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2015年10月25日

『室内』 最終公演を終えて(文芸部・横山義志)

何かが終わったところから何かが生まれる

 レジ作品の衝撃から、日本での紹介を夢見て、
 静岡での共同製作の実現、稽古場秘話…

 3年に渡るレジ×SPAC共同製作『室内』を終えた今、
 文芸部スタッフ横山義志が胸の内を語る。

※『室内』公演詳細はこちら

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『室内』最終公演を終えて

SPAC文芸部 横山義志

『室内』の公演が終わった。一つの円環が閉じられたような気分。「何かが終わったところから何かが生まれるんだ」とクロード・レジは話していたが、やっぱりちょっとさみしくもある。忘れないうちに、いくつか書き留めておきたい。

はじめてレジさんの作品を見たのは1999年の『誰か、来る』(ヨン・フォッセ作、ナンテール・アマンディエ劇場)だった。すごく昔のような気もするし、昨日のような気もする。席に着くとすっかり暗くなり、今まで経験したことがなかったような静けさが劇場を覆った。目を凝らすと、かすかに浮かび上がってくる人物たち。耳を澄ますと聞こえてくる対話。だが、長い沈黙をはさんで、一音節ごとにゆっくりと発せられる言葉を聴いていると、沈黙のあいだにめぐらせた思いと、耳に入ってきた言葉との区別がつかなくなってくる。目の前にあるものが本当に存在しているのか、それとも自分だけがそれを見ているのか、分からないような感覚。「二人だけ」の生活のために選んだ、人里はなれた家に、女が一人でいるところに、大家の息子を名乗る男が訪ねてきて、「ビールを買ってきたんだ。一緒に飲まないか?」と、ビニール袋に入ったビール瓶を少し揺する。そのかすかな音が、劇場中に響きわたる轟音のように聞こえる。

そこで起きていることに、自分の体がついていけていないような感覚。現代演劇でこういう感覚を得たのは、ほとんどはじめてだったかも知れない。自分の身体感覚自体を変えなければ見えないもの、聞こえないものがある、ということに気づかされるという、ほとんど暴力的な体験。パリでレジの作品がかかると、チケットはいつもあっという間に売り切れるのに、劇場に行ってみると、途中でぞろぞろと人が出て行く。そうでなくても、ほとんど身体的な拒否反応を示している観客と隣り合うことも少なくない。やがて、レジの新作がかかるたびに、その日に合わせて、心身を整えてから劇場に向かうようになった。そんなことをする気になったのはレジの作品くらいだった。

なんとなく、こういう作品の本物の観客はむしろ日本にいるのではないか、という気がしていて、いつかレジの作品を日本に紹介することを夢見ていた。だがその頃、レジはめったに国外ツアーをしておらず、フランス以外ではほとんど知られていなかった。わざわざ他の国でやるよりも、自分が知っている環境で、いい作品を作ることに集中したいからだ、といった話を伝え聞いていた。それが、まさか静岡で作品を作ってくれることになるとは・・・。最終公演のために舞台芸術公園を歩いていて、今更のように、夢じゃないかと思ったりもした。

2004年にレジのヨン・フォッセ三部作について「可能態の現前」という文章を『舞台芸術』誌第5号に書かせてもらったが、思えばそれ以来、レジの作品についてまとまった文章を書いたことがない。フランスでも、これだけ多くの称賛を得ながら、そういえばあまり分析的な批評というのは目にしたことがない気がする。今になって、なんとなくその理由が分かるような気がしてきた。レジの作品では、実際に劇場のなかで起きたことと、自分のなかだけで起きたこととの区別がつかないからではないか。劇場のなかで起きたことをいくら描写してみても、自分がそこで見たものが見えてこないからではないか。

何度も『室内』を見ていて、今回の公演でようやく気づいたのは、自分が見ているのは目の前で起きていることではない、ということだった。そこに広がる風景は「室内」とはほど遠いし、そこに家族の日常を見るには、相当の想像力が必要になる。とはいえ、一方でそれは、そんなに難しいことでもない。たとえばおままごとで、お茶碗に盛られた砂をおいしいごはんだと思って食べるのと同じようなことだ。思えば演劇というものはそもそも、そこにあるものを別のものとして見る、ということで成り立っている。だがある時期から演劇は、あるいは視覚文化一般が、そのことを隠蔽するような形で発展していったのかも知れない。

稽古場で、レジは何度も「自分の想像力を信じなさい、観客の想像力を信じなさい」と語っていた。俳優が何かを見ていなければ、観客にもそれは見えない。もちろん俳優が見た何かが観客にそのまま伝わるわけではないが、まず俳優が何かを見ない限り、そこには何も立ち上がらない。そして観客がそこに何かを見たいと思わない限り、そう思わせない限り、やはり何も立ち上がらない。この構造はあらゆる芸術作品に共通するものだろう。だが、そこに安定した共犯構造にもとづく約束事が成立してしまうと、この構造自体は見えなくなっていく。約束を裏切らないと、約束の向こう側にあるものは見えてこない。「人類の秘密により近づくような作品を作らなければ意味がない」とレジは言う。

そういえば、3年前のオーディションのときに、こんなダメ出しがあった。「ちょっと演技が小さいんじゃないか。これは話すべきかどうか迷ったんだが、最近の宇宙物理学者は、この世界には11の次元があると言っている。たとえば11の次元の広がりを意識しながら演技してみたら、同じ演技にはならないんじゃないか。」今まで聞いた中で最もスケールの大きなダメ出し。これを言われた俳優は相当困っただろうが、今にして思えば、こんな話も、そこで見えるものに寄与していたような気もする。

それと、量子力学の話もよくしていた。以下の話をレジがしていたかどうかは記憶が定かでないが、メーテルリンクの『室内』という作品は、ちょっと「シュレディンガーの猫」に似ている。存在が0でも1でもない、そのあいだの波のようなものになっていく量子力学の思考実験。ブラックボックスのなかに放射性物質と、ガイガーカウンターに連動した毒ガス発生装置を入れ、そこに猫を閉じ込めておく。観察者にはブラックボックスのなかで起きていることは見えない。観察者にとっては、箱を空けるまで、猫は同時に生きていて、死んでいる。いわば二つの可能性が重ね合わさった存在として、そこにいる。

『室内』では、家の外にいる人々は、家のなかの家族の娘が一人、川で溺死したことを知っている。だが、室内の家族にとっては、娘はまだ生きている。だからそこでは、ふだんとなんら変わらない穏やかな暮らしが営まれている。それでも、そこに死の影が全くないわけではない。家族も、もしかしたら全く気づいていないわけではないのかも知れない。部屋のなかを見ている人々にも、家族の心のなかで何が起きているのかは分からない。そして、死んだ娘に何が起きたのかは、誰にも分からない。見えるものと見えないものとが重層的に重なり合っていき、自分に何が見えているのか、次第によく分からなくなっていく。あるいは、そこにある分からなさと、それでも見えていること、気づいていながらも見つめられていなかったことを受け入れざるを得なくなっていく。見るほどに奇妙な戯曲。

クロード・レジはこの作品を1985年にも上演しているが、これを取り上げるのは約30年ぶりだった。レジが同じ作品を二度取り上げるのは珍しいが、これについてはずっと再演を夢見ていたという。だが、この作品には少なくとも10人近い俳優が必要になる。ここ十数年、レジが演出してきたのは一人芝居か、多くてもせいぜい4, 5人程度の作品ばかりだった。レジの演出についてきてくれる俳優を、それだけの数そろえるのは難しかったと聞く。レジは2010年に『海の讃歌』を楕円堂で上演したあと、この『室内』のクリエーションを提案してくれた。今回の『室内』楽日の晩には、「本当にすばらしい出会いだった。日本の俳優たち、宮城さんが育てた俳優たちと出会って、多くのものを学ぶことができた。みんな、非常によく「聞く」ことを知っていた」と語ってくれた。

昨年のアヴィニョン演劇祭ではSPACが宮城演出『マハーバーラタ』と『室内』の二作品を上演した。巨大な野外空間での祝祭音楽劇と沈黙の室内劇と、極めて対照的な二作品だったが、実は「言葉と動きの分離」という共通項がある。『マハーバーラタ』では一人の語り手の語りに合わせて多くの俳優たちが動き、『室内』では、声の聞こえない室内の家族の様子を、庭にいる人々が語っていく。当然そこには、時としてずれが生じる。目に見える動きと、語られる言葉とは、必ずしも一致しない。そこで起きていることは、目に見えていることでもなければ、そこで語られていることでもない。見えるものの向こう側にあるものを見て、言葉の向こう側にあるものを聴くこと。『室内』では、さらに「沈黙」という要素がある。言葉の、動きの、不在を聴くこと。

家族役の俳優の一人が、こんな話をしていた。ときどき、家族の別の一人と、動きのタイミングが合わなくなるときがある。でも、今回は言葉にしてしまうと何かが失われそうで、言葉にするのはやめた。相手の動きをよく見て、まわりで起きていることをよく聴きながら、自分が動いてみれば、いつも同じタイミングにはならなくても、納得のいく動きにはなるという。

今回の『室内』再演で、3年かかって、作品がようやく一つの生き物になったような気がした。楕円堂を包む秋の虫の音が、生き物としての時間を感じさせてくれた。レジは「もう60年以上やってきて、演劇をやめたいと思ったこともあるが、おかげでまだつづけていきたいと思った。自分が前進していると思えたからだ。前進が止まったら、そのときは死ぬときだ」と語ってくれた。またここで出会えることがあるような気がしてならない。