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2021年12月11日

『桜の園』ブログ#4 アーティストトーク11/20 レポート

『桜の園』ブログ#4では、11月20日(土)の一般公演終演後に演劇ジャーナリスト・徳永京子さんをお招きして行われたアーティストトークをレポートします。

日本で上演されたダニエル・ジャンヌトー作品を全てご覧になっている徳永さんから、矢継ぎ早に飛び出す質問の中には、2009年の『Blasted』以来ずっと気になっていたことも!

(作品内容に言及しています。) 
 
★あわせてお読みください★
ステージナタリー
【開幕レポート】SPAC「桜の園」開幕、ジャンヌトーが手応え「この国際共同制作が実現したのはひとつの勝利」 
前回のブログ:『桜の園』ブログ#3 開幕!&アーティストトークレポート 

 

 

登壇者:
徳永京子(演劇ジャーナリスト)
ダニエル・ジャンヌトー(演出、舞台美術)
ママール・ベンラヌー(アーティスティック・コラボレーション、ドラマツルギー、映像)
司会:宮城聰(SPAC芸術総監督)
通訳:石川裕美


徳永京子(とくなが・きょうこ)

演劇ジャーナリスト。朝日新聞首都圏版で毎月劇評執筆。演劇専門誌act guideに『俳優の中』連載中。ローソンチケット『演劇最強論-ing』企画・監修・執筆。公演パンフレットやweb媒体、雑誌などにインタビュー、作品解説、レビュー執筆。東京芸術劇場企画運営委員。せんがわ劇場演劇事業外部アドバイザー。読売演劇大賞選考委員。著書に『「演劇の街」をつくった男─本多一夫と下北沢』、『我らに光を─蜷川幸雄と高齢者俳優41人の挑戦』、『演劇最強論』(藤原ちから氏と共著)。

 

 

宮城(司会)それでは早速ですが、徳永さんからまずは一言いただけますでしょうか。
 
<群像劇としての『桜の園』>

徳永/はい。『桜の園』は何度か観たことがあるのですが、今日の舞台は、いろいろな発見がありました。一番驚いたのは、『桜の園』が群像劇だということです。『桜の園』の上演でよくあるのは、ラネーフスカヤ(女領主)を旧時代の滅びゆく人、ロパーヒン(商人)を新しい時代の人として対比したり、そのどちらかをメインに据えたりするものですが、今日の演出は、登場人物の一人一人にこんなに込み入った、それぞれに魅力的なドラマがあり、全員がこんなに面白いキャラクターだったのかと、シーンが進むほど実感しながら拝見しました。

ダニエル/今おっしゃっていただいた言葉ほど、私たちを喜ばせる言葉はありません。本当に登場人物一人一人が同じだけ重要であって、『桜の園』は人類を描いている作品だということをお分かりいただけて。チェーホフの全ての作品、特に短編小説では、彼はあらゆる人間に興味を持っていることが分かります。チェーホフには、ある意味で「召使い」が「主人」と同等の重要さを持っているのです。
 

▲舞台写真より。第二幕 夕暮れ時の野外にて
 
<極めてシンプルな舞台空間>

徳永/美術にも驚きました。この作品は、お屋敷の中のシーンで始まりますが、一般的な上演では、そこに豪華だけれども時代遅れの家具類が揃っていることが多いんですけれども、今回の舞台ではほぼ何もない。わずかに置いてある本棚や椅子も骨組みだけ。しかもバックには流れる雲の映像が映し出され、鹿威(ししおど)しの音が時々していました。これは時間を視覚と聴覚で表現しているのかなと思いました。雲の流れで時間の流れを、そして鹿威しの音によって、ただ時間が流れていくだけではなく、あるポイントで時が刻まれていく様を表現しているのかなと。この雲と鹿威しにはどういった意味が込められているのかお聞きしたいです。
 

▲舞台写真より。第一幕 ラネーフスカヤは「桜の園」に戻り、懐かしの子供部屋へ足を踏み入れる。
 
ダニエル/19世紀のレトロな古臭いものがなくて寂しかったでしょうか。

徳永/(笑) すでに引き払われた屋敷跡のような気がしました。『桜の園』を終わりから見せられたような気が。そういう意味では寂しい感じがしましたが、レトロな家具が恋しかったわけではありません(笑)。

ダニエル/最後から見せているというのも、面白い見方ですね。フランスでチェーホフが上演される時には、しばしばノスタルジー(郷愁)を帯びた、消えゆく世界を見せるという上演が多いです。私たちは今回それと違って、『桜の園』は今でも生き生きとした、生きている題材であることをお見せしたいと思いました。消えゆく世界よりも、人間同士の関係が重要でそれを見せたいと思ったのです。

ママール/そして、この作品の準備をして行く中で、舞台美術や映像を選ぶ中で考えた案として、もしも「桜の園」自身が私たちに話しかけていたらと考えたんです。自分のストーリーや終末について語っているのが「桜の園」自身だとしたらと。これが一つの出発点でした。

ダニエル/雲の流れと竹の音については、特に説明をことさらせずに作品の奥底に流れている主題を見せられたらと思ったんです。つまり時間の流れや、死、「失うこと」などを表現できたらと思いました。特に(自分の領地を失う女主人)ラネーフスカヤは物質的な所有物よりも生命を選んでいきます。生命の動きを体現しているのがラネーフスカヤといえます。それに対して(農奴の子孫で今は商人として成功している)ロパーヒンは、物質的な「所有」というものを表しています。

ママール/この作品の中で「時は流れて行きます」と二回言うのはロパーヒンでもありますが。
 

▲舞台写真より。第二幕 野外で語るラネーフスカヤ(左)とロパーヒン(右)
 
<「死」への磁力を持つラネーフスカヤ>

徳永/ラネーフスカヤが物質主義とは反対の生命を象徴しているとのことですが、私は、こんなに死の匂いの強いラネーフスカヤを見たのは初めてだと思ったんです。これまでは、彼女は享楽的な女性だと思っていたんですが、そうではない。この人がお金をどんどん使ってしまうのは、息子や両親の死など、死という理不尽な不幸を、意味のない無駄遣いをすることで、なんとか穴埋めしているように感じました。だから、今回の演出では、彼女がパリの恋人を今でも好きなのは、彼が病気で死にかけているからなのかもと思ったんですね。彼女は享楽的に見えるけれども、実は死に対しての磁力が強い人なのかなと感じました。

ダニエル/非常に興味深い解釈で、私も正しいと思います。深く死とつながっているということは、また深く生とつながっているということでもあると思います。ラネーフスカヤは軽薄であるように見えて非常に深い人物だと思うんです。一般的な視点からすると驚くような選択をしていくけれども、他の人には見えていないことが見えていて、真実に近い選択をしていく人物だと思います。

ママール/そして、セリフの中でも彼女は自分の首には「重石」があると言いますが、それには二つあると思います。一つは、この「桜の園」、つまりそこでの子どもの死、それからもう一つはパリの恋人という重石。彼女はこの重石から自らを解放してもう一つの方へ向かって行くのです。今後それが彼女を幸せにするとはかぎりませんが、とにかく新しい生へと向かって行きます。
 
<水平へのこだわりは?>

徳永/以前から気になっていて、今回改めてお聞きしたいと思ったのが、水平についてです。俳優さんが度々きれいに水平に移動しますけれども、水平に込める意味はなんですか。

ダニエル/そうですね。深いところで雲の動きと強くつながっていると言えます。人間の身体は雲と同じ水でできています。そして亡くなると天へとつながり、また雨となって他の身体の糧となります。この忘れがちになるずっと動いている雲の動きと、人間の動きは深いところでつながっています。この人間の動きに意識的な意味はないとしてもやはり同じ宇宙の一員としてつながっています。

徳永/なぜ水平が気になったかと言うと、ダニエルさんがSPACで最初に演出した『Blasted』という作品を拝見しているのですが、そのクライマックスに大爆発のシーンがあるんです。普通、爆発というとこういう感じ(同心円状に広がるジェスチャー)を想像すると思うんですが、そうではなくて、真横から水平の光線がばあっと空間を走ったんですね。そのときに、大きい爆発ということとあわせて、演出家の美意識が働いていて、水平にしているんじゃないかと思ったんです。だから、ダニエルさんと水平の関係について、実はずっとお聞きしたかったんです(笑)。

ダニエル/たしかにこの舞台空間では水平の要素が強いと思います。それはある意味、水平というものが、人間が垂直であるという奇跡を意識させてくれるものだからかもしれません。滑稽な場面や、小さなストーリーでも人間の身体という垂直の存在を通して表現することで心が動かされるように感じるのです。
 
<「群像劇」としてどのように演出を?>

徳永/今回の演出は、ラネーフスカヤに死の匂いを感じたり、(第二幕で)庭を通る通行人が非常に不穏な存在として描かれていたりと、影の部分が色濃い一方で、一人一人の登場人物の喜劇性が分かりやすく伝わってきました。私には、出てくる人たち全員が、度のあっていないメガネをかけて鏡を見ているように感じられました。自分がすごく大きく見えるメガネとか、自分の姿が歪んで見えるメガネとか、それぞれあっていないメガネで鏡を見ている人たちが、「あたしのことどう思う?」と気にしながら右往左往している話に。最初に「群像劇」だと思ったというのともつながるんですけど、登場人物一人一人の奥行きと、物語全体の中での各人物のポジションは、戯曲からどう抽出して、俳優さんと共有していったのでしょうか。

ダニエル/まず言えるのは、ママールも僕も、今回出演した俳優を長く知っていて、この役に対してこの俳優をと考えたことがあると思います。そしてチェーホフの特徴の一つとして、「笑い」が「深いもの」と矛盾しないということもあります。それから、最初のご質問に戻るところでもありますが、俳優同士の違いが非常に大きくて、全体を見るとそのスペクトルの幅が非常に広いということがあります。非常に恵まれた環境でして、人間的にも芸術的にも非常に豊かなものを備えた俳優たちと仕事ができたわけです。『桜の園』という作品では、このような多様性、それぞれの人物の「違い」と同時に、彼らの「つながり」も共存させるということが重要な課題だったと言えると思います。

宮城/先ほど徳永さんがおっしゃった、一人一人の存在を作品全体の中でどういうポジションに置くことにしたのか、という質問ですが、僕が見ていて著しく圧倒されるのは、一人一人の役者の立ち位置です。少しずつ役者が動いていくじゃないですか。たとえば、お客さんがロパーヒンしか見ないくらいに彼が非常に大事なことを言っていている時に、他の俳優たちが少しずつ動いているんですね。この見事さは、僕なんかにはとうてい真似できないなと圧倒されるんです。そうすることによって、セリフの少ない人物でも、この劇世界全体の中でどういうポジションなのかが、なんとなくわかるというようにできているんです。たとえば僕だと、このシーンには5人が舞台に出ているから、「Aさんはここ」、「Bさんはあと15センチ下手(しもて)に」とか、静止画像として作ることまではできるんですけれども、ジャンヌトーさんの場合、俳優が常にスーと動いたり、一番肝心な有名なセリフの時に、別の人物が空間を横切って出てきたりする。ああいう演出は絶対僕にはできない。そういうところは、どうやって作っているのかなと本当に僕も思いますね。
 

▲舞台写真より。第三幕 舞踏会 桜の園の競売結果を待つラネーフスカヤと踊る人々
 
ダニエル/まず、この作品はすべてママールと二人で作ったので、二人で作った方がずっと強いということだと思います。二人の目で舞台全体を見ることになるので。そして僕たちは戯曲にテキストとして書かれていることだけではなく、テキストとしては書かれていないサブテキストも演出したいという強い思いがあります。たとえば、この場面は表面的にはこういう会話が行われているが、本当のアクションは別のことである、そういった場面で言葉に書かれていない部分も演出したいと思っています。ママールは言葉を介さないコミュニケーションを長く研究してきたので、その視点が今回の演出に大きく影響を与えていると思います。そして僕たちが信じているのは、「全ては書かれてはいない」ということです。言葉と言葉の間や、言葉の裏には、言葉にされずに含まれているものがあると信じています。そして言葉というものは、その書かれていない生についてのヒントであると考えているんです。

ママール/またこの作品の大きな強みが、時間が飛んでいることです。3つの季節が描かれていますが、季節が異なることによって、同じ言葉も違うふうに聞こえてくるということがあります。

宮城/そろそろお時間なので、徳永さんから最後に一言。

徳永/本当に聞きたいことがたくさんあって、次から次の質問ですみません(笑)。宮城さんのお話で思い出したので、最後にもうひとつ「時間」のことを。最初の方のほぼ全員が登場しているシーンの中で、後ろの方でピーシク(地主)さんでしょうか、彼が少しずつ動いているのを見て、それはこの人のキャラクターの一面を表現しているのかもしれないけれども、複数の時間をひとつのシーンに同時に存在させているようにも見えました。つまり、舞台の手前では戯曲の時間に沿ったドラマが進行しているけれども、ピーシクさんはそれと別のすごく長い時間を表現しているのではないかと。そういう時間の複数性ということは考えていらしたのでしょうか。

ダニエル/時間が複数あるということ、一つの空間の中で複数の時間が共存していることに気づいていただけて、本当に嬉しいです。それは、私たちがこの作品においてもっとも重要なものとして意識的に取り入れている要素です。
 
 
観劇直後の徳永さんから、堰を切ったかのように次々と繰り出される興味深い質問に、真摯に、そして時にユーモアをまじえて応じるダニエルさんとママールさん。観劇後の素敵なひとときでした。

『桜の園』週末の一般公演は、いよいよ12月12日(日)がラストです。
日本とフランス、異なる⽂化に⽣きるアーティストたちの共同作業によって⽣まれた新しいチェーホフ『桜の園』、どうぞお見逃しなく。
 

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SPAC秋→春のシーズン#2
『桜の園』

演出・舞台美術:ダニエル ・ジャンヌトー
アーティスティック・コラボレーション、ドラマツルギー、映像:ママール・ベンラヌー
作:アントン・チェーホフ
翻訳:アンドレ・マルコヴィッチ、フランソワーズ・モルヴァン(仏語)、安達紀子(日本語)

出演:鈴木陽代、布施安寿香、ソレーヌ・アルベル、阿部一徳、カンタン・ブイッスー、オレリアン・エスタジェ、小長谷勝彦、ナタリー・クズネツォフ、加藤幸夫、山本実幸、アクセル・ボグスラフスキー、大道無門優也、大内米治

<静岡公演>
2021年11月13日(土)、14日(日)、20日(土)、21日(日)、23日(火・祝)、28日(日)
12月12日(日)各日14:00開演
会場:静岡芸術劇場(グランシップ内)

<磐田公演>
2021年12月3日(金)13:30開演
会場:磐田市竜洋なぎの木会館 大ホール

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