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2016年4月7日

ケ・ブランリー美術館と『イナバとナバホの白兎』という試み (横山義志)

ケ・ブランリー美術館と『イナバとナバホの白兎』という試み

SPAC文芸部 横山義志

2013年2月、『マハーバーラタ』をパリのケ・ブランリー美術館クロード・レヴィ=ストロース劇場で公演したとき、館長室にご挨拶にうかがった。するとステファヌ・マルタン館長から、こんなお申し出があった。「2006年に美術館とレヴィ=ストロース劇場のこけら落とし公演でも『マハーバーラタ』をやっていただいたが、これまで当館で上演した作品のなかでも、この作品は「文化間の対話」をモットーとする当美術館の精神を体現するような作品だと思っています。当館は2016年に開館10周年を迎えるので、その際にはぜひ当美術館のために作品を作っていただきたいと思うのですが、可能でしょうか。宮城さん演出によるSPACの新作公演を、10周年記念事業のメインイベントにしたいのです。」通訳しながらも、さすがにちょっと驚いた。これはアヴィニョン公演の前年で、それ以前にも宮城さんの作品はフランスで何度か上演されていたが、まだフランス演劇界で広く知られていたというわけではなかった。ケ・ブランリー美術館では開館以来、世界中から名だたるアーティストを招聘している。そのなかで宮城さんとSPACを選んでくださったのは光栄というほかない。

ケ・ブランリー美術館は、パリで最も新しい国立美術館で、「アジア・アフリカ・オセアニア・南北アメリカの芸術と文明」を紹介することを使命としている。近年の年間入館者数は約150万人。エッフェル塔の向かいに大きな建物ができたので、ここ10年ほどのあいだにパリにいらした方であれば気になっていた方も少なくないだろう。この美術館は当時の大統領ジャック・シラクが文化政策の目玉として構想したものだった。美術館のコンセプト自体、極めて挑戦的なものだった。アジア、アフリカ、オセアニア、南北アメリカで名もない民衆や職人が作ってきたいわゆる「伝統的」なオブジェを「原初美術(アール・プルミエ)」と呼び、西洋近代美術と同じだけの価値をもつ美術作品として捉えようというものだ。これは日本を含むアジア・アフリカ諸国の文化に造詣が深く、「原初美術」の愛好家としても知られていたシラクが念願としていたプロジェクトだった。フランスが植民地政策の負の歴史を清算するための試みの一環をなしているともいえるだろう(それに成功しているかどうかは別として)。この背景にはもちろん、19世紀後半から20世紀前半にかけてマネらが日本美術を、ピカソらがアフリカ美術を「発見」したことがある。だが、この視点の転換に思想的な裏付けを与えたのは、20世紀フランスを代表する思想家の一人で人類学者のクロード・レヴィ=ストロース(1908-2009)だった。レヴィ=ストロースは世界各地の先住民社会の構造分析にもとづき、西洋近代の科学的思考よりも、それが排除しようとしてきた「野生の思考」こそがより普遍性をもった思考なのだと主張したのである。

フランス語では「博物館」と「美術館」は同じmusée(英語のmuseum)だが、日本語にするとだいぶニュアンスが違ってくる。「博物館」においては、時代や地域が異なるために、今の「私たち」とは異なる価値観をもつ共同体で作られたからこそ貴重であり、意味がある、というものが収蔵品の多くを占めている。ケ・ブランリー美術館が開館する際、「人類博物館(Musée de l’Homme)」の収蔵品の多くをこの新設の国立美術館に移管することになった(これについては多くの論争が繰り広げられたが、話が逸れそうなので、ここでは触れない)。文化人類学の対象だったものを美術作品として新たに見つめなおすということが可能になったのは、ヨーロッパの美術と文化人類学がそれぞれ二〇世紀を通じて大きく変貌したからでもある。美術においては非西洋世界という他者の「美」を取り込んで自らの「美」を相対化し、そして「美」そのものの根拠を問い直すことまでも「美術」に含まれるようになっていった。一方文化人類学においては、植民地経営の道具として発達した研究が、逆に西洋諸国による植民地支配の根拠を問い直し、脱植民地化を支える思想としても発展していった。この二つの分野の発展が交叉したことの帰結がケ・ブランリー美術館の開館だったといってもいいだろう。

では、この美術館で演劇作品を上演するとすれば、何をやるべきなのか。マルタン館長があれほど『マハーバーラタ』を気に入ってくれたのは、この作品が提示しているヴィジョンに、ケ・ブランリー美術館のコンセプトと共鳴するところがあったからだろう。宮城聰演出『マハーバーラタ』は、「平安朝の日本にマハーバーラタの物語が入ってきていたら」という想定で作られている。実際、平安時代の末に編まれた『今昔物語』にもインド由来の説話が多数入っている。我々が今「日本的」とみなしている文化にも、中国やインドなど、様々な「外来」文化の影響がある。そもそも文化というものは、様々な他者との出会いを通じてしか発展しえないものなのではないか。宮城さんはそんな話をしていた。

マルタン館長が宮城さんの作品に興味を持ってくれたのは、アジア・アフリカのいわゆる「伝統芸能」の技術を取り入れた現代演劇の作品を作っているからだろう。アジアやアフリカにおいて「近代化」とは、多くの場合強いられた「西洋化」であった。アジア・アフリカにおいて近代劇とは、伝統芸能とは異なる「西洋的」な演劇のことだった。「近代的=西洋的」なものと「伝統的=在来的」なものとは対立項となった。この「近代化」によって、「伝統的=在来的」なものは社会とともに歩むことを止め、「博物館」的な興味の対象となったかのようだった。

だが一方で、ヨーロッパにおいてはこれに並行して、とりわけアジアの演劇を参照することで、いわゆる「近代劇」の限界を乗り越えようという動きもあった。20世紀前半にはブレヒトやメイエルホリドが歌舞伎、能、京劇などからインスピレーションを得た。20世紀後半においては、アジアの伝統芸能の技術を実地に学びつづけているアリアーヌ・ムヌーシュキン(1939~)率いる太陽劇団がその代表格だろう。太陽劇団はさらに作品制作の方法自体を問い直し、劇作家や演出家が提出したヴィジョンを俳優に演じさせるのではなく、全てのメンバーがアイディアを出し合いながら作品を作っていく集団創作を試みていた。宮城さんは大学時代に太陽劇団の作品をビデオで見て、感銘を受けたという。

今回の『イナバとナバホの白兎』では、宮城さんとしてもSPACとしてもはじめて、テクストも含めた集団創作を試みている。宮城さんは『マハーバーラタ』を上演したことで、個人としての作者が書いたのではない神話的物語の可能性に興味をもつようになったようだ。伝統芸能においても、往々にして作品は個人としての「作者」ではなく、一定の集団に帰せられる。つまり、これもまた伝統芸能に学ぶことの延長線上にあるともいえる。これによって、西洋近代において発展した「天才的な作者の個人的ヴィジョンを表現する」というモデルでは捉えきれない世界の複雑さ、多面性、大きさをより体感していただくことができるようになるかも知れない。

より暮らしやすい土地を求めて人類は移動を繰り返し、大地を埋めていった。ここ数世紀のあいだ、人類は未曾有の人口増加の時代を経験している。同時に移動と通信の技術も目覚ましい発展を遂げたが、「共に生きる」技術は、なぜか同じだけ発達したわけではないらしい。この種族の寿命があとどれだけつづくかは、この技術をどれだけ磨いていけるかにかかっている。レヴィ=ストロースによれば、「イナバの白兎」の話の原型は、結婚相手を求めて海や大河を越えていった物語らしい。だが、そこには当然、様々なリスクが伴っている。日本列島にたどりついた人々も、北アメリカにたどりついたナバホ族の祖先たちも、そんな様々な危険を冒しながら、なんとか「共に生きる」相手を見つけ、そのための技術を磨いて、生き延びてきた。移動と通信の技術をあえて脇に追いやって、その時・その場を分かち合うことに特化した演劇という方法で、もう一度この古い技術を見つめなおしてみれば、私たちが直面している危機を乗り越える知恵の一端を見つけることができないだろうか。

青葉の茂る駿府城公園で、一緒に食べたり飲んだりしながら、ときに人類の過去と未来にも思いを馳せつつ、春のひとときを分かち合っていただければと思う。

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ふじのくに野外芸術フェスタ2016
フランス国立ケ・ブランリー美術館開館10周年記念委嘱作品
『イナバとナバホの白兎』
5/2(月)~5(木・祝)
駿府城公園 紅葉山庭園前広場 特設会場
◆公演の詳細はこちら
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