「20歳でコロンビアからフランスに渡った。
知り合いもいない、文化も知らない土地。
だが、ラテンアメリカからヨーロッパへと、文化を伝達する「旅」によって
自分の中に新しい文化がもたらされた。
そして今、それが日本に繋がったのだと感じる。」
これは、オマールが静岡県立大学「ヨーロッパ文化論」の授業に登場したときに話した言葉です。
コロンビアの首都、ボゴタ。
フランスの首都、パリ。
スイス第2の都市、ジュネーブ。
そして、スイスきっての多民族の町、ルナン。
オマール・ポラスが歩いてきた人生の舞台は、それぞれがユニークで、独特の輝きを放っています。
「人生が変わるのを待っているあなたのための」という長〜い煽り文句で『私のコロンビーヌ』の魅力をお届けするブログ記事、後編です。前編に続き、制作部新人の豊島が執筆しています。
ボゴタ、パリ、ジュネーブ、ルナン。
土地と文化とは分かち難く結びついています。
であるならば、生きる土地が変わることは、生きる文化が変わること。
ひいては、そこで生きる自分の人生が変わること。
なんて感じたりするのは、私自身がつい最近、東京から静岡へと引越してきたばかりだからかもしれません。
「人生をつくりかえてしまう男」オマールの秘密とは、土地から土地へ、文化から文化へと旅することにあるのかもしれない…そんな仮説をもとに、後編ではオマールがその足で踏みしめ歩いてきた土地と、オマールの人生について少しだけご紹介します。
①ボゴタ:オマールが生まれた土地。
オマールの出身はコロンビア、その首都ボゴタ。
標高2640mに位置するその街は、図書館や大学が多いことから、文化の中心という意味で「南米のアテネ」とも呼ばれているそうです。
赤道のすぐ近くに位置していながらも、高山性気候のおかげで年間通して気温は穏やか。
2020年時点での首都圏人口は、なんと1000万人にも達するというメガシティです。
『私のコロンビーヌ』では、彼が20歳までにコロンビアで過ごした人生の断片が、ユーモアたっぷりに、時に詩的に振り返られています。
②パリ:オマールが憧れ、海を超えて飛び込んだ土地。
花の都パリ。
そこでオマールはルコック演劇学校とパリ第三大学演劇科へ通いました。
ルコック演劇学校(École Internationale de théâtre Jacques Lecoq)は数多くの著名な演劇人を輩出してきた学校です。身体表現を通じた演劇教育が有名なこの学校へは、演劇を志す若者が世界中から集まります。
オマールは地下鉄で人形劇を上演して生活費を稼ぎながら、学校と大学へ通ったんだとか。めちゃくちゃタフですよね。
『私のコロンビーヌ』では、言葉も違う、文化も違う、知り合いもいないフランス・パリでオマールが経験した、人生の転機についても語られます。
③ジュネーブ:オマールが劇団を立ち上げた土地。
スイス第二の都市、ジュネーブ。
かつて国際連盟の本部が置かれたこの街は、ヨーロッパ有数の世界都市。スイスの公用語は4言語ありますが、ジュネーブはその西端にあってフランスとも近く、フランス語が多く話されています。
オマールはここで、なんと郊外の廃屋(!)をアトリエに改装し、自身の劇団「テアトロ・マランドロ」を立ち上げ、以後スイスを拠点として活動します。
演劇人としてのオマールの本格的なキャリアは、ここから始まったと言えるかもしれません。
④ルナン:オマールが芸術監督を務める劇場がある街。
ルナンは、住民の半数以上が100カ国以上からの外国人居住者という、多民族な街です。
ジュネーブよりは少し東、レマン湖の北に位置しています。
オマールはそこにある劇場「TKM Théatre Kléber-Méleau」の芸術監督を2014年から務めています。2017年には、オマールとSPACで創作した『ロミオとジュリエット』のスイス公演が、この劇場で行われました。
コロンビアにルーツを持ち、フランスで学び、スイスを拠点にして、演劇作品をつくり続けているオマール。
土地から土地へ、文化から文化へと旅してきたオマールの人生が語られる『私のコロンビーヌ』をみればきっと、「人生が変わるって、こういうこと?」と思えるようなヒントが見つかるはずです。
ぜひ見逃すことなく、オマールと出会いに静岡へ、SPACへいらっしゃってください。
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『私のコロンビーヌ』
公演日時:2022年5月3日(火・祝)14:00、4日(水・祝)13:00開演
会場:静岡芸術劇場
上演時間:80分
上演言語/字幕:フランス語上演/日本語字幕
座席:全席指定
演出:オマール・ポラス
製作:アム・ストラム・グラム劇場、TKM クレベール=メロー劇場
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