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2015年8月21日

【『舞台は夢』新人日記】 vol.4:第二期稽古まとめレポート

皆様こんにちは、制作部の塚本です!

暑い日が続きますね…
毎年「去年より暑くない?」とぼやく私ですが、今年も例にもれず…(今年は本当に去年より暑いです!)

そんな中、先日『舞台は夢』第二期の稽古が終了しました。

前回のブログでも少しふれましたが、フレデリックさんの演出は稽古のたびにものすごいスピードで進化していきます。
劇場に入るたび新しくなる演出は、まるで生き物のよう。
そのあまりの変化の早さに、実はこれまで私も「どんなお芝居なの?」と聞かれてもうまく答えられなかったのですが…
第二期が終わって、ようやく私の中でも『舞台は夢』のイチオシポイントがわかってきました。

そこで今回は、第二期の稽古中に目撃した演出の一部を紹介させていただきます!

まずは…

ジャーン。

ついにSPACが映画館に!?(違います)

そう、なんと今回はリアルタイムの映像を駆使した演出!
舞台上の俳優が、うしろの巨大スクリーンに大写し。
客席からだとちょっと遠い、細かな表情もバッチリわかります。

演劇と映画、ともすれば相容れないようにも見える二つの芸術。
ですが、大胆にも二つを一緒にしてしまったフレデリックさんの演出は、とても面白い効果を生み出しています。
スクリーンに注目していればまるで映画のワンシーンですが、舞台に目をうつすとそこでは俳優が演技をしています。
もちろんカメラ、マイク、小道具の木の枝などの撮影セットまで、バッチリ見せます。まるで映画の本編と、メイキング映像を同時に見ているよう。
スクリーンに映るシーンは、目の前の風景のほんの一部を切り取ったものにすぎないことがわかります。

例えばドキュメンタリーやニュース映像などで、画面に映っているのは確かに現実なのですが、それは加工され、切り取られた現実の一部分です。
現実を映している以上、100%虚構だとはいえないのですが、その切り取り方によっては、限りなく「ウソ」に近いものを作り出すことも可能です。
フレデリックさんのこの演出は、そんな「現実」と「虚構」の境界線の曖昧さを教えてくれるようです…

一方、舞台はどうなっているのでしょう。

2010年の『令嬢ジュリー』では圧巻の舞台美術で私たちを驚かせてくれたフレデリックさん。
あのときの舞台装置はまるで建築物。舞台上にまるごと一つの部屋をつくってしまったのでした。
 

↑2010年の『令嬢ジュリー』(撮影:三浦興一)
 
 
そして今回の舞台はというと…
 
ででん。

 
…「えっ?これって稽古用の舞台でしょ?」と思われた方!(ハーイ!)

違うんです。
今回の『舞台は夢』ではこれが立派な舞台装置。
敷かれているのは…種も仕掛けもございません、丈夫な木の板そのものです。

映像を駆使したスタイリッシュな演出とは対照的に、ほとんど素のままの舞台空間。
それは、演劇というものの本質に近づいていくための試みでした。

過去に映画作品の監督や出演もこなしてきたフレデリックさん。
そこから演劇と映画の関係について考えるようになり、
特に二つの共通点である「観るもの(観客)と演ずるもの(俳優)」の存在に深い関心を抱いたといいます。

映画において、俳優はクローズアップされて画面の中に登場します。そういう意味では、俳優と観客の心理的な距離はむしろ演劇よりも近いといえるかもしれません。
フレデリックさんは今回、カメラを通じてイメージを増幅する(俳優と観客が接近する)ことで、観客の「特権的な立会人」としての意識を強めてほしかったといいます。
観客は、ふつう人が他人に見せないような場面に立ち会うことが許されている。
特に、ある種のシーンをカメラでクローズアップすると、観客はまるで「誰かの日記や夢を覗いているような」感覚を得る。
(「ある種のシーン」がなにかは、ぜひ劇場で確かめてください!ああこれか、と納得すること間違いなし。)

そして演劇をリアルタイムでスクリーンに写したときの面白いところは、「スクリーンを見ていればその物語を信じられるのに、舞台に目をうつすとそこにはカメラやマイク、小道具が見えていて『信じられなく』なってしまう」ところ。つまり「ウソだとわかってしまう」というところなんですね。

もう一つ面白いのは、演劇を「ホントにする」、つまり生きた物語として立ち上げるために必要なものは驚くほど少ない、ということです。
(「俳優一人、椅子一つ、ロウソク一本だけでも芝居は続けうる」とは、誰の言葉だったでしょうか… ヒントはこちら
フレデリックさんは過去に劇場以外の場所、食堂や事務所といった場所でも演劇を上演してきた経験から、「演劇はどんな場所でも生まれうる」といいます。
何の変哲もない舞台でも、その上に俳優の演技がのっかれば…
あら不思議、物語がはじまってしまう。
それが、演劇の魔法なのです。
そしてそれは同時に「観客」の誕生でもあるといえます。
演じる人がいて、それを観る人がいれば、そこにはすでに俳優と観客の関係が成り立っているのです。

稽古のはじまる当初から「今回は俳優の演技に焦点を当てたい」と語っていたフレデリックさん。
素朴な舞台は、俳優が体一つで物語を立ち上げ、それを観る私たちが「観客」として生まれ変わる、そういうプロセスのために考えられたんですね。

そしてコルネイユが17世紀に生み出した『舞台は夢』という物語は、まさにうってつけでした。

フレデリックさん曰く、
「『舞台は夢』のストーリーを一言でいうと、
ある人間が演劇の観客となることで救われる、そういう話です」

…“厳しいしつけに家を飛び出した息子を探しさまよう父親は、魔術師の幻影を見せられ、息子の人生の観客となる。
そうして父親は息子への愛を強め、人間として成長する”…

コルネイユの作り出したそんなウソの物語を、フレデリックのかけた魔法によって
私たちが劇場で「ホント」のこととして観る。そうして私たちも救われるのかもしれません。

(制作部・塚本広俊)

SPAC 秋→春のシーズン#1
『舞台は夢』
公演日時:9月23日(水・祝)、26日(日)15:00~
     9月27日(日)14:00~
     10月10日(土)、11日(日)14:00~
公演場所:静岡芸術劇場
詳細はこちら

<チケット好評発売中!>