な力、大きな可能性を、一見ただの言葉遊びだよと思わせて、照れながら描いています。シャイな天才だなと思います。
渡辺の2011年初演時のインタビューはこちらで読むことができます。
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平日の中高生向けの鑑賞事業公演は3月14日までです。
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