2013年6月24日

クロード・レジ演出×SPAC出演 『室内』 舞台写真&トーク映像公開!

ふじのくに⇄せかい演劇祭2013の『室内』公演が昨日をもって無事に幕を閉じました。
ご来場くださいましたお客様にはあらためて御礼申し上げます。
予約開始とともにあっという間に完売となってしまった本公演。
客席数の関係上、ご覧いただけないお客様が多数出てしまったこと、お詫び申し上げます。

ここで、舞台写真と公演最終日のみ開催いたしました、
クロード・レジさんのトーク映像を公開いたします。
ぜひご覧ください。








写真撮影:三浦興一


2013年5月20日

『室内』パリ稽古・レポート(4)

4月27日(土)

パリでの稽古、あっと言う間に時間が経ってゆきまして、残った時間も僅かとなりました。
稽古は、日々粛々と順調に進んでおります。

レジさんは、
「イメージを創って下さい」
「映像を見せて下さい」
と毎日数えきれないほどおっしゃいます。
パリでしか得られないイメージの源を探したくて、この3週間私は色々な美術館に通いました。
様々な歴史を持つ先人の作品たちにヒントを貰い、日本に帰ったら読みたい本や観たい映像もどんどん増えています。
好き嫌いを超えて、優れたものはなんとなくですがほんの少しずつ共通項を持っているように思います。ぽろぽろと、連想ゲームのようで愉しんでいます。

アンヴァリッド

写真は先日稽古前に訪れたロダン美術館のお庭から見えたアンヴァリッド。ナポレオンが眠っています。
ルイ14世が建てた廃兵院に皇帝ナポレオンが眠り、この建築を背にロダンの『考える人』が佇んでいました。

パリには新しいイメージの文脈を本当にたくさん貰っています。

ひとつ心残りだったのは、ロダン美術館の彫刻は触れてもいいのだとあとになって知ったことです…

最後にレジさんからの言葉!
「沈黙に恋して下さい。」

稽古場レポート4回目は伊比井香織がお送りしました。


2013年4月27日

『室内』パリ稽古・レポート(3)

4月21日(日)

パリに来て2週間が過ぎようとしています。

着いた当初の真冬並みの寒さからは脱脚しましたが、2、3日置きにTシャツでいいくらいだったり上着ないと寒くて仕方なかったり、朝快晴で気持ちよく出掛けるといきなりどしゃ降りだったり…、と気まぐれな天気が続いてます。

さて。
ということは稽古も2週目。

「Bon…」
近くの教会の鐘の音と共にレジさんの声で始まる「クロード・レジ研究室」。

まるで何百年も昔からそこに座ってずっと俳優達を見つけてきたかの様な佇まい。

「お芝居をやるのではないのです。
生き生きとしたものをやるのです。」

俳優としてこれ以上の至言はありません。
それを検証し実践する為の実験室が日々進んでいます。

2週間経ってきてようやく少しずつ俳優達がこの空間に浸み出してきた気がします。

どこまでも人間の無限の想像力を信じ、追い続ける老教授(?)レジさんと共に…
幸せな時間です。

そしていつもの様に
「今日はここまで。
ゆっくり寝て下さい。
たくさん夢を見て下さい。
そして夢を見続けて下さい。」

ああ、こんなパリ生活もあと一週間。

もう少し美味いものも探し足りないわたくし、貴島のレポートでござんしたm(_ _)m

パリの稽古場のレジさん_後姿


2013年4月24日

不定期連載 クロード・レジがやってきた(4) ~『室内』関連ブログ~

遅れてきた巨匠
SPAC文芸部 横山義志

クロード・レジはフランス演劇において、パトリス・シェロー以降、最も重要な演出家の一人である。今活躍しているオリヴィエ・ピィ(1963生まれ)、フレデリック・フィスバック(1966生まれ)、ダニエル・ジャンヌトー(1963生まれ)といった60年代生まれの演出家は、いわばレジの洗礼を受けて育ってきた世代と言える。この世代の演出家の多くは、一度はレジの真似をしてみたことがあるのではなかろうか。

といっても、レジは1923年生まれで、1944年生まれのシェローよりもずっと年上である。さらに、アントワーヌ・ヴィテーズ(1930年生まれ)、アリアーヌ・ムヌーシュキン(1939年生まれ)、ピーター・ブルック(1925年生まれ)よりも年上である。上記の世代にとって、レジはある意味で、遅れてきた巨匠だった。

レジは無名だったわけではない。しかし、ピィらの世代より一つ上の世代にとっては、レジはあまり参照項になるような存在ではなかった。理由は二つある。

第一の理由は、レジが主に私立劇場を拠点に活動していたことである。シェローらが活躍した1960年代・70年代は、公共劇場が現代演劇の拠点として確立していった時代でもあった。だが、レジが演劇活動をはじめた第二次大戦前後において新たな演劇を育んでいったのは圧倒的に私立劇場だった。レジは60年代の終わりから公共劇場でも演出をするようになるが、完全に公共劇場に軸足を移すようになるのは80年代以降である。この移行期において、私立劇場は徐々に商業劇場化していき、若い演劇人たちが足繁く通う場ではなくなっていったようだ。

第二の理由は、レジが「アンガージュマン(政治参加)」と距離を置いていたことだろう。このレジの姿勢はサルトルの時代から一貫していた。とりわけ60年代・70年代においては、「政治に無関心な演出家」とみなされた時点で、評価される機会を逸したこともあっただろう。レジはいわゆる左翼的な活動には参加しなかったが、かといって保守派や右派にシンパシーを持っているわけでは全くない。むしろ、演劇の政治性はいわゆる「政治活動」にあるわけではない、と考えているのではないだろうか。これはピィらの世代にも見られる態度である。

レジが暗さと沈黙を極度に重視するようになったのは1980年代以降のことらしい。レジは1985年にメーテルリンク作『室内』を公共劇場であるジェラール・フィリップ劇場(サン=ドニ市)で初演しているが、これは転機になった作品の一つだろう。70年代にはマルグリット・デュラスやナタリー・サロートといった「ヌーヴォー・ロマン」の作家たちと緊密なコラボレーションを展開していたレジが、この時期、たびたび現代戯曲から離れ、古典をいくつか上演している。これは公共劇場の要請でもあったのだろう。一方で、公共劇場の比較的恵まれた条件で作品を作ることで、やりたいことができるようになった部分もあるに違いない。

ダニエル・ジャンヌトーはこの『室内』が、はじめて見たレジの作品だったという。「全ては二十分間の沈黙から始まった。観客は気が狂いそうになっていた。でもこの静けさの中にはじめて響いた言葉は、本当に裂け目としかいいようのないものだった・・・。崇高だった」(『ル・モンド』紙のインタビュー)。ジャンヌトーはこれをきっかけに舞台美術を志し、数年後にはレジから舞台美術を任され、その後十五年近くのあいだレジの舞台装置を作りつづけることになる。

レジの創作活動を支えてきたのは、新たな才能を発見する類い希な能力である。このジャンヌトーにしても、この時点では全く無名の学生に過ぎない。1992年にレジがオペラ・バスティーユで『火刑台の聖ジャンヌ』(クローデル作、オネゲル作曲、イザベル・ユペール主演)を演出したときに、まだ20代だったジャンヌトーは、オペラ座のディレクターに「私の舞台美術家です」と紹介されて戸惑ったという。だが、この『火刑台の聖ジャンヌ』をはじめとする舞台美術で、ジャンヌトーは瞬く間に頭角を現し、フランスの舞台美術界を代表する存在になる。

レジは「実験」という言葉を好んで使う。今回の『室内』再制作にむけたインタビューでも語っているように(下のビデオメッセージを参照)、つねに未知の領域に踏み込まなければ満足できないたちらしい。前回『彼方へ 海の讃歌』で来日した際に、「次回作は?」と聞いたら、「実験的な小品なんだが」という返事が返ってきて、ちょっと驚いた。蓋を開けてみれば全くその通りで、ブルターニュ国立劇場付属演劇学校のワークショップで知り合った20代前半の俳優による一人芝居を、パリの小さなスタジオで発表していた。もともとツアーの予定はなかったそうだが、パリ公演はかなりの評判になり、結局二年間にわたってフランス各地で上演されることになった。それが、今回の演劇祭でも上映される『神の霧』である。俳優の集中力にも驚愕させられるが、演劇学校を出たばかりの俳優にかなりの時間をかけて向き合い、それを引き出したレジには唖然とするほかない。

レジは形式主義的な演出家だと思われがちだが、稽古場では俳優に形式を指示することはほとんどない。俳優にはむしろ「自分自身が詩人にならなければならない、自分の作品を作るクリエーターにならなければならない」と言い、俳優自身に演技の方向性を探らせていく。だが、レジが俳優に求めるものを実現しようとすると、必然的にあまり動かなくなっていくらしい。

2002年に上演された『4.48サイコシス』(サラ・ケーン作、ブッフ・デュ・ノール劇場他)では、主演のイザベル・ユペールは、2時間近くの間、ついに一歩も動かなかった。暗転を経て、次の場面になっても、変わるのは腕の位置くらいで、足は金縛りにでもあったかのようにその場にとどまっている。そして2009年初演の『海の讃歌』(ペソア作、アヴィニヨン演劇祭、パリ市立劇場他)では、一人舞台に立つジャン=カンタン・シャトランが、ふたたび一歩も動かないまま語りつづけていた。この『海の讃歌』は、これだけ特殊な作品であるにもかかわらず、翌年「批評家連盟演劇大賞」を受賞している。レジはキャリアに比して公式に顕彰されたことが非常に少なく、大きなものではこれと、1991年の「フランス演劇大賞」くらいのものらしい。この意味でも「遅れてきた巨匠」と言えるだろう。

では、それまでの数十年間、レジは何をしてきたのか。レジはあまり昔話をしない人だと思ってきたが、最近のインタビュー集では、家庭環境や演劇をはじめたきっかけなどについても話している。次回はそんな話を。

(つづく)


2013年4月21日

不定期連載 クロード・レジがやってきた(3) ~『室内』関連ブログ~

闇と沈黙
SPAC文芸部 横山義志

レジの舞台は暗い、という話をした。前回『彼方へ 海の讃歌』を招聘した際には、スタッフから「照明操作卓はなるべく新しいものを用意してほしい。レジの作品では出力0%~1%のあいだをどれだけちゃんと操作できるかが重要だから」という話があった。これは、「感覚の閾」を探るためだという。「閾」とは、視覚であれば、「見える」と「見えない」のあいだにある領域のことである。「閾」においては、感覚が研ぎ澄まされる。ふだんは見えないもの、感じられないものにも、感覚が開かれていく。

レジの作品には、ほとんど「舞台装置」と呼べるようなものがない場合が多い。極めて抽象的な空間を作り上げ、俳優と照明によって場面を作っていく。レジは近作のアフタートークで、「どんな立派に作られた舞台装置でも、人間の無限の想像力に勝るものはない」と語っていた。「感覚の閾」を探る照明は、感覚の向こう側にあるものに向けて、舞台を開いていくものなのである。

そして、さらにその想像力をも越えた領域へと導いていくのは、沈黙である。レジの作品において重要なのは、「意識も無意識も越えたところにあるもの」なのだという。ベネディクトのワークショップでは、一番はじめに、メーテルリンクの「沈黙」というテクストを読んだ(『貧者の宝』所収)。ここでは、「沈黙」を共有したことがない恋人は、まだお互いのことを十分に知り合っていない、という話があった。メーテルリンクによれば、「沈黙の水源は思考の水源をはるかに超えたところにある」(山崎剛訳)。

レジが静岡で舞台を作ろうと思った理由の一つは、この闇と沈黙に適した場所を見つけたと思ったからだろう。静岡での稽古は、日本平の原生林のなかにある「舞台芸術公園」で行われる。レジは、この自然公園のなかの、茶畑を見渡す宿舎で日々を過ごすこととなる。そしてこの公園の最も奥に位置するのが、楕円堂という木造の劇場である。夕方にこの劇場に来れば、そこに辿りつくまでのあいだに、すでに視覚が変化しているのが分かるだろう。楕円堂に辿り着くと、黒塗りの階段を下りて、古い日本家屋の闇を再現した舞台空間に身を置くことになる。

レジと『室内』のために選ばれた俳優たちは、今月はレジの住むパリで稽古し、5月にはパリの喧噪を遠く離れて、ふたたび静岡へと戻ってくる。

レジの演劇観には、どこか日本の演劇観に通じるところがある。フランスにおいては、これはかなり特殊な演劇観だと言える。だが、レジはこれまで、特に日本文化に大きな影響を受けてきたわけではない。では、レジはどのようにしてこの独特の演劇観を育んできたのだろうか。次回からはレジの経歴について書いていこう。

(つづく)


2013年4月19日

『室内』パリ稽古・レポート(2)

4月14日(日)

第一週を終えました。
週の前半は立ち稽古。
新しい空間で一歩ずつ。

後半はテーブルを囲んで、台本の確認作業。
フランス語で書かれた原文と、翻訳された日本語とを、一語ずつ照らし合わせていく。

土曜日には、舞台美術の模型も見ました。

その日の稽古が終わると、クロード・レジ氏がわたしたちに向けておっしゃいます。

「また明日。
よい食事を。
よく寝てくださいね。
そして、たくさん夢をみてくださいね」

現場から泉陽二でした。


2013年4月16日

『室内』パリ稽古・レポート(1)

『室内』のパリでの稽古に参加している俳優より、稽古レポートが届きました。
『室内』ワークショップ・レポートと平行して、ブログで公開していきます。

初回は、SPAC作品初出演の弓井茉那さんからです。

◆◆◆◆

4月11日(木)

今週から『室内』パリ稽古が始まりました。
稽古の模様を出演者によるリレー形式でお伝えして行きたいと思います。

第1回目は、弓井がお送りします。

稽古場はバスティーユ広場近くの、パリの劇場の稽古場をお借りしております。

DSC_0961
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写真は、稽古場の建物内部と、稽古場です。

パリらしいアパルトマンの一室に稽古場はあります。

稽古場には、こども達の声や街を行き交う人の声などが聞こえます。
そして時折隣の教会から鐘の音が響きます。
これらが稽古場で行っている作業に深く良い影響を与えてくれています。

ここ最近雨が多かったのですが、稽古を終えて外に出ると
なんと大きくて綺麗な虹が!

DSC_0965

虹は“神様の約束”だと出演者のたきいさんが教えてくれました。
ノアの方舟の大洪水の後、もう二度と生きとし生けるものを
絶滅させるような大洪水を起こさないとした神の契約の証だそうです。

稽古場では聖書の話、絵画や音楽の話もたくさん出ていて、
それらをイメージしながら想いを馳せながら、
そして目に見えない何かの力を感じながら、
今日も稽古を重ねております。

それでは、出演者によるパリ稽古場レポートはまだまだ続きます。
どうぞお楽しみに!

演出・レジさんの可愛らしいファッションチェックが
密かな楽しみとなっている弓井茉那でした。


2013年4月11日

『室内』ワークショップ・レポート(1)

大きな山に登るには、まず腹ごしらえ
SPAC制作部 米山淳一

今年6月「ふじのくに⇄せかい演劇祭2013」にて上演される
クロード・レジ演出&SPAC出演の新作『室内』の稽古が、
いよいよ4月8日より、フランス・パリで始まりました。

今回『室内』のクリエーションでは、レジさんによる稽古に先立ち、
2月末から1ヶ月に渡って俳優向けワークショップが行なわれました。
公演に向けての稽古スケジュールが常にぎっしり詰まったSPACで、
稽古とは別にこれほど長期のワークショップが行なわれるのは、
とても珍しいことです。
『室内』がどんな作品になるのかも、大いに気になるところですが、
これから数回に分けて、『室内』ワークショップの様子をご紹介します。

講師を務めるのは、フランスで活躍する女優ベネディクト・ル・ラメールさん。
ベネディクトさんのレジさんとの出会いは、今から15年前。
ベネディクトさんが入学した演劇学校で、当時レジさんが教えていたそうです。
「ふじのくに⇄せかい演劇祭2013」のパンフレットには、
レジさんとの出会いを語った感動的なコラムが掲載されています。
レジ作品で舞台デビューし、その後も長年仕事をともにし、
レジさんの演出や世界観を女優として身を持って知る、頼もしい先生です。
参加俳優は、全部で27人。
演劇のワークショップにしては、かなり大人数です。

<2月25日(月) ワークショップ初日>
 舞台芸術公園の稽古場棟「BOXシアター」にてワークショップ、スタート。

早速、台詞をしゃべったり、動いたりするのかと思いきや、まずは座学。
ベネディクトさんによるレクチャーです。
『室内』の作者メーテルリンクのことや、レジさんの演出の特徴や
世界観などについて、関連する様々な作家や作品にも触れながら、
ベネディクトさんは、とにかく語ります。

それから、レクチャーの合間、合間で、メーテルリンクやレジさんにとって
重要なテキストを、参加者全員で実際に声に出して輪読していきます。
読むのは、『室内』を始め、メーテルリンクの他の戯曲や『貧者の宝』という
エッセイ、さらにはノヴァーリスやロートレアモン、クライストといった
関連作家まで。

輪読は、レジさんの作品でとても重要な要素「沈黙」から始まります。
全員が沈黙しきって生まれた静寂の中で、参加者たちはその空間や
今そこにある空気を感じながら、テキストを静かに読み継いでいきます。
ベネディクトさんからは、「全員でエネルギーをキープして、
みんなの中心にある心臓を、全員で動かしていくような感覚で」と。
ここからして既に、静寂の中での共同作業です。

なんでも、レジさんの作品は、他の演出家の作品と比べると
少し特殊だそうです。
何も見えないほど暗い沈黙の舞台空間で、俳優はほとんど動かず、
またいかにもお芝居らしい演技はしません。
そんなレジ作品に出演する俳優が最終的に頼れるのは、
自分の内に蓄えられた想像力だけ。
作者や演出家レジさんが関心を持っている広い領域に関わる
文献や絵画や映像にたくさん触れることで、それらが自分の栄養となって、
いざ自分がスランプに陥ったりした時に、そこから這い上がるための
助けになるのだそうです。
その栄養が、上演する戯曲の台詞やレジ演出の世界観を
様々に押し広げられる想像力を生み出してくれます。

そんなわけで、今回は参加者が自由に触れて借りることができるように、
本や美術図鑑に映画のDVDまで、沢山の資料が用意されました。
(写真に写っているのはその一部です。)
ワークショップ期間中、俳優はそれぞれ自分の時間を使って、
更にいろいろな栄養を日々取り込んでいきます。

座学は3日にも渡りました。
大きな山に登るのには、これだけの準備が必要なのだということを、
改めて思い知らされた3日間でした。
最初の栄養補給を十分に終えたところで、
4日目からはいよいよ実際に、動いてみます。

レポート(2)へ続く。


2013年4月9日

不定期連載 クロード・レジがやってきた(2) ~『室内』関連ブログ~

『室内』翻訳の話
SPAC文芸部 横山義志

前回から一ヶ月近く経ってしまったが、そのあいだにレジ演出『室内』のオーディションが終わり、配役が決定した。
公演情報のページには、すでに出演者が発表されている。
※『室内』の詳細はこちら

そして、役の決まった俳優たちは、先週の土曜日にフランスへと旅立っていった。今週から、パリでの稽古が始まる。そのあいだに、私は『室内』翻訳台本の修正作業を進め、先週末にようやく台本を仕上げてお送りすることができた。というわけで、二回目でいきなり余談になってしまうが、今回は前回のつづきではなく、翻訳の話を少し。

メーテルリンク作『室内』の翻訳はかなり大変な作業だった。ふつうに読めば30分もかからないような短いテクストで、既訳もあるので、ちょっとたかをくくっていたところもあるかも知れない。だが、非常にシンプルな言葉で書かれているだけに、一文一文が極めて多様な意味やイメージに開かれていて、言ってみれば、どうにでも訳しようがある。一文一文について、レジが何を一番重視しているのか、どの意味を取って訳せば作品が最も効果的なものになるのか、というのを探っていかなければならない。ある統計によれば、文学作品の90%を理解するのに、英語では3,000語、フランス語では2,000語知っていればいいのに対して、日本語では10,000語知らなければいけないという。言ってみれば、フランス語の一語を訳すには、日本語の五つの言葉のなかから選ばなければならないわけである。一方で、レジは、観客の想像力を働かせるために、極力あいまいさを残しておくことを求めている。これは、フランス語から日本語への翻訳においては、かなり難しい作業になる。もちろん日本語にも曖昧な表現はいくらでも作れるが、舞台では観客が耳で聞いて伝わるようにしなければいけないので、あまりこねくりまわして、何も伝わらなかったら意味がない。それに、フランス語と日本語はほとんど歴史を共有していないので、日本語であいまいな表現を使うと、フランス語の原文には含まれていないような意味を付け加えてしまい、観客の想像をあらぬ方向に持っていってしまうことにもなりかねない。

では、なぜレジはあいまいさを大事にするのか。オーディション・ワークショップの稽古場では、よくこんな話をしていた。

「マラルメ(フランスの詩人、1842-1898)が言うように、「テクストはほのめかすもの(l’écriture suggère)」であって、言いたいことを直接に言うものではない。詩人は、言いたいことが言えないから書くんだ。ナタリー・サロート(レジとの共同作業でも知られるフランスの作家、1900-1999)も「言葉は、語られない実質を解放することに奉仕する。この語られない実質の方が、言葉よりも重要なのだ(Les mots servent à libérer la matière silencieuse qui est bien plus que les mots)」と言っている。」

つまり、本当に大事なのは言葉にできないものだ、ということだろう。だから、言葉からあいまいさを奪い取ってしまうと、作者が本当に伝えたかったものが伝わらなくなる可能性がある。レジ作品で沈黙が重要なのもそのためだろう。この『室内』という戯曲では、台詞の半分以上が「・・・」で終わっている。つまり、本当に言いたいことは口に出せていなかったり、さらには、口に出せていることは本当に言いたいことでなかったりするわけである・・・。

一方で、レジ作品に出演してきた女優のベネディクトは、俳優向けのワークショップの中で、「同じ言語を話しているからといって殺人が起こらないわけではないし、異なる言語を話すからといって分かり合えないわけではない」という話をしていた。翻訳の作業をしているときは、この言葉を思い出しながら、なんとか希望をつなぐ日々なのだった。

以上、余計な話なんだか本質的な話なんだかよく分からなくなってきましたが、次回はふたたび、レジという人はどんな演出家なのか、という話に戻ります(たぶん)。お楽しみに・・・。

(つづく)


2013年3月14日

不定期連載 クロード・レジがやってきた(1) ~『室内』関連ブログ~

SPAC文芸部 横山義志

クロード・レジがふたたび静岡にやってきた。ようやく3週間の『マハーバーラタ』フランスツアーが終わったかと思うと、劇場では、帰国の二日後の2月25日から、クロード・レジと何度か仕事をしてきた女優ベネディクト・ル・ラメールによるワークショップを開始。そして先週末の3月8日にはレジ本人も来日して、3月10日からメーテルリンク作『室内』製作のためのオーディションがはじまった。

クロード・レジ
↑クロード・レジ

ベネディクト・ル・ラメール
↑ベネディクト・ル・ラメール

レジを日本に紹介することは十数年来の念願だったので、2010年に『彼方へ 海の讃歌』(フェルナンド・ペソア作)の静岡公演が実現したときには、劇場で働いていてこれほど幸せなこともないのではないかと思ったが、今度はなんとSPACで、日本人の俳優と一緒に作品を作るという話になっている。数年かけて準備してきた企画ではあるが、よく考えて見ると、ほとんど自分の頬をつねってみたくなるような話でもある。せっかくの機会なので、公演が実現するまでのあいだ、レジについて、少し書いておきたい。

レジがどんな演出家なのか説明するには、私がはじめて見た『だれか、来る』(ヨン・フォッセ作)の話からはじめるのがいいだろう。これはノルウェーの作家による戯曲で、1999年にパリ郊外のナンテール・アマンディエ劇場で上演された、レジの代表作の一つである。男女のカップルが、人が通りかかることもないようなところに家を買って、二人だけの生活をはじめようとしていたところに、家を売った元家主という男が訪ねてくる、という話。劇場に入った瞬間から、舞台も客席も薄暗く、フランスの劇場らしからぬ奇妙な沈黙が支配している。完全に暗転し、上演がはじまったらしいが、長い間ほとんど真っ暗で、物音が一つも聞こえない。しばらくすると、暗闇のなかにぼんやりと、ベンチに腰掛けているらしき男女が浮かび上がってくる。フランス人がしわぶき一つ洩らすのもためらうような静けさに耐えているのを見るのは、これがはじめてだったのではないか。やがて、女が一人で家にいるとき、元家主を名乗る男がドアをノックして、「ビールを買ってきたから」と、ビール瓶が入っているビニール袋をちょっと振るのだが、このビール瓶が触れ合う音が、劇場を震わす大音響のようにすら聞こえた。

(ちなみにこの作品はその後、太田省吾さんも上演していて、2004年発行の『舞台芸術』誌第5号に太田省吾さんの文章と合わせてレジの演出ノートも掲載されている。)

フランスの演劇人たちは、レジの話をするときに、冗談で「見えない、聞こえない、動かない」などという。まさにその通りで、これほど「何を見ていいのか分からない」作品をつくる演出家もなかなかいないだろう。にも関わらず、フランスの演劇人だけでなくダンスや文学関係者なども含めて、これほど多くのアーティストが敬意を込めて語る演出家も他にいないのではないか。一方で、レジの名はフランス以外ではほとんど知られていない。その最大の理由は、めったに国外ツアーをしたがらないことにある。その理由は二つある。まずは、字幕をつけたがらない、ということ。たしかにレジ作品の暗さでは、字幕の明るさですらかなり目立ってしまう。静岡公演ではなんとか字幕をつけさせていただいたが、スウェーデンでの『海の讃歌』公演では、字幕はなしで、なんと観客全員にスウェーデン語訳の本を事前に送らせたという。もう一つの理由は、俳優が疲れてしまう、ということである。これはできるだけ多くのところで公演しようとしている多くの演劇人にとってはちょっと信じられないような理由だが、レジはいたってまじめである。たしかに、極度に動きが制限されるレジの作品では俳優にかなりの集中力が要求されるために、それだけの集中が可能になる環境でしかやりたくない、ということだろう。レジは100回目の公演だろうと、必ず客席中央後方のいい席で、舞台をじっと見ている。自分が納得できる舞台しかやりたくない、というわけである。

では、なぜレジはそこまでして「見えない、聞こえない、動かない」作品を追求するのだろうか。そして、そこまで国外にすら出たがらないレジが、なぜあえて静岡で作品を作ろうと思い立ったのだろうか。

(つづく)