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2021年8月29日

【SPAC演劇アカデミー】前期授業の振り返り(前編)

5月から本格的に授業が始まったSPAC演劇アカデミー
今回のブログでは8月上旬までの前期に行われた授業内容を2回に分けて振り返ります。まずは前編です。
 
 
戸田山和久先生の「教養」

前期の授業では、さまざまなゲストが登場して講義やお話をしてくださいましたが、教養の授業第2回目ではなんと、教科書として毎週精読している『教養の書』の著者である戸田山和久先生が、zoom越しに特別授業を行ってくださいました!
この日は、1982年公開のSF映画『ブレードランナー』を題材にしながら、「教養とは何か」を探る授業内容となりました。


▲ zoom上の戸田山先生
 
初めに、戸田山先生はこんな単語を取り上げました。
 
”intertextuality”
「間テクスト性」

 
「テクストはほかのテクストとの関係の中で意味をもつ。テクストは織物の中にある、ということです。」と、あまり聞きなじみのなかったこの言葉の意味を説きます。

それは具体的にどういうことなのか。あらかじめ用意してくださった資料に沿って『ブレードランナー』の内容を説明することで、その真意に迫ろうと試みます。まず、この映画には“film noir”という、1940年代から1950年代にかけてハリウッドで作られた一連の犯罪映画と同じ手法が使われていることを指摘します。ストーリーから映画の見せ方、光と影の映し方など、多くの点において”film noir”をオマージュしているのが、この作品の特徴の一つだと語ります。
 
次に、哲学者デカルトによる非常に有名な一文“I think, therefore I am”「我思うゆえに我あり」が引用されているシーンがあると紹介しました。難解なこの言葉の意味を、戸田山先生はパワーポイントを用いて図示しながら、順序立てて解きほぐしていきます。

さらに別のとあるシーンを見せ、疑問に思った箇所は無いか生徒に質問します。挙げられた疑問点を一通り聞いた戸田山先生は、一見よくわからないこのシーンは、実は聖書の一説を再現していたのだと種を明かしました。それらをふまえて、登場人物の一人がデカルトの思想や聖書の中で語られる「神」と照らし合わされていることなどを教えてくださいました。こうして『ブレードランナー』という一つの作品の中にちりばめられた、他のテクストたちとの関係性を丁寧に説明しているうちに、あっという間に時間が過ぎていきました。
 
「豊かな知識と、知識を大きな座標系に置き互いに関連づける能力+much more」
戸田山先生は最後に、教養をこう定義づけました。
 
「普段受けている宗教の授業が美術作品や映画につながっているのを感じると、それらがより色鮮やかに見えてくる」という生徒の感想に対しては、「作り手はものすごく工夫して深みを持つように作品を作っている。それを通り一遍の薄っぺらい理解で観たら、作ってくれた人に失礼な感じがする。色鮮やかに作品が見えてくると、人生が豊かになるよね。」と応答。「そしてそれは作品に対する敬意の払い方だと思う。見る側はそれなりの努力をしないといけないんじゃないかな。」と、これまで数多くの作品に触れ、敬意をもって接してこられた戸田山先生ならではの視点で、観客としての作品の関わり方について持論を述べられていました。

「次回はぜひリアルの場でお会いしたいですね」と最後に一言残されて、この日の特別授業は幕引きとなりました。
 
 
大岡淳の「演劇史」

劇作家・演出家であり、SPAC文芸部に所属する大岡淳は演劇史の講義を担当しました。
「皆さんがこれから演劇の歴史や過去の作品に興味を持ち、背景を勉強したくなったときに役に立つ枠組みだけ提供します」とはじめに述べた通り、日本・西洋演劇の通史が、2時間という限られた時間の中でコンパクトにまとめられた内容となりました。授業を聴いていた宮城も「SPACの俳優・スタッフもこの授業を受けた方が良い」とのちに語っていました。

自己紹介もそこそこにホワイトボードの前に立ち、マジックペンを片手に日本芸能の起源とされる伎楽・雅楽・舞楽について話し始めます。その3つを起点に、海外の影響を受けながら発展していく伝統芸能の変化をあっという間にさらっていき、近代演劇…アングラ演劇…鈴木忠志…そしてSPACと、現代までの日本演劇史の系譜をたどります。

 

▲ ホワイトボードを使って説明をする大岡
 

これら一連の芸能のほとんどが、今も古来の形を残した状態で演じられ、それを観劇できるのは日本ならではの文化であり、海外の人からは「演劇の博物館みたいだ」と驚かれるのだとか。
そんな日本が明治以降に手本とした諸外国の歴史はどうなっているのかと、大岡の話はすぐさま西洋へと移行します。高校時代、世界史の教科書の中で歴史の大枠が「古代/中世/近代」の3つに区分されている理由を知りたかったという大岡は、その3区分には価値判断が含まれているという説を展開します。すぐれた文明が栄えていた「古代」をものさしにして「過去(=中世)と現在(=近代)はどちらがマシか」を比較するために、ルネサンス期にできた区分方法なのだという、ある歴史家の説を補強し、かみ砕いて教えます。

近代人が自分たちの生きる時代を肯定するために作られたという時代区分。西洋演劇史において「近代」は、シェイクスピアやモリエールの誕生、そして、貴族から市民への観客層の変化など、今日の我々がイメージする「演劇」が成立した時代であることを紹介していきます。高校で使っている世界史の教科書を手元においた生徒たちは、大岡の説明にあわせてページをめくり、普段の授業とは一味違う説明を受けながら教科書をのぞいていました。
 

2回目の授業では、『オイディプス』『ハムレット』『人形の家』『ゴドーを待ちながら』『三文オペラ』と、西洋の名作のあらすじをさらいながら、それぞれの戯曲をワンシーンずつ音読してみました。「同じ作品でも翻訳家の解釈によってテキストがまったく変わる」という大岡の話の通り、大岡訳『三文オペラ』(共和国)の同じシーンを違う翻訳で声に出してみたとき、その雰囲気が大きく異なることを生徒たちは身をもって感じていました。大学や塾でも講師を務める大岡の軽妙な語りによって、壮大で複雑な演劇史の流れがストンと整理される授業でした。


▲ 戯曲を読み比べる生徒たち
 
 
戸﨑裕子先生・文葉先生の「歌の指導」

音楽青葉会・静岡児童合唱団主宰の戸﨑裕子先生、文葉先生には三回にわたり「歌」の特別講義を行っていただきました。

文葉先生は毎回の授業の導入として、自分の身体を「歌いやすい身体」に変換するために、脳を活性化させる体操「ブレインジム」を教えるところからはじめます。
先生ご自身が留学時代に教わり、身体を見つめなおすきっかけになったというこの体操。文葉先生は各運動の意図を科学的に説明しながらも、「理解しなくていいから、とにかく真似をして」と、考えるより先に身体を動かすように生徒を誘導します。「歌うときに一番大事なのは呼吸。吸った息を自分でコントロールできると良い」と、体操の中で生徒たちは、普段意識がおよびにくい自分の姿勢や、呼吸の仕方をあらためて見つめなおしていきます。
 

▲ 「ブレインジム」を教わる生徒たち
 
丁寧に、時間をかけて身体を起こしてから、裕子先生メインの歌唱指導に移ります。

普段の授業で使う楕円堂の舞台よりもいっそう広い芸術劇場のリハーサル室の中を目いっぱい広がって、衝立を互いの間に置いて距離を保ちながら、ピアノの前に立つ先生を囲んでのレッスンです。3回の授業で、毎回歌う曲目は異なりました。「歌のルーツ」とされる『グレゴリオ聖歌』、ルネサンス期にイタリアで作られた『アマリッリ』、そして20世紀に詩人として活躍した三好達治が終戦直後に書いた詩にメロディーをつけた『鴎』と、各回、趣の異なるセレクトでした。生徒たちは一人ひとり手渡された初見の楽譜を見ながら、裕子・文葉両先生に続いて、見よう見まねで声を出していきます。裕子先生は、生徒の歌う様子を観察しながら、気づいたことを即座に指摘していきます。「下あごをだらっとさせて」「身体の力を抜いて」「もっと楽に、考えすぎず」と、生徒の身体状況を的確に見抜き、修正します。「針の穴に糸をスーッと通してみて」「宇宙から地球にむかって歌ってみて」と、射程を広げたユーモラスな指導にも、生徒の身体は敏感に反応していました。
 

▲ 裕子先生による歌唱指導
 
両先生の、豊かな知識と技術を駆使した熱血指導を受ける生徒たちは、普段の呼吸の仕方、身体の使い方との違いに苦戦しながらも、歌うことを目いっぱい楽しみ、先生方からはその歌声をしきりに褒められていました。
 

「大岡さんが話していた古代/中世/近代の話と、戸﨑先生の授業で歌った『グレゴリオ聖歌』と『アマリッリ』は非常に関連しているので、解説させてください。」
戸﨑先生による授業を終えると、後ろで授業の様子を見つめていた宮城がふと生徒たちに語りかける場面も見られました。
 
「中世と近代の違いが『グレゴリオ聖歌』と『アマリッリ』なんです。これは僕にはものすごく違う。グレゴリオ聖歌は「祈り」。アマリッリは「欲望」。わかりやすく言うと、『グレゴリオ聖歌』は「神様、わたしを愛してください」。『アマリッリ』は「恋人よ、わたしを愛してください」。自分の肉体をはるか彼方にもっていこうとするのが「祈り」で、今の自分の身体を気持ちよくしようとするのが「欲望」。ルネサンスは肉体が神様から解き放たれて自分のものになった時代。言い換えれば中世まで肉体は神様のものだった。近代以降、肉体は自分のものになった。だから、歌うときに自分の身体を気持ちよくしようっていう歌が生まれてきたんですね。」

歴史的・宗教的な意義を説明しながら宮城自身の感じ方の違いを語り、異なる授業と授業を結びつけていました。
 

▲ 宮城による解説も
 
 
前編はここまでです。
次回は、SPAC俳優・貴島豪による実技の授業、そして通常授業を振り返ります。(後編に続く。)