こんにちは。
『象』Blog3回目では、制作部・内田から本作の題材である「被爆者」について、少しお話させていただきます。法律のことなど少し難しい点もあるかもしれませんが、何卒ご容赦ください。
(※なお『象』戯曲では「ヒバクシャ」と表記されていますが、本ブログでは「被爆者」で統一します。)
本作の担当ではない私がなぜ被爆者についてお話しするのか、それは、私が社会人になって最初に担当した業務が「原爆被爆者援護」だったからです。
と言うと、大抵の方は「静岡県にも被爆者がいるんですか?」と驚きます。元々静岡出身で軍に召集され、広島駐留の部隊にいて被爆した方、戦後に就職や結婚等で静岡に移り住まれた方、理由は様々ですが、静岡県には2024年3月末現在で342人の被爆者がいらっしゃいます。
ここまで私は「被爆者」という言葉を普通に使ってきましたが、ここで言う「被爆者」は、〈「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(※以下「援護法」と言う)で定める条件に該当し、被爆者健康手帳の交付を受けた方〉です。
その交付条件は、端的には以下のとおりです。
① 直接被爆者(原爆投下時、当時の広島市もしくは長崎市内、および隣接する特定の区域内にいた方)
② 入市被爆者(原爆投下から2週間以内に爆心地から概ね2km以内の区域に入った方)
③ 救護等被爆者(①②以外で、原爆の影響を受けた者(不特定多数の救護活動や遺体の火葬等に従事した方))
④ 胎内被爆者(①②③の被爆者の胎児であった方)
この援護法に基づき、広島市・長崎市および各都道府県は、被爆者に対し健康診断や医療、手当、介護など様々な施策を行っています。
被爆者援護業務の中で最も重かったのは、“その人が援護法で定める「被爆者」であると認定する”「被爆者健康手帳の交付」でした。
私が担当していた当時でも、年に3~4件の手帳交付申請がありました。援護法の存在を知らなかった、これまで幸いにも健康に大きな問題がなかったから手帳を必要としてこなかった、被爆体験を誰にも言いたくなかった…など理由は様々ですが、申請者の誰もが切実に“今”手帳を必要としていました。しかし当時で既に戦後55年以上が経過し、申請者の記憶が曖昧だったり、被爆事実を証言してくれる方が見つからなかったり…手帳交付に必要となる「申請内容の事実関係の証明」が、年々難しくなっていました。
申請者に直接会ってお話を聞いたり、その内容の裏付けのため広島市・長崎市に問い合わせたり、各都道府県や被爆者団体を通じて証言者を探したり…手帳交付は被爆者援護対策の根幹であるとともに申請者の人生に大きく関わることです。責任の重さとともに、申請者一人一人の被爆体験は今でも強烈に記憶に刻まれています。嬉野海軍病院の軍医で被爆者の治療に当たられた方、広島の陸軍船舶通信補充隊に所属していて兵舎で被爆された方、長崎のトンネル工場で被爆された方、原爆投下後の広島に母親と入市して被爆した方、復員に際し広島と長崎両方に入市した方…皆さん思い出したくも話したくもない悲惨な体験を、懸命に伝えてくださいました。
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私には被爆者援護を担当している時、もう一つ忘れられない出会いがありました。
出張で訪れた広島平和記念資料館でピースボランティアをされていた被爆者・細川浩史さんとの出会いです。資料館の入口から出口まで、2時間近くずっと案内してくださいました。
浩史さんご自身は、爆心地から約1.3km、広島逓信局で被爆されました。また、広島県立第一高等女学校(現 広島県立広島皆実高等学校)1年生だった最愛の妹・森脇瑤子さんを亡くしています。瑤子さんは爆心地から約800m、小網町付近での建物疎開作業中に被爆し命を落としました。瑤子さんをはじめ生徒たちの残した日記を基に、NHKがドキュメンタリーアニメーション「夏服の少女たち」を制作していますので、ぜひご覧になってください。
▲浩史さんからいただいた葉書は、必ずご自身が鎮魂を込めて撮影した写真でした。
長年国内外で自身の被爆体験、妹・瑤子さんのことを語り続けてきた浩史さんですが、昨年11月に95歳で亡くなりました。浩史さんの被爆体験は、ご長男の細川洋さんが家族伝承者として語り継いでいます。
被爆者の平均年齢は85歳を超え、被爆体験をお話できる方は年々減少しています。被爆者のいない未来、被爆の実相を如何に次世代に伝えていくのか━━広島市では、被爆体験等を受け継ぎ、それを伝える「被爆体験伝承者」、また家族の被爆体験等を受け継ぎ、それを伝える「家族伝承者」の養成に力を入れています。洋さんは、家族伝承者の第1期生です。
今夏、私は洋さんにお会いするため、数年ぶりに広島を訪れました。
浩二さんが被爆した旧広島逓信局跡地、瑤子さんが被爆した小網町電停付近、広島県立第一高等女学校の慰霊碑、保存の決まった旧広島陸軍被服支廠、現在郷土資料館となっている旧陸軍糧秣支廠…これらをはじめ多くの慰霊碑や被爆建物が今でも広島の街のいたるところに残っており、79年が経った今でも「原爆」が日常のすぐ傍にあるのだと感じました。
旧広島逓信局 正面階段が保存されています。隣接する逓信病院(資料館として一部が保存されています)には原爆投下直後から多くの被爆者が押し寄せました。
広島電鉄小網町電停 瑤子さんはこの付近で被爆しました。
瀕死の大やけどを負った瑤子さんは、この鉄道橋を渡ったところで救護トラックに収容されたそうです。
広島県立第一高等女学校慰霊碑 当時の校門の門柱が保存されています。1年生223人をはじめ、297人の生徒・教員が犠牲になりました。
旧陸軍被服支廠 窓の鉄枠が爆風で曲がっています。
旧陸軍糧秣支廠 牛肉の大和煮の缶詰をつくっていたそうです。戦後、松尾糧食工業㈱(現カルビー㈱)の製菓工場として利用されました。今は一部が郷土資料館として保存されています。
このたび、『象』公演に先立ち、洋さんをお招きし、静岡大学にて「家族伝承者による被爆体験を聞く講話」を開催することになりました。併せて、『象』出演俳優による本戯曲のリーディングや演出家EMMAのファシリテーションによる質疑応答の時間も設けます。
国際情勢の緊迫化により核兵器の脅威が高まる一方、原爆投下から79年が経過し、その惨禍は遠い歴史上の出来事になりつつあると感じます。そのような中での日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞受賞は世界に大きなインパクトを与えました。この機会に改めて「平和」について一緒に考えてみませんか?皆様のご参加をお待ちしております。そして、ぜひ広島・長崎を一度訪れてみてください。
原爆ドーム
原爆の子の像
(SPAC制作部・内田稔子)
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【平和学習プログラム】
~家族伝承者による被爆体験講話を聞く~
◎日時:2024年11月28日(木) 13:00-14:30(12:45 開場)
◎会場:静岡大学 静岡キャンパス 共通教育L棟 201
※公共交通機関をご利用ください。自家用車の入構はご遠慮ください。
◎対象:大学生及び一般の方
◎定員:50名
▼お申し込みはこちらから(当日参加も歓迎!)
https://forms.gle/51vvrRN8VVPiq6h56
▼講話の詳細はこちら
https://spac.or.jp/news/?p=24647
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SPAC秋→春のシーズン2024-2025
#2『象』
演出: EMMA(旧・豊永純子)
作:別役実
出演:阿部一徳、小長谷勝彦、榊原有美、牧山祐大、吉植荘一郎、渡辺敬彦[五十音順]
<静岡公演>
SPAC秋→春のシーズン2024-2025 #2
12月7日(土)18:30開演/8日(日)・14日(土)・15日(日)各日14:00開演
会場:静岡芸術劇場
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