4/26に行われましたシンポジウムの要約版です。
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オルタナティブ演劇大学
静岡シネ・ギャラリー×SPACコラボ企画
アングラ!カルト!アヴァンギャルド!!!
――映画におけるオルタナティブ――
◎登壇者
大岡淳(演出家・劇作家・批評家/SPAC文芸部)
横山義志(西洋演技理論史研究者/SPAC文芸部)
2015年4月26日、静岡市のミニシアター、静岡シネ・ギャラリー併設のサールナートホールで、演劇祭の関連企画が開催された。アレハンドロ・ホドロフスキー監督『ホーリー・マウンテン』、寺山修司監督『田園に死す』の映画上映会と、SPAC文芸部・大岡淳と横山義志によるギャラリートークである。トークでは、ホドロフスキーと寺山の作品の時代背景や問題意識に照明が当てられた。以下にその一部を掲載する。
■60年代から70年代へ
大岡 『ホーリー・マウンテン』は1973年の映画です。1968年という年が、世界中で学生反乱が起きたことで節目になっているわけですが、日本で若干先行してアングラ演劇が出てきました。そこから半世紀が経ちました。映画の場合も、60年代後半から70年代前半に、商業的な娯楽映画から脱皮した映画づくりが行われ始めます。70年代のカルチャーは、政治闘争の挫折が前提になっています。政治から芸術、スピリチュアル、ニューエイジ運動に行く人もいるし、日本だと、民俗学がよく読まれました。歴史の古層を掘り起こすという方向に行ったりするわけです。もっとわかりやすい例で言うと、60年代のフォークは反戦歌でした。加川良、岡林信康…こういったフォークシンガーの歌は、皆で歌えます。岡林信康の『友よ』でしたら、「友よ この闇の向こうには 友よ 輝くあしたがある」と肩を組んで、バリケードの中で。70年代になると吉田拓郎の時代です。『結婚しようよ』だと、「僕の髪が肩までのびて 君と同じになったら 約束どおり町の教会で 結婚しようよ」という風に非常にパーソナルなことを歌う。井上陽水『傘がない』なら、「都会では自殺する若者が増えている 今朝来た新聞の片隅に書いていた だけども問題は今日の雨 傘がない」。デートの日に傘がないことのほうが大問題だというパーソナルな歌です。日本ではミーイズム(自己満足を優先し他人に関心を払わない考え方)なんて言い方に移り変わっていきますが、ともかく、そういう時期に当たっている。近代合理主義に対して疑いの眼を向けるという意味では、60年代後半と70年代前半には通じているものがある一方で、ある種のレジスタンス(抵抗運動)が60年代末に多かったとすると、70年代はそこからの逃避です。逃避と言うとネガティブですが、政治から抜け出て別世界をつくっていくんです。
横山 『ホーリー・マウンテン』を作った時には、カルト的なことを実際にやっていたみたいですね。ホドロフスキー(錬金術師の役で出演)と奥さんのヴァレリー・ホドロフスキー(映画ではセルという役)が日本人の禅道士と1週間寝ないで修行したり、出演者全員で1ヶ月くらい共同生活をしたりしています。中南米のアリカという神秘主義的なグループがあって、ヨガとスーフィーと禅とカバラを混ぜたような実験をしているグループですが、そこでLSDやマジックマッシュルーム(ともに幻覚作用をもたらす覚醒剤)を使って神秘体験をした後に、映画をつくったらしいんです。でも面白いのは、そこまでして作った神秘的なものを、映画の最後にあっさり崩すようなところもあったりして、いわゆるカルトとは違う感じがしますよね。
大岡 政治闘争のバリケードの中に立てこもった学生さんたちが、運動が収束していった後も、バリケードの中の解放区を日常生活の中へ持ち込めないかと考えて、コミューンというものが生まれてくるんだと思います。そのコミューンが時には自給自足を目指す運動や非常にカルト的な宗教になっていきます。そういう時代背景を踏まえて『ホーリー・マウンテン』を見ると、空気がよく伝わると思います。自分で自分を茶化せるところが、ただのカルトとは違う、ホドロフスキーという人の爽やかな一面ではないかと思いました。諧謔精神に溢れていますよね。
■カルトの暴力を批判する
横山 『ホーリー・マウンテン』は、見ての通り、かなりお金がかかっています。アレン・クレインのプロデュース。ビートルズのプロデューサーです。ジョン・レノンとオノ・ヨーコが共同で資金を出しています。「100万ドル出すからつくれ」とホドロフスキーにつくらせた作品なんです。メキシコで撮影されていますが、メキシコ映画史上最高資金だったらしい。ここまで馬鹿馬鹿しい映画をこれだけのお金をかけてつくるのは凄いと思いますが、ショービジネスのトップにいた人たちがお金を出したのがおもしろいところでもあります。
大岡 まだ大らかな時代だったんですね。
横山 ホドロフスキーがどっぷりカルトにならなかったのは、演劇をやっていたことも関係しているように思います。
大岡 どういう意味ですか?
横山 この映画は映画的ではないという特徴があると思います。仕掛けが演劇的です。血が出て人が死ぬ場面でも、見ていると仕掛けがわかりますよね。
大岡 異化効果ですね。偽物ですよ、ということが露呈しています。ある種のイリュージョンに没入しようとしても、どこかで遮られたり、茶化されたり、突き放されたりしてしまう。映画と演劇の融合という意味でおもしろい形になっていますね。
横山 カルト的なものを考えると、映画が製作された73年は、68年と90年代のオウム事件の間をつなぐような時代だと思います。その間に、カルト的なものが新たな制度になってしまうことへの批判が、ホドロフスキーにはあります。70年代のセックス、ドラッグ、ロックンロールのなんでもありの時代の中で、オルタナティブ自体が新たな制度になってしまうという危険性が露呈してきたのではないかという気がします。
大岡 難しいですね。演劇の場合も、70年代前半くらいに、文明生活、資本主義から隔絶した場所で、共同で何かするということをやっていた人は多いです。アメリカのリビング・シアターのジュリアン・ベックなんて人は非常に攻撃的で、資本主義に対する憎悪を隠さない。観客席に着飾っている女の人がいて、女性をですよ、劇団の俳優が本気でぶん殴るんです。「なんで着飾って来てるんだ!」って。連合赤軍のあさま山荘事件(1972年)の後で明らかになった、いわゆる山岳ベース事件(1971~1972年)で、女性の同志に「アクセサリーしているからダメだ!」とか「化粧しているのは自分のブルジョア的意識を克服していないからよくない!」とか言って、「総括せよ!」でリンチ、あげくは殺してしまうという悲惨なことがあったわけですが、リビング・シアターも似たようなことをやったと思います。観客のブルジョア性を暴力で否定していました。カルトから暴力が生まれるという問題がありますね。オウム真理教の話をここでする必要はないかもしれないけど、ちょっと難しいなと思いますのはね、麻原彰晃(本名・松本智津夫、オウム真理教教祖)という人は当初、ユーモラスな人に見えていたんです。テレビ朝日の『朝まで生テレビ!』の最初の頃、宗教特集の回で色んな宗教家が出ていたんですが、明らかに麻原が圧勝でした。今から考えればいい加減なのかもしれませんが、仏典の知識をがんがん言って、ほかのゲストを論破し、ちょっと人間臭いところも見せる。人間臭さや笑いを差し挟む部分があれば、カルト集団が暴走しないで済むのかというと、そうとも言えないわけです。笑いながら人を傷つけることもできてしまうという人間の複雑な一面が、とても難しいところです。
■母性的秩序からの解放
大岡 寺山修司も新しいコミュニティをつくりました。ふるさとからあぶれて、憎悪を抱いているような、はぐれ者たちを寄せ集めて、劇団天井桟敷のメンバーにしていきます。家出人たちを集めたわけです。寺山は『家出のすすめ』という本を書いています。彼にとっては、一夫一婦制や家族制度が攻撃対象です。これは極めてブルジョア的な装置で、人間を支配する制度にすぎないんだと。制度化されたものへの批判が根底にあります。『ホーリー・マウンテン』で言えば、キリスト教ですね。キリストの似姿みたいな主人公が、それこそ「クライスト・オン・セール(キリスト大安売り)」に失望するという場面がありましたが、商品化され量産される信仰をぶち壊すことから始まるわけですけど、ぶち壊した後につくり直します。そこまでは70年代に映画も演劇もやった。つくり直した後、またそれがおかしな制度にすり替わっていく時に、そこをどう抜け出ていけるのかが、難しい課題なんでしょうね。
横山 『家出のすすめ』で思い出しましたが、この本を読んで寺山に弟子入りした森崎偏陸さんという方がいます。森崎さんが、寺山のところに行ったら、寺山のお母さんも一緒に住んでいて、おいおいと思ったというエピソードがあります。
大岡 あれだけ母殺しの話を書いておきながらね(笑)。寺山のお母さんの本を読んでもわかるのですが、基本的に親子仲はとてもいいんです。親子関係の実際の感情はまた別だったかもしれないですね。演出家・鈴木忠志が長谷川伸『瞼の母』を演出した時に、美術評論家・石子順造と寺山修司の対談を引用しています。そこで寺山は「実際の母親を大事にするのはかまわないけれども、幻影としてのお母ちゃんはよくない」と言っている。「おふくろの味はよくない」「母親から台所を奪還せよ」と言います。東大闘争の時に、キャラメルママというのがありましたね。「キャラメルあげるから出てらっしゃい!」とバリケードに立てこもった子どもに向かって母親たちが語りかける。最終的に寺山が標的にしていたのは母子関係、母性的な秩序です。決して父性的な抑圧があるわけではなく、「好きになさい、好きになさい」と言われるんだけど、本当の自由はそこにはないということのほうが、日本社会にとって大きな問題じゃないか、と言いたかったのではないでしょうか。我々にとっては、頑固おやじから厳しく言われて反発するより、「どうぞどうぞお好きにやりなさい」と言われちゃう感じのほうが問題なのかもしれないと思います。小説家・中上健次が『枯木灘』でそのことをテーマにしています。何をしても許してしまう父親、いわば母親的な父を描いているんです。秋幸という主人公が、これに対してどう闘えばいいんだという感じになっちゃうんです。その感じを、寺山はずっと問題にしていたのかなと思います。母親的な懐の深さが本質的には人間を不自由にしてしまうことに対して、そこから抜け出て、新しいコミュニティをつくろうとするのが寺山の考えなんだけれども、それもまたただの幻影にすぎないんじゃないかという自己懐疑、自己諧謔、そんな仕掛けも、寺山作品には必ずあります。『田園に死す』(1974年)ではそんなところを楽しんでいただけるのではないかと思います。
構成:西川泰功