メーテルリンクとホドロフスキー。
今回の「ふじのくに⇄せかい演劇祭」では、それぞれ『盲点たち』(『群盲』)、『聖★腹話術学園』の作者です。
メーテルリンクといえば、幸せを探しにいく童話劇『青い鳥』。ホドロフスキーといえば、「最強の男」を目指す奇妙な西部劇『エル・トポ』。この二つの世界は、一見すると、ずいぶん遠いもののように思えます。でも、あいだに「人形」を置いてみると、そこに一つの系譜が見えてくるかも知れません。これをひとまず「人形劇の系譜」と呼んでみましょう。『聖★腹話術学園』は、まさに「人形劇」を学ぶための学校が舞台になっています。
メーテルリンクは1894年に「人形のための三つの小さなドラマ」という作品集を発表しています。ここにはSPACで上演された『室内』も含まれています。これらの作品は、特に人形劇として書かれたようには見えず、実際、人間の俳優によって初演されました。メーテルリンクが「人形のための」としたのは、生きた「人間」の俳優が気に入らなかったためです。英訳のための序文で、メーテルリンクは「詩はそこに生きている者が入ってきたときに死んでしまう」とし、いわゆる「名優」がハムレットを演じたのを観たときに、そこから「詩」が決定的に失われてしまったことを嘆いています。メーテルリンクによれば、「全ての傑作は一つの象徴であって、象徴は人間が能動的に存在することには耐えられない」のです。
これらの作品が書かれた頃は「自然主義」全盛の時代で、その後映画やテレビにも受け継がれていった「リアルな」演技ができあがっていった時代でした。メーテルリンクの「象徴主義」は、人間がそのまま人間として舞台に上がるような演技によって「詩」の世界が小さなものになってしまうことへの批判でもありました。『青い鳥』(1908年)では、「夜」や「牛乳」、「パン」といった「登場人物」まで出てきます。これはさすがに自然主義的な演技では演じようがありません。
でも、メーテルリンクが「人形」にこだわった理由は、それだけではありません。人形は、何者かによって作られ、操られる存在です。メーテルリンクは人間を「運命」にもてあそばれる「人形」として描こうとしたのでしょう。ここには、西欧近代思想のもう一つの(「オルタナティブな」)系譜を見ることができます。神秘主義・反啓蒙主義の系譜です。啓蒙主義とは、「神の智慧」に叛旗を翻し、「科学」と呼ばれる人間の知識で世界を隅々まで解明していこうという動きでした。これに対して、神秘主義・反啓蒙主義は、人間の知識の限界を強調し、人知を超えたものを探求するものです。メーテルリンクは革命期の神秘思想家サン=マルタンに代表される近代の神秘主義に大きな影響を受けています。4月28日(火)に行われるシンポジウム「目に見えぬ美をめぐって ―反自然主義の系譜―」では、サン=マルタン研究で知られる静岡大学の今野喜和人先生に、この神秘思想の論理について、じっくり伺ってみようと思っています。そういえばホドロフスキーも神秘主義の系譜に造詣が深く、タロット研究家としても知られています。
メーテルリンクらの象徴主義は、自然主義に対抗する運動として捉えられる場合が多いのですが、実はこの二つの流れには連続する部分もあります。西欧では、19世紀の半ばに「リアリズム演劇」の興隆があって、19世紀の終わりになって「自然主義」が出てきます。前者が主にブルジョワ(市民)階級を描いたものだったのに対して、後者はもっと下層の階級の人々に焦点を当てています。お客さんは主に多少はお金がある市民階級なので、いわばお客さんが必ずしも感情移入できないような階層の人々を描いていたわけです。そして「自然主義」では、人間を「自由意志」をもった主体としてではなく、本能や遺伝といった、自らの意志ではどうすることもできないような法則によって突き動かされるものとして描きます。つまり、ここでもすでに、人間は「何者かによって操られている」ような存在なのです。この意味で自然主義は、いわば啓蒙主義のただなかから、近代的な人間中心主義を崩壊させていった動きであったとも言えますし、ここから象徴主義までの距離はそれほど遠くなかったのかも知れません。
今回『盲点たち』の稽古を見ていて特に感じたのは、象徴主義と「グラン・ギニョル」との連続性でした。グラン・ギニョルとは、19世紀末に自然主義運動のなかから生まれた、いわば「ホラー演劇」を専門にした劇場です。マッドサイエンティストによる「恐怖の人体解剖」など、今でもお化け屋敷などで使われているモチーフの多くが、このグラン・ギニョルのなかで育まれてきました。「グラン・ギニョル」とは「大きな人形」という意味です。でも、ここでは実際に人形が使われるのではなく、いわば生身の人間が、人形であるかのように、簡単に手足を失ったり、命を失ったりするわけです。闇のなかで「死」と向き合う盲人たちの姿には、どこかこのグラン・ギニョルの登場人物を思わせるところがあります。そういえば『転校生』を演出してくれた飴屋法水さんの「東京グランギニョル」という劇団もありましたね。動物好きの飴屋さんの作品にも、人間の生命というものを、ちょっと突き放して見ているようなところがあります。
ホドロフスキーの映画作品では、『エル・トポ』でも『ホーリー・マウンテン』でも、やたらとバタバタと人が死んでいきます。これはホドロフスキーが人形劇をやっていたことと関係しているのかも知れません。ホドロフスキーの映画には実際、人形やマネキンもしょっちゅう登場してきます。ホドロフスキーは青年時代に演劇を志してチリからフランスに渡り、路上で人形劇をして日銭を稼いでいたといいます。昔から人形劇、とりわけ「ギニョル」と呼ばれるグローブパペットでは、2013年演劇祭の『ポリシネルでござる!』でもご覧になったように、ブラックユーモアを交えて人形が「死ぬ」場面を繰り返し演じるのがよく見られます。今見ると、子ども向けにしてはかなりきつい表現のようにも見えますが、「死」を演じるというのは子どもの遊びにもよくありますし(子どもと遊んでいると、「バーン」とかやられて、「ほら、やられたんだから死んでよ!」なんて言われたりしますよね)、むしろ今では大人向けの表現のなかでも「死」の直接的な表現が少なくなってきているからなのかも知れません。
そういえば、ホドロフスキーはバンド・デシネ(BD、フランス版マンガ)の原作者としても知られていますが、昨年の演劇祭で『マネキンに恋して ―ショールーム・ダミーズ―』と『Jerk』を発表した、やはり人形劇出身のジゼル・ヴィエンヌは、ホドロフスキーのバンド・デシネを愛読して育ったと言っていました。
ホドロフスキー原作『L’INCAL(アンカル)』(画:メビウス)
もう一つ、ホドロフスキーの作品とメーテルリンク『群盲』の共通点を見つけるとすれば、ハンディキャップというモチーフがあります。ホドロフスキーの作品には、これでもか、というくらい、ハンディキャップを持った身体が出てきます。これにも人形劇からの発想があるのでしょうが、人間の身体というものがいかに可塑的なものか、つまり体の一部(やその機能)を失うというのがいかにありふれたことか、ということを見せつけるものです。メーテルリンク『群盲』の場合には、「目が見えない」ということが、私たちがふだん見るべきものから目をそらして生きていることの比喩にもなっています。
いずれにしても、「人形劇」には、人間というものを、その外側から眺めさせてくれるような仕組みがあります。この仕組みは、私たちがふだん目をそらしている人間という生き物の限界へ、そしてその外部と、目を向け変えてくれるものです。この「人形劇」から出発した反リアリズムの系譜から、今では70億くらいいるという生き物の姿が、どのように見えてくるでしょうか。
最後にもう一つ。「人形劇」は、非常におとぎ話的な世界を表現できる一方で、ちょっと見せ方を変えるだけでそれ自体をパロディー化できるような、いわば物語と素材そのものとを同時に見せるような重層的な視点を与えてくれる仕組みでもあります。60年代のカウンターカルチャーから生まれたニューエイジ・ムーブメントの極点に(一見すると)あるようなホドロフスキーの『ホーリー・マウンテン』にも、そんな視点があります。実はこの作品、イメージは全然違いますが、メーテルリンクの『青い鳥』と、構造的にはすごく似ている気がしています。そして、宮城さんの言葉を借りれば、「ホーリー・マウンテン」を日本語に訳すと「恐山」。今回は「恐山」をモチーフにした寺山修司の『田園に死す』も上映しますが、寺山の作品にも、けっこうそんな重層性があったりします。ともに今、なかなか映画館で見られない作品なので、この機会に、ぜひご覧ください。
==================================
4/26(日) 10:30~15:45 会場:サールナートホール (静岡市葵区) 【定員200名】
アングラ!カルト!アヴァンギャルド!!! ―映画におけるオルタナティブ―
10:30 上映『ホーリー・マウンテン』(1973年/メキシコ・アメリカ)
12:45 ギャラリートーク:大岡淳、横山義志
14:00 上映『田園に死す』(1974年/日本)
http://spac.or.jp/news/?p=10852
==================================
==================================
4/28(火) 19:30~21:30 会場:スノドカフェ七間町 (静岡市葵区) 【定員30名】
目に見えぬ美をめぐって ―反自然主義の系譜―
登壇者:ダニエル・ジャンヌトー(演出家)
今野喜和人(静岡大学人文社会科学部教授[比較文学文化])
布施安寿香(SPAC所属俳優)
司会:横山義志
http://spac.or.jp/15_symposium.html
==================================