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2013年6月19日

横山義志による『Hate Radio』みどころ・考えどころ ~ルワンダ虐殺はなぜ起きたのか?

横山義志(文芸部)

1994年4月から100日ほどのあいだに、ルワンダで50万人~100万人が虐殺された。人類史上、「最も効率よく行われた虐殺」とも言われる。この事件が起きたとき、遠く離れた「先進国」では、誰もがこれをアフリカのローカルな部族間の争いだとみなそうとした。だが、単なる部族対立でこんなに多くの人が殺されるはずはない。この事件の最大の凶器となったのはラジオだった。ミロ・ラウ率いるIIPM(International Institute of Political Murder)は、当時のラジオ放送を再現した『Hate Radio』で、昨年のベルリン演劇祭招聘演目に選ばれた。ベルリン演劇祭(テアタートレッフェン)は、ドイツ語圏でその年に上演された演劇のなかで、最も重要な舞台を10本選んで上演する演劇祭だが(ヘルベルト・フリッチュ演出『脱線!スパニッシュ・フライ』もここに入っていた)、このように若い演出家が作ったドキュメンタリー演劇が入るのは珍しいのではないだろうか。この作品は静岡のあと、アヴィニヨン演劇祭やバルセロナ・グレック・フェスティバルでも上演される予定になっている。

Hate Radio

自分の記憶をたどってみれば、1994年には高校生で、よく新聞の国際欄を読んでいたはずだが、ほとんど印象に残っていない。日本の大手紙では、この事件は一度も一面では取り上げられなかったらしい。フランスにいたときに、この事件を扱った演劇作品『ルワンダ94』を見た。実際に虐殺を生き延びた人々が、たしか六時間ほどにわたって、自分の経験を証言する作品だった。この作品では、「何が起きたのか」は分かった気がしたが、「なぜ起きたのか」については、あまりよく分からなかった。

『Hate Radio』は、「なぜ起きたのか」に焦点を当てる作品である。ルワンダ虐殺を主題にした作品では、個々の事件の残虐性が強調される場合が多いが、この作品では、凄惨な描写はむしろ可能な限り避けられている。だが、一方で、そういった他の作品よりも、よほど戦慄を覚えさせる作品でもある。なぜなら、これを見れば、この事件が「近代化」を成し遂げたどの国でも起きうる事件だということがよく分かるからだ。

観客はイヤホンをつけて、ラジオのリスナーになる。そこから流れてくるのは、どこかで聞いたことのあるロックや歌謡曲であったり、アフリカの軽快なポップスであったりする。その合間に、ラジオのパーソナリティたちが、「映画館の裏に住んでいるゴキブリ」を始末するように、と視聴者に語りかける。ベルギー人のパーソナリティは、「これは革命なんだ、人口の10パーセントに過ぎないのに国の全てを握っているツチ族を打倒しなければ、真の民主主義は達成できない!」と、熱く語る。実際、「フツ族による革命」を支持していた西洋諸国の出身者も少なくなかったらしい。ニュースでは各国軍の動きも伝わってきて、虐殺の背後で様々な国外の勢力の利害が絡み合っていることにも気づかされる。

新聞の紙面では、最近になって、急にアフリカが近くなったようである。ルワンダはその後、IT産業を主力に急速な成長を遂げたとされ、今月はじめに開かれていた「アフリカ開発会議(TICAD)」でも、注目の的だった。日本経済新聞の一面でも、この「ルワンダの奇跡」を扱った記事が出ていた。5月3日付けの日本経済新聞の記事によれば、アフリカに住んでいる日本人は約8100人。それに対して中国人は15万人を超える。アフリカ向け直接投資額も、中国は日本の7倍だという。「虐殺を乗り越えて経済成長を成し遂げた」という美談が、アフリカへの投資の起爆剤となるのも悪くはないだろう。だが、ルワンダの本当の「近さ」を感じない限り、真のパートナーとなるのは難しいだろう。