2014年4月25日

【マハーバーラタ〜ナラ王の冒険〜】『マハーバーラタ』 空間から場所へ(四方田犬彦)

 場所placeと空間spaceとは違う。
 空間には記憶がない。三次元世界のなかにあって、何も占有するものがないために、空虚となっているところを、人は空間と呼ぶ。たとえば映画は空間がなければ上映されない。しかしその空間が固有のものである必要はない。
 場所とは本来的に固有のものだ。場所とは来歴(いわれ)をもち、何かの形で根拠づけられた空間である。では、どのようにして、それに根拠を与えるのか。かつて人々は神話を物語り、儀礼を執り行うことを必要とした。神話が人間の物語にとってかわられると、場所はひとたび恒久の神聖さを見失ってしまう。演劇が誕生したのは、このときである。何かが度重なって演じられることで、空間は記憶を少しずつ蓄積し、ふたたび場所へと変容していく。演劇とは、互換性のある空間に固有の体験を与え、上演の一瞬においてではあるが、それを掛け替えのない場所へと作り変えていく行為である。 Read the rest of this entry »


2014年4月24日

【ファウスト 第一部】レジェンド〈ファウスト〉(谷川道子)

 「ファウスト」はどこが何故レジェンドで、何がそんなにすごいのだろう。

 まずはそもそもが、ファウスト博士(1480―1536または―1539)は実在したといわれ、医術や占星術に携わり、祈祷師で医者で魔術師、人文主義的知識をもった錬金術師でいかさま師で女たらし、とされて各地を遍歴し、さまざまな足跡を残しつつ、尾ひれもついて伝説を生みだし、それが16世紀末から数多くの民衆本や人形劇に姿を変えた。神の白魔術に対して、悪魔の黒魔術とも契約を結び、享楽と冒険と知識と欲望の限りを求めた遍歴の果てに神にそむいた罰で破滅する、中世から近世に向けての民衆のエネルギーと想像力が生みだした文字通りのレジェンドのシンボル像だ。 Read the rest of this entry »


【ジャン×Keitaの隊長退屈男】陶酔を拒む肉体(平野暁人)

 「明けない夜はない」という表現が嫌いだ。だって、暮れない朝もないから。
 それでも、そんな定型句に一縷の望みを仮託して心をサバイブさせねばならぬほど追いつめられていたのである。この『ジャン×Keitaの隊長退屈男』には。
 初めて本作に触れた日、それはすなわち初めて作・演出のジャン・ランベール=ヴィルドと会った翌日だったのだが、主演の三島景太さんとの顔合わせを兼ねた食事会の場で手渡された分厚い原稿にはまだ別の方の手になる別の日本語訳が与えられたままだった。公演日はおろか企画自体が実現するのかすら誰にもわかっていない状況で、ジャンだけがひとり、2010年秋に初めてSPACを訪れた際たまたま観劇した『わが町』(今井朋彦演出)で三島さんを発見したときの想い出、運命の出会いを実感したその衝撃について熱病に浮かされたように語り続けていたのを覚えている。 Read the rest of this entry »


【よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン】官能と内省――テアトロ・デ・ロス・センティードスの芸術(武藤大祐)

 舞台を見に出かけて、「今日はいい芝居を見た」とか「今日のはもう一つだった」とか、そういう次元に到底収まらない、精神に突き刺さるほどの体験をしてしまうことがまれにある。一時の興奮や充足感などではなく、翌日からの自分の生き方に多少とも変化をもたらすような、忘れがたい出来事になることがある。
 もちろん運さえ良ければ、作る側と観る側とのたまさかの巡り合わせで、そうしたことは起きるといえるかも知れない。しかしそんな確率の問題ではなく、あくまでも意図された芸術上の手法として、観客個々人のプライヴェートな心の琴線を震わせることのできる表現者たちも少数ながら存在する。 Read the rest of this entry »


2014年1月14日

【真夏の夜の夢】『野田版 真夏の夜の夢』——「知られざる森」の「知られざる物語」(田中綾乃)

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 シェイクスピアの作品は数多あれど、その中でも『真夏の夜の夢』(※註)と聞くと、心躍るものがある。第一に、タイトルにもあるように、この作品が<現実>ではなく、<夢>の物語であるということ。第二に、作品の舞台であるアテネ近郊の森で活躍する悪戯好きの妖精パックの存在。第三に、この物語が二組の男女の恋の行方を描いていること。そして、幻想的な夜の森の舞台に散りばめられた美しい詩的な台詞と共に、妖精と人間たちが織りなす真夏の夜の夢。何ともロマンティックでファンタジーに溢れている。
 この作品が執筆されたのは1590年代の半ば。17世紀を目前にしたヨーロッパでは、自然科学の発展に伴い、理性に重きを置いた近代が幕を開けようとしていた。よく言われるように、『ハムレット』(1600)には、デカルトの近代的自我を先取りした悩める主人公が登場する。“万の心を持つシェイクスピア”は、人間の心に潜む欲望や野心、嫉妬からの悲劇を描写するが、そのような中で『真夏の夜の夢』は、妖精と人間との戯れという前近代的な雰囲気を色濃く残す宮廷喜劇として描かれたのである。
 それから約400年後。近代化した東アジアの島国でひとりの演劇人がこの作品を潤色していた。そして、21世紀を目前にした1992年の夏、日生劇場にて初演されたのが『野田秀樹の真夏の夜の夢』(以下、『野田版』)である。野田秀樹によって料理されたこの作品では、異国の貴族たちの物語が日本の割烹職人たちの物語に、アテネの森は富士山の麓の「知られざる森」にすり替わっている。そして、駆け落ちするライサンダーとハーミアは、板前ライとときたまごに。ハーミアを追う婚約者のデミートリアスは板前デミ、これを追う元恋人のヘレナはそぼろと役名もすり替わる。
 原作では、森に迷い込んだ若者たちに妖精パックが間違って惚れ薬を塗ることで、二人の男がヘレナを巡って大騒動となる。『野田版』では、この筋を継承しながらも、騒動を起こす引き金として悪魔のメフィストフェレスを登場させる点が巧みだ。原作では重要な役回りである妖精パックも、『野田版』ではメフィストによってすり替えられてしまう。メフィストは、人々が「コトバにならず呑み込んだコトバ」—例えば、欲望や野心、憎悪や嫉妬の感情など—を契約によって実現させていく。そして、メフィストの企みは、人間たちの憎悪を増幅させることで、妖精が棲む「知られざる森」を焼き尽くすことである。
 「知られざる森」とは、「人が置き忘れた知られざること」、言い換えれば大人になったら忘れてしまうことが「富士の山ほどある」森である。この意味で、「知られざる森」とは、まさに<ワンダーランド>であり、<ネバーランド>でもある。そして、この森を焼き尽くすということは、人間の<夢>をバクのように食い尽くすことである。
 『野田版』は、メフィストを登場させることで、原作の『真夏の夜の夢』までをもあらぬ方へすり替えようとする。原作を知る者としては、この物語の行く末にハラハラするが、この換骨奪胎こそ劇作家・野田秀樹の真骨頂とも言える。終盤、『野田版』では、『不思議の国のアリス』のごとく、誰がこのメフィストを森に呼んだのか「最後の証人」を招く。ここで明らかになるのは、この<真夏の夜の夢>を見ていたのは、他の誰でもないそぼろであったということである。そぼろは、この夢が自分の呑みこんだコトバ(願望)から作り出されたものであることに気づく。原作のヘレナは、どんなにデミートリアスに邪険にされても、忍耐強く、従順な女性である。しかし、『野田版』では、原作では決して明らかにされなかったそぼろ(ヘレナ)の心底に迫ることで、この物語をそぼろ(ヘレナ)の欲望から紡ぎ出された夢として呈示するのである。
 だが、この欲望の物語は悲劇ではない。いつしか希望の物語へとすり替わっている。メフィストと結んだ目に見えない契約は、目に見えない力で破棄するしかない。その目に見えない力とは「お話」=物語である。妖精の女王タイテーニアは「人間が呑みこんだコトバはゴミばかりではない」と言って、そぼろに美しい物語を語らせることで、メフィストの心を癒し、涙の雨で森の火を鎮める。同時に、そぼろの目に見えていた妖精たちは、見えない存在となる。美しさと切なさで溢れるこの場面は、実に詩的であり、コトバ(物語)に託す劇作家の想いを汲み取ることができる象徴的な場とも言える。
 このように大胆な書き替えと卓越した言葉遊びのセンスによって、『野田版』は原作を越え出た重層的なイメージを伴う美しい物語へと生まれ変わった。そして、21世紀を跨いだ2011年、富士の麓の静岡芸術劇場において、この「知られざる物語」が蘇った。折しも、3.11後の上演となったわけだが、宮城聰の演出は、薄暗い森の中に一筋の光を当てるような祝祭劇を展開した。SPACの俳優たちの身体によって奏でられた美しいコトバ(詩)と音楽は、観客の心を躍動させたのだった。
 思うに、近代化の推進とその極限にいる現代の私たちにこそ、コトバの力や物語の力を再認識させる壮大なファンタジーが求められている。そんなことを気づかせてくれる作品である。

(※註)
原題の“A Midsummer Night’s Dream” のMidsummerは、夏至を意味する。ヨーロッパでは、キリスト教の聖ヨハネの祝日に夏至祭が行われるが、Midsummer Nightとはその前夜を指す。前夜祭では、人々は一晩中、焚火をたいて踊り、お祭り騒ぎをすると言う。また、この日に摘む薬草は、不思議な力を発すると考えられている。それ故、Midsummer Nightとは、一年の中で最も短い夏の夜の間に繰り広げられるドタバタ騒ぎ、そして不思議な出来事が起こる儚い夜を意味するのである。

【筆者プロフィール】
田中綾乃 TANAKA Ayano
三重大学人文学部准教授。専門は、西洋哲学、美学。カントの哲学研究を行う一方、演劇批評にも携わる。現代劇の批評を中心にしながら、現在では文楽や歌舞伎の見どころ解説を筋書や講座などで担当。


2013年12月14日

【忠臣蔵】「忠臣蔵」のいのち(犬丸治)

 去年公開された、『47 RONIN』という映画にはたまげました。ハリウッドも遂に「忠臣蔵」を取り上げたんですね。大石内蔵助を筆頭とする四十七士の吉良邸討入りは、海を超えて、もはや世界の物語となりました。
 でも、今や日本人の方が「忠臣蔵」を知らないのではないでしょうか。日本映画黄金時代には「定番」でしたが、最近テレビではご無沙汰ですからね。しかし「忠臣蔵」は、今回平田オリザが描いたように、上は社会全体から、私たちの勤める会社、家庭にいたるまで、ピラミッド的日本の上下社会には必ず埋め込まれているDNAなんです。ですから討入り後300年経った今でも生命を失わないんですね。
 皆さん、「忠臣蔵」とごく普通にこの言葉を使っていますが、元禄15年(1703)の討ち入り事件はあくまで「赤穂義士事件」です。当時の劇界は人形浄瑠璃(いまの文楽)が名作者近松門左衛門を擁して日の出の勢いで、歌舞伎は脚本などまだまだ幼いものでした。しかし両者とも、事件直後から、何度か脚色して舞台にかけています。江戸時代は同時代の事件をそのまま脚色するのが禁じられていましたから、「小栗判官」「太平記」の時代背景を借りたのです。
 その集大成が、寛延元年(1748)8月、大坂竹本座で初演された人形浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」です。これが古今の大当たりを取り、直ちに歌舞伎化されたのです。
 「仮名」はいろは四十七文字=四十七士で武士の「手本」、「忠臣蔵」でちゃんと大石内蔵助を織り込んである。良く出来た題名でしょう。この人形浄瑠璃・いまの文楽がなければ「忠臣蔵」という言葉は無かったのです。先ごろ大阪の市長さんが、吉良みたいに文楽をネチネチ虐めていましたけれど、市長さんはきっとこうした地元道頓堀の誇らしい歴史をご存知なかったのでしょう。
 平田オリザ「忠臣蔵」のテーマは、浅野内匠頭刃傷以降の大石以下赤穂の人々の動揺ですね。「仮名手本忠臣蔵」は、全十一段構成ですが、「三段目」が刃傷、俗に「喧嘩場」と言い、「四段目」が塩冶判官(浅野内匠頭)切腹、城明け渡しになっています。
 史実では凶変の5日後早朝、第一の使者が国許に刃傷を、深夜には第二の使者が切腹の報をもたらし、城内騒然となります。評定は切腹、籠城、開城と揺れ、刃傷から約1ヶ月後には城明け渡し。それ以前には、同志の間で血盟が交わされました。これが近代劇として劇化されると、真山青果の名作「元禄忠臣蔵」のように「江戸城の刃傷」「第二の使者」「最後の大評定」と、三部に分けられます。ところが、「仮名手本忠臣蔵」だと、それを鎌倉扇ヶ谷の塩冶判官の邸という一場面の一日の出来事として凝縮してしまう。そこが、日本の古典芸能・文芸の大胆さ、力強さです。史実は江戸と赤穂ですけれど、「忠臣蔵」では判官が九寸五分を腹に突き立てた瞬間、国許の伯耆から大星由良助(大石内蔵助)が襖踏み開け駆け込んできます。判官は大星に九寸五分を手渡し「汝にか、た、み」と敵討せよと匂わせて息絶えます。何とも劇的なシチュエーションではありませんか。
 浄瑠璃本文の「評定」は、城を枕に討死の千崎弥五郎と、異議を唱え席を立つ斧九太夫のやりとりだけであっさりとしたものですが、これが歌舞伎になると、一気に膨らみます。判官の遺骸を光明寺に送ったあと沈思する大星に九太夫が御用金配分を知行高割りにしろ、と毒つく一方、若侍たちを懐柔する。血気にはやる彼らを大星が朗々たる弁舌で「まだ御了見が若い、若い」と止める。みな、歌舞伎の工夫です。
 平田オリザも登場人物に言わせているように、事件当時すでに泰平に慣れ、「武士道」というアイデンティティ自体忘れられていました。浄瑠璃「忠臣蔵」は、いわば理念としての「武士道」を再現したものでした。それを歌舞伎で生身の人間が演じた時、御用金配分という物欲、諸士の苦悩、指導者大星の熟慮という、より生々しい感情が肉付けされていったのです。
 さらに時代が下がり、鶴屋南北は「東海道四谷怪談」を書きました。「忠臣蔵」の外伝で、お岩を苛め抜く民谷伊右衛門は塩冶(赤穂)の脱盟浪人という設定。「いまどき敵討ちなんて古風だ」とうそぶきます。
 平田オリザの脚本は、浄瑠璃・歌舞伎の様式から自由に解放され、子供の道場(塾)はじめ何気ない日常が破綻し、仕官再就職・籠城・討入に心揺れる人を描いています。
 しかしそれは、そもそも「忠臣蔵」という極限状況を描き切った浄瑠璃・歌舞伎が本来持つ普遍的ないのちなのです。
 私たちのこの日常ですら、赤穂の人々と同じくいかに儚いものであるか。私たちはそれを3・11の震災で思い知ったではありませんか。

【筆者プロフィール】
犬丸治 INUMARU Osamu
1959年生まれ。演劇評論家・歌舞伎学会常任委員。「読売新聞」「テアトロ」に歌舞伎評執筆。著書に「市川海老蔵」(岩波現代文庫2011)ほか。


2013年11月13日

【わが町】開戦3週間前の『わが町』(水谷八也)

 1938年2月、ソーントン・ワイルダーの『わが町』はブロードウェイのヘンリー・ミラー劇場で幕を開ける(といっても、最初から幕は開いていたが・・・)。後のワイルダーの芝居が常に賛否両論を招くように、『わが町』も完全な裸舞台という過激さゆえに評価は大きく分かれたが、春にはピューリッツァー賞に輝き、次第にアメリカを代表する戯曲という地位を獲得していく。以後数年間で、『わが町』は世界中で翻訳され、地球上で『わが町』が上演されていない夜はない、とまで言われるようになる。
 ブロードウェイでの幕を閉じるのが38年11月。森本薫の翻訳『わが町』が演劇雑誌『劇作』の11月号に掲載されるのが翌39年である。当時の状況を考えれば異様な早さである。これが舞台にかかるのが1941年7月。文学座が「勉強会」の名のもと、長岡輝子演出で、築地の国民新劇場において上演した。この短期間の公演は好評で、朝日新聞はこのような良質の舞台を「3日で終わらせるのは惜しい」と書いている。これに応える形で、文学座は9、11月に東京、大阪で上演することを決定した。
 7月の舞台を見て感動し、東京での本公演をもう一度見た若者がいた。東京商科大学(現・一橋大学)の学生だった大串隆作である。大串は演劇研究会のメンバーであり、この文学座の『わが町』をぜひ、国立のキャンパス内にある兼松講堂で上演して、その感動を学友と共有したいと願い、さっそく行動に出る。しかしこの年8月のアメリカによる対日石油輸出禁止以後、軍内部は開戦の方向へと傾き、当時の日米関係は悪化の一途をたどっていた。大串は周到に準備を進める。
 幸い、大学にはリベラルな空気がまだあり、アメリカ文学者の西川正身もいた時代である。大串青年の熱意は教授陣にも伝わり、全学あげて協力体制をとり、また文学座もこれを快く引き受け、11月17日、文化祭の一環として兼松講堂での上演が実現する。公演は大成功に終わり、学生も教員も深い感動に包まれたという。真珠湾攻撃のわずか3週間前のことである。
 一橋での公演の翌日の朝日新聞第一面の中央には、「首、外相 対米決意を明示」という囲み記事が出る。これからその「アメリカ」と戦う運命にあるとおそらくは予感していた学生たちはどのような思いで「アメリカ」を代表するこの芝居を見て、何に感動したのだろう。時代の空気を考えれば、彼らの感動の源泉がこの戯曲の「アメリカ」的な要素にあったはずはない。おそらく彼らは、「アメリカ」を突き抜けた『わが町』の本質に触れたのだと考えざるを得ない。
 長岡輝子の演出助手であった長尾喜又は、「私たちはあの年の日夜ひそかに動員が繰り返される夏の日の重苦しい、逼迫した情勢の中で、また予感される死、危険の恐れの中で、この舞台からしみじみと毎日の平凡な生活の貴さ、人生の意義、価値、悲哀、そして永遠なものを感じ、味わったに違いない」と回想している。「死」は、特に若者にとって、現実問題として目前にあった、すでにアジアに、そしてアメリカ・・・。
 ほとんど劇的なことが何も起こらないこの劇を「つまらない」とか、「感傷的だ」と揶揄する向きもあるだろう。しかし、41年11月17日の兼松講堂での若者たちの感動を笑うことはできない。私たちは素直に彼らの感動を想像すべきだろう。
 「平凡」が奇妙にドラマ化され、すでに「平凡」でなくなっている現在、『わが町』はどんなふうに見えるのだろうか。西川正身は兼松講堂での上演後、一橋新聞に「変転の時流をよそに 静かに生を反省」と題して記事を書き、同僚の神保謙吾は文学座を「多分の純粋性を持っている」劇団と評価した。今回はこの純粋性を受け継ぐ文学座の今井朋彦が、一橋の学生も耳にした森本薫の翻訳を使っての演出となる。日本の『わが町』の原点に戻って、変転の時流をよそに、静かに「平凡」を反省してみたい。

【筆者プロフィール】
水谷八也 MIZUTANI Hachiya
早稲田大学文化構想学部教授(文芸ジャーナリズム論系)。専門分野は20世紀英米演劇。共著に『アメリカ文学案内』(朝日出版社、2008年)、訳書にソーントン・ワイルダー『危機一髪』『結婚仲介人』(新潮社、1995年)など。


2013年10月16日

【サーカス物語】『幼ごころの君を求めて』(河邑厚徳)

 ミヒャエル・エンデの戯曲が静岡芸術劇場で公演されます。東欧の陰影が色濃い『サーカス物語』をインドネシアの鬼才がどう演出するのかワクワクします。エンデは児童文学者という先入観で見られがちですが、幅広い才能にあふれ、近代西洋思想を批判する思想家でもありました。青年時代には舞台に立ち、戯曲も書いていましたが無名でした。エンデが世に出たのは『ジムボタンの機関車大旅行』。大ベストセラーになってドイツ児童文学賞を受賞しました。その後は『モモ』や『はてしない物語』など永遠に残る傑作を書き続けてきました。児童文学と並んで、エンデの創作の大きな柱が『遺産相続ゲーム』や『ハーメルンの死の舞踏』などの戯曲でした。葬儀にはエンデの仕事を代表して、ドイツ・バイエルン地方の方言で書かれた『ゴッゴローリ伝説』が上演されています。
 エンデの死は1995年ですが、私は1989年、NHKスペシャル『アインシュタインロマン』(1991年放送)のプロデューサーとしてミュンヘンを訪れました。シリーズはアインシュタインの相対性理論を映像で表現しようというものでした。時間と空間の新しい関係を明らかにして20世紀の科学技術万能時代の幕を開いた天才の頭脳は何を考え、何を発見したのか。シリーズのうたい文句は「知の冒険」でした。しかし、手放しでアインシュタインを賛美するのではなく、現代文明の功罪も問いかけようとするものでした。『モモ』は理論物理学の時間とは違う、いのちの時間を描いた作品です。アインシュタインをエンデはどう見るのか?
 エンデは企画書を読んで、「私は自然科学の専門ではないし、アインシュタインを批判するつもりはない」と返事をくれました。しかし、「もし私に出来ることがあるとすれば、自然科学的思考が未熟であることを指摘することです」と書かれていました。エンデは、自然科学は、主観と客観を分断することで発展し、その前提に欠陥があると指摘しました。「客観的な真実」からは、研究し、実験し、思考をめぐらせた科学者自身の姿は消えています。その結果、科学者の研究は中立不偏で研究の目的や結果への責任が問われないことになります。
 アインシュタインは、神の謎を解きたいと考え、相対性理論を発見した自由で創造性にあふれた天才です。しかし、第二次世界大戦中には一人のユダヤ人として、ルーズベルト大統領へのマンハッタン計画を推進する手紙にサインをしています。ナチの核開発を憂慮しての行為でした。核兵器や原発を生んだ核エネルギーは、特殊相対性理論がこじ開けた秘密の扉だったのです。科学の中立性は現代の神話かもしれません。地球規模で科学技術の開発競争が進み、国家、大学、企業などが巨額の投資をして成果を求め、特許で保護された研究から膨大な利潤が生まれます。ES細胞、クローン技術、臓器移植、遺伝子操作作物…。未来に何が起こるのかが不透明なままに、何かが暴走しています。エンデは、科学技術はモラルではなく常に成長することを強いるマネーの論理により、牽引されていると警告しています(河邑著『エンデの遺言』より)。この奔流に対抗できるのは人間の新しい想念以外にはありません。
 エンデは繰り返し未来を創造する力の源泉はファンタジーだと語りました。そこにエンデの渾身のメッセージがあると思います。
 「ファンタジーとは現実から逃避する手段であり、どこかで空想的冒険をするためにあると考えられています。しかし私にとってファンタジーとは、新しい観念を形成する、または既存の観念を新しい関係形態に置く人間の能力なのです。現代人にとって具体的なファンタジーを発達させることほど必要なものはないのです。それによって私たちはまだ見えない、将来起こる物事を眼前に思い浮かべることが出来るのです。読書を通じて、または映画、演劇、絵画など創造的能力によってそれをしなければなりません。」(『アインシュタインロマン6』NHK出版より)
 エンデは、近代合理主義に対抗する叡智を東洋思想にも求めました。大乗仏教の唯識論は、人の意識のレベルを八段階にわけて意識の下に、末那識(まなしき)、阿頼耶識(あらやしき)という二つの無意識世界を置きました。それは科学的方法では証明できない、ファンタジーの住処ではないでしょうか。『はてしない物語』で虚無の世界に対抗するファンタージエン国。エンデは、科学の知と様々な民族が生み出した神話の知の統合を夢見て世を去りました。

【筆者プロフィール】
河邑厚徳 KAWAMURA Atsunori
映画監督。女子美術大学教授。東京大学法学部卒業後NHK入局。在籍39年間で『がん宣告』『アインシュタインロマン』『エンデの遺言』などで新しい映像表現を開拓する。『天のしずく 辰巳芳子いのちのスープ』(2012年)はサンセバスチャン、ワルシャワなどの国際映画祭で招待作品に選ばれ全国で上映中。


2013年9月24日

【愛のおわり】『ソクラテスの冗長率』(平野暁人)

 「とんでもない大成功だよ。こんなの初めてだ。頭が追いつかない」
 そんなメールがパスカルから舞い込んだのは、アヴィニヨンの興奮冷めやらぬ2011年8月上旬のことだった。ちょうど7月から休暇と語学研修を兼ねてイタリアの港町に滞在していた私は、パスカル本人から誘われていたこともありなんとか予定を調整して現地まで観に行こうとするも叶わず、仕方なくお詫びかたがた様子伺いのメールを送るにとどめておいたのだが、そこへこの存外浮かれた返信である。
 大成功? あのパスカルの作品が?
 憚りながら、フランス演劇界におけるパスカル・ランベールの経歴とその立ち位置の特異性に少なからず通じている人間にとってこれほど不条理に響くフレーズもないだろう。私自身、パスカルとは『演劇という芸術』『私のこの手で』(ともに2009年11月こまばアゴラ劇場にて上演)以来の付き合いだが、前者では老優が仔犬(本物)相手に延々と問わず語りを続け、後者では完全暗転のなか極小の蛍光灯がひとつまたひとつと灯されてゆきやがて浮かび上がった人間の姿をみれば両性具有、という具合に、いまこうして思い出しながら描写してみてもつくづくカオスである。また翌2010年にここ静岡の野外劇場「有度」にて『世界は踊る〜ちいさな経済のものがたり~』を上演する機会を得た際には、一転して一般参加者を数十人も募りフランス人俳優たちと共に舞台を埋め尽くしてみせた。そんな、常に作・演出を旨とし、自身が芸術監督を務めるジュヌヴィリエ国立演劇センターにおいても新作しか上演させないという徹底したスタイルをとっているパスカルを、コンテンポラリーという枠組みすらもどかしく独自の詩的言語を磨き続けるあのパスカルを、アヴィニヨン中が祝福しているという。頭が追いつかないのはこちらの方だ。
 ほどなくして送られてきたDVDを観て、私は再び絶句した。本気でこれを上演しようというのだろうか。この日本で。不可能だ。まず、これほどのテクストを訳しきれる自信がない。よしんば訳しきれたとして、日本の観客に受け入れられるスタイルだとも思えない。しかしこちらの当惑をよそに日本版の制作準備は着々と進められてゆく。さらにはイタリア、ロシア、アメリカ、クロアチアといった諸外国版の度重なる成功が申し分のない追い風を吹かせる。気がつけば、『愛の終わり』の翻訳を担当していると告げただけでフランス演劇人から一目置かれるほどの作品に育っていた。私はといえば、そんななかでもやはりひとりで途方に暮れていた。2013年1月のあの日までは。
 その日、フランス国内で既に何度目かの再演となるパリ・ポンピドゥーセンターでの公演を体感したその瞬間に、迷いが断ち切れた。明らかに、国も文化も超えた情動が眼前で脈打っていた。なにを伝えるべきかはわかった。あとはどう伝えるべきかだ。すなわち(私の職分に限っていえば)いかに正確に翻訳するかのみならず、日本語を監修してくださる平田オリザ氏へパスカルの詩性をいかに緻密に引き継ぐかが鍵となる。
 ところで、私のような演劇の素人が失礼千万を承知で申し上げるならば、今回の平田氏とパスカルとのコラボレーションがどう結実しうるのかについては当初、あまりはっきりとしたイメージが抱けずにいた。なにしろ周知の通り、平田氏といえば計算され尽くした「言い落とし」「あいづち」「言い間違え」さらには「不在」といった手法を駆使して逆説的に人間の関係性を描き出す「対話(ダイアローグ)」の達人である。翻って本作を貫くのは西欧言語文化のお家芸ともいえる長大なモノローグ(独白)であり、しかもパスカル自身はこの言葉の奔流を初めから終わりまで一切の句読点も改行もなしに「ソクラテスの犬を追って(本人談)」、すなわち絶えず四方八方へと寄り道する思考の流れをひたすら辿って書き上げたという。いうなれば気が遠くなるほどに長く無秩序な一文で綴られた戯曲なのだ。ますます好対照を成すばかりにも思える両者の言語世界はいかにして交わりうるのか。
 はたして、「対話」と「犬」を結ぶ手がかりは「冗長率」にあった。「冗長率とは、言語学の世界の用語で、一つの文章のなかに、どれほど、伝えたい情報と(一見)無縁な内容が含まれているかを示す数値である(平田オリザ著『演劇入門』より)」。ここでは仮に台詞のなかのノイズと言い換えてもいいだろう。対話の達人が配した無数のノイズを媒介として研ぎ澄まされてゆくモノローグ。そうして至高に達したモノローグはやがて自ずから対話の相貌を呈し始める。パスカル―平田版ならではのこのパラドックスをぜひ感じ取っていただきたい。
 世界初演の幕が上がる。

【筆者プロフィール】
平野暁人 HIRANO Akihito
翻訳家。戯曲から精神分析、ノンフィクションまで幅広く手がける。訳書に、カトリーヌ・オディベール『「ひとりではいられない」症候群』(講談社)、クリストフ・フィアット『フクシマ・ゴジラ・ヒロシマ』(明石書店)などがある。『愛のおわり』日本版の翻訳を担当。


2013年8月13日

【タカセの夢】『タカセの夢』の夢(横山義志)

Filed under: 2013

 今年8月頭、韓国公演出発前の『タカセの夢』通し稽古を見た。この作品を見るのはもう何度目か分からないが、まず冒頭の、制服を着た女子中高生が歓声を上げながら走りまわる場面で、もう何度となく見ているはずなのに、えらくどきどきする。思えば自分が中学生、高校生の頃は、その年代の男の子なり女の子なりの集団がいかに大変なものかというのはよく分かっていたはずなのに、それから少し経つと、あっという間に忘れてしまうものだ。一言でいえば、動物性とでも言えばいいだろうか。
 『タカセの夢』はやたらとハイブリッドな作品である。日本の童謡やヨーロッパのバロック音楽がアフリカの音楽と同居している。だが、不思議と違和感を感じさせない。最近の舞台では、「多国籍」な作品というのはよく見るようになったが、顔かたちや文化の違いを超えて、このように「人間」というものを感じさせてくれる作品というのは、なかなか出会うことがない。ここでは、都市に棲み、スーツを来て電車に乗る大人たちから、花の咲き乱れる草原で動物に囲まれて歌を歌う子どもたちまで、生き物としての「人間」の姿が、なぜかひとつづきにつながって見える。たぶんそれは、「動物としての人間」を肯定しているからだろう。
 近代の文化は、他の生物に対する人間の優位を原理として打ち立てることで成立してきた。そのために「動物」と「人間」は対立させられ、人間の「動物的な部分」は否定され、抑圧されてきた。だが、そもそも「人間の優位」というのは、そんなに自明なことではない。この「人間の優位」は、動物と共通する肉体ではなく、他の動物が持たない言葉にこそ人間の価値がある、という発想にもとづいている。「言葉は、人間だけがもっているもので、知識や文明を蓄積し、新しいものをつくりだして環境を変化させることができるものです。[…]でも、特別なのは他の動物も同じです。たとえば、発した超音波が物に当たって反響するのを聞くことで外界を認知するのは、コウモリの特徴です。鼻のまわりの筋肉を花びらのように発達させ、地中や水中の虫を掃除機のように吸い取るのはホシバナモグラだけ。みんな特別なんです。」(注)
 コトバもまた、ヒトという動物の身体能力だと考えてみれば、世界はだいぶ違って見えてくる。「ずいずいずっころばし、ごまみそずい!」と歌うとき、ヒトは何を考えているんだろう? というのは、ちょっと間抜けな問いであって、ヒトはそのとき、踊るときと同じように、コトバを発して、それを分かち合うということ自体を楽しんでいるのである。ヒトは動物以上でも、以下でもない。だからおごるべきではないが、卑屈になる必要もない。他の生き物たちと同じくらいには、楽しく生きる権利を持っているはずだ。だが、自分が動物であることを忘れてしまえば、あらゆる幸福を見失うことになるだろう。
 2010年にこの企画を立ち上げるとき、ニヤカムさんは「大人に希望を与え、生きる上で一番大事なことを教えられるようなダンス作品」を作りたい、と言っていた。「子どもや若い世代が他の人とコミュニケーションを取りにくくなっている原因の一つは、携帯電話・インターネット・テレビゲームなど、身体を介さないコミュニケーションがあっという間に拡大してしまったせいだ。子どもたちは本当は他の子どもたちとじゃれあったりしたいのに、子どもたちの世界に電子機器が浸透していくにつれて、そんな機会はどんどん奪われていき、身体を通じたコミュニケーションに対して臆病になっていく」、とニヤカムさんは言う。身体の時間が、バーチャルな時間によって次々と置き換えられていく。日本はこの現象を最も早く経験した国だったのかも知れない。気がつくと、ここ数十年のあいだに、テレビゲーム・アニメ・漫画を通じて、世界の子ども文化はすっかり日本の発明品によって席巻されてしまった。
 稽古場を見に行って、驚いた。稽古が始まる前、舞台芸術公園の芝生の上で、出演する子どもたちが本気でオニゴッコをしたり、ハナイチモンメをしたりしている。こんなに大声ではしゃいで走りまわっている中高生というのも、ほとんど見た記憶がない。この、オニゴッコで全力疾走する楽しさが、そのまま舞台に活かされている。出演者のお父さん、お母さんにうかがうと、参加者たちは、帰ってくると「あー疲れた」と言いながら、週に一度の休みの日にも「今日も稽古があればいいのに」とつぶやいたという。
 『タカセの夢』は「アフロ・ジャパニーズ・コンテンポラリーダンス」と呼ばれている。無理矢理なジャンルだと思う方もいらっしゃるだろうが、このなかに出てくるハナイチモンメやカゴメカゴメを見てみれば、日本を深く深く掘っていけばアフリカにたどりつくことに気がついていただけるのではないか。アフリカの賢者たちの知恵が、静岡の子どもたちを通じて、もう一度世界の大人たちに希望を与えられるのかも知れない。この夢を本気で生きているダンサーたちを見れば、そんな夢を信じたくなる。
(注:岡ノ谷一夫『つながりの進化生物学』朝日出版社、2013年、19頁。)

【筆者プロフィール】
横山義志 YOKOYAMA Yoshiji
SPAC文芸部、海外招聘作品担当。2008年パリ第10大学演劇科博士号取得。