『室内』と光州アジア芸術劇場オープニング・フェスティバル
SPAC文芸部 横山義志
この9月、SPACの作品『室内』が光州(クァンジュ)のアジア芸術劇場で上演された。ここで『室内』が上演されたことの意味を、少し記録にとどめておきたい。韓国の国家的プロジェクトとして生まれた劇場のこけら落としを祝うこのフェスティバルは、アジア演劇史に残る事件となるかも知れない。
このオープニング・フェスティバル自体、いわば、いまだ編まれたことのない「アジア演劇史」を、これから新たに編んでいこうとする試みだった。私たちは西洋に「演劇史」というものがあることを知っている。だが、アジアの演劇の全容を見渡す試みは、いまだ十分になされているとはいえない。この劇場は「アジアのハブ劇場」となることを期待してこのように命名された。そして隣接するアーカイブ&リサーチセンターでは、アジア全体のパフォーミングアーツをアーカイブ化するという途方もない計画が進行している。
【アーカイブ&リサーチセンター、日本演劇に関する展示ブース】
極めて野心的な試みだが、これらがソウルから多少距離のある光州の地で行われていることこそが、このプロジェクトにある種の正当性を与えているともいえるかも知れない。まずは、光州という場所について、多少話しておく必要がある。
光州は韓国南西部に位置し、三国時代には百済に属していた。ソウルからは高速鉄道で約2時間、高速バスで約4時間。現在の「光州広域市」の人口は約150万人で、韓国の都市としては第6位。日本では、現代美術の祭典「光州ビエンナーレ」と「光州事件」で知られているのではないか。1980年、軍事政権による戒厳令に反発して民主化を求める20万人以上の市民が蜂起し、武装して軍を市外まで押しやり、全羅南道道庁前広場に5万人の市民が集まって市民大会を開き、直接民主主義による自治が試みられた。しかし2万5千の兵力が投入され、最後まで道庁に立てこもった人々など150人以上の市民が殺害され、3,000人以上が負傷して、市民による抵抗は10日程で幕を閉じることになった。アジア芸術劇場は、その旧道庁前広場の跡地に建設されている。
民主化を市民の力で勝ち取ってきた韓国の現代史を象徴するこの場所に、アジア芸術劇場を含む「アジア文化殿堂」をつくる「アジア文化中心都市構想」を選挙公約として掲げたのは、二代前の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領だった。日本以上に首都ソウルへの集中が激しく、地域間対立も激しかった韓国で、盧武鉉は地方分散化と地域対立の解消を掲げていた。そして2002年の民主党予備選挙において、新千年民主党最大の地盤の一つ光州で、大方の予想を覆して盧武鉉が主流派候補を破り、大統領選挙進出への大きな足がかりを得た。
ところがこの文化殿堂の建設計画は迷走を重ね、李明博(イ・ミョンバク)政権では一端凍結されるに至る。すでに着工され、かなりの投資がなされていたこともあり建設の再開が決まったが、更に政権は現在の朴槿恵(パク・クネ)に移り、盧武鉉時代の公約が13年越しにようやく実現されることになった。アジア文化中心都市事業の総予算は約5000億円といわれる。東京新国立競技場の旧建設案と比べても、倍以上の予算規模である。
アジア芸術劇場の開場準備は約3年前から進められ、初代の芸術監督にはベルギー出身のフリー・レイセンが就任した。ヨーロッパを代表する舞台芸術祭の一つ「クンステン・フェスティバル・デザール」をブリュッセルで立ち上げた人物で、アジアの舞台芸術の現状にも詳しかった。だが、間もなくフリーは辞任してウィーン芸術週間に移り、フェスティバル・ボム(ソウル)の創立者であるキム・ソンヒが後を継いで、劇場の立ち上げを進めることになった。ソンヒは「アジアの同時代性」をオープニング・フェスティバルのテーマとして掲げることを決めた。この「アジア芸術劇場」を、伝統芸能ではなく、アジアの同時代的な舞台芸術のための劇場にする、という強固な意思表示をここに見るべきだろう。
【(左から)キム・ソンヒさん(光州アジア芸術劇場芸術監督)、ベルトラン・クリルさん(アトリエ・コンタンポラン制作)、クロード・レジさん】
オープニング・フェスティバルと今シーズンのアジア芸術劇場のプログラムは、大きく分けて、アジアのアーティストによる作品と、「我らの師たち」と呼ばれる、アジア以外の重要なアーティストたちの作品からなっている。
オープニング・フェスティバルのプログラム(英語)
http://asianartstheatre.kr/board/AatList2?BN_BU_KEYNO=BU_0000000135&MN_KEYNO=MN_0000000344
フェスティバルの演目は全部で33演目あったが、クロード・レジ(フランス)演出でSPACの俳優が出演する『室内』は、唯一この両者が重なる作品だったといえるだろう。前者では、日本でも比較的知られた名前を挙げるとすれば、まず蔡明亮(ツァイ・ミンリャン、台湾)、アピチャートポン・ウィーラセータクン(タイ)、アッバス・キアロスタミ(イラン)といったアジア映画界の巨匠による作品が招聘されている(映像作品も含む)。日本からは岡田利規、坂口恭平、川口隆夫、山下残、足立正生の作品が参加。マーク・テー(マレーシア)、ホー・ツーニェン(シンガポール)といった若手の注目株に混じって、中国からはなんと文革期に初演された革命京劇の代表作『紅灯記』が招聘されていたりもする。後者では、アジアの同時代的な舞台芸術の参照項となりうるような、それ以外の地域(ヨーロッパ、アフリカ、北米、南米)の重要な演出家を招いている。例えば、フェスティバルではロメオ・カステルッチ(イタリア)、ティム・エッチェルズ(イギリス)、ブレット・ベイリー(南アフリカ)、コンスタンティン・ボゴモロフ(ロシア)、シーズンではロバート・ウィルソン(アメリカ合衆国)、クリストフ・マルターラー(ドイツ)、ウィリアム・ケントリッジ(南アフリカ)など。この部分のプログラムにはフリー・レイセンも関わっていたらしい。
このプログラムから浮かび上がってくるのは、様々な抵抗運動の系譜である。ラヤ・マーティン(フィリピン)が描く、ダム建設によって破壊される村を軍から守ろうとしていた男の死をめぐる物語は、マーク・テーやホー・ツーニェンが描く、マラヤ共産党の失われた歴史へと結びつき、それが、一方では中国共産党政権の正当性を示す革命京劇と呼応し、他方ではドキュメンタリー映画監督趙亮(チャオ・リャン、中国)が描く、経済発展から取り残された人々が生きる壮絶な日常の物語にもこだましていく。この系譜を描くことが、今でも北朝鮮と戦争状態にある国において、いかに困難なことかは想像に難くない。そしてこの系譜はさらに、ブレット・ベイリーが描くアフリカの植民地支配の歴史や、今なおつづくコンゴ紛争に見られるコロニアルな搾取の構造、そしてボゴモロフが描くロシアの強権政治とホモフォビアの問題ともつながっていく。もちろん、これらの全ては、20数年前にこの旧道庁前広場で起きた出来事を呼び覚まさずにはおかない。
このような政治的抵抗と並んで、いわば美学的抵抗ともいうべき系譜も焦点化されている。このフェスティバルの開幕演目として上演された蔡明亮の『玄奘』は、極度に切り詰められ、遅延された動きによって、今日のアジアが生きている狂騒的な時間の流れに抵抗する試みだった。同様の抵抗の身ぶりは、アピチャートポン・ウィーラセータクン、アッバス・キアロスタミ、蘇文琪(スー・ウェンチー、台湾)らにも見られた。クロード・レジは今回の『室内』再演にあたって、こう語っている。「静けさの力と遅さの力に(この二つが結びついたものに)耳を傾け、それを目撃していただきたいと思っています。この二つは、騒音の渇望と速度への執着に向かう今日の嗜好に逆行するものです。」レジもアピチャートポン・ウィーラセータクンの作品を高く評価しているようで、今回のフェスティバルで見られなかったことを悔やんでいた。
フェスティバル期間中、光州には二百人以上の「インターナショナルゲスト」がアジア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ大陸など世界各地から集まり、ソウルや釜山など国内の若い観客や演劇人が週末ごとに押し寄せていた。韓国の観客にとっては、ソウルで華々しく劇場のシーズンが幕を開けるなか、光州に来ること自体が、ある種の抵抗の身ぶりだったのかも知れない。『室内』はフェスティバルのクロージング演目として、四回上演された。『室内』は極度の静けさを必要とするため、演目が集中するアジア芸術劇場ではなく、CGIセンターという映画スタジオに仮設の客席を組んで上演されたが、その分、客席がきしむ音には悩まされ、レジさんも観客が音を立てるのを怖れていたようだ。だが、光州の観客は非常に集中して見てくれて、かなり質の高い沈黙をつくることができた。この作品を観たスリランカ出身のダンサーは「太田省吾の『水の駅』を思い出した」と語っていた。ここに、グローバリゼーションのもう一つのあり方を見出してみてもよいのかも知れない。
光州でフリー・レイセンがクロード・レジを迎え入れたとき、「クロードが日本と出会ったのは必然だった」と語っていた。『室内』フランス公演のあとに、あるフランスの批評家が劇評で同じ表現を使い、レジを「日本の最も偉大な演出家」と呼んでいたのを思い出す(ちょっと失礼な話でもあるが)。私がレジの作品を日本に紹介したいと思ったのも、その精神性と形式の双方に、ヨーロッパよりもむしろアジアでこそ真摯に受容されうるものがあるように感じていたからだった。キム・ソンヒは招聘前にウィーン芸術週間、アヴィニョン演劇祭と二度『室内』を見に来てくれたが、やはりそこに「アジア的なもの」、これからのアジアの舞台芸術に必要なものを見出したから、招聘してくれたのだと思う。
三年目の『室内』は、見違えるほど俳優たちの体のなかにしみこんでいた。「室内」にいる家族を見つめるマリーが「夢のなかの家族みたい」と口に出すと、家族が急にこちら側に目を向けてくる。光州では、自分が見ていたはずの夢から、突然見つめかえされたかのようで、一瞬背筋が凍るようだった。メーテルリンクが、そしてレジが見た夢が、やがて日本の俳優たちが見る夢となり、今この光州でアジアの夢となって、未来からまなざしを返してきたのかも知れない。
(韓国の文化政策を研究なさっていて、『室内』の韓国語字幕操作を担当してくださったExplat理事長の植松侑子さんから、多くのご教示をいただきました。植松さん、ありがとうございました!)