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2014年7月20日

【アヴィニョン・レポート】ル・モンドに『室内』の記事も!

『マハーバーラタ~ナラ王の冒険~』に引き続き、ル・モンドに掲載された『室内』公演の記事をSPACの会会員の片山幹生さまが翻訳してくださいました!
ありがとうございます!

※元文はこちら
※ル・モンドに掲載された『マハーバーラタ~ナラ王の冒険~』の記事はこちら

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クロード・レジとともに時間と光を体験する
『ル・モンド』2014年7月17日 12h09
ブリジット・サリーノ

 常にかなたにある光を目指して進む。時間は忘却され、視線だけが空間のなかにある。言葉がすべてを侵食しようとするのを拒む。沈黙と静寂を保ちつつ、言葉のひとつひとつが、入って来るのを受け入れる。青色の時間のなかで聞こえる声のように、言葉に耳を傾ける。無意識のなかでの、かすかなざわめきのように、言葉を耳にする。身体に執着してはならない。そうではなくて緩慢な動きのなかで、身体を自由に生きさせるのだ。そして呼吸する……。クロード・レジが作品を通して私たちに提案するのはこうしたことがらだ。アヴィニョン演劇祭に『室内』(モーリス・メーテルリンク作)がやってきた。ひとつの贖罪を思わせるような作品である。

《新しい経験》
 91歳のこの演出家は、映画のマノエル・ド・オリヴェイラ監督[訳注:1908年生まれ、現在105歳のポルトガル人映画監督]と同じような道を進んでいる。レジは常により大きな自由を自らに与え、新しい経験に好奇心を示す。日本はレジに最も新しい経験をもたらした。ブルボン石切場で上演されている傑作『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険~』の演出家、宮城聰が、東京から一時間ほどのところにある静岡にレジを招いたのだ。静岡県舞台芸術センターの芸術総監督である宮城は、このカンパニーの作品制作のためにレジに声をかけたのだ。富士山の正面にあるこの町で、クロード・レジはメーテルリンク(1862-1949)の『室内』を再び取り上げてみたいと考えた。レジは1985年に、[パリ郊外の]サン=ドゥニのジェラール・フィリップ劇場で、フランス人俳優たちとこの作品を上演したことがあった。

 愛する土地に戻ってくるように、クロード・レジがこの作品に戻ってこようと思ったのは、メーテルリンクは昔からずっと、彼の演出家としての方法論を照らす灯台のような作家であるからだ。レジは演出において、登場人物という概念も心理描写も拒絶する。時の経過とともに、彼の演出はパフォーマンスとの結びつきを徐々に強化したスペクタクルの創造を目指すようになった。クロード・レジの演出は、光と時間を創り出す。ある日、彼がとある展覧会で、ジェームズ・タレルのようなアーティストと並んでいても何の不思議もない。原子の探求者であるタレルもまた日本で仕事をしたアーティストである。

 タレルの作品の一つは直島で見ることができる[訳注:直島は香川県、瀬戸内海の島。現代アートの展示で知られる。ここで紹介されているのはタレル作の「南寺」http://www.benesse-artsite.jp/arthouse/minamidera.html]。一人の男に手をひかれ、古い家に入っていく。導かれるまま、ある部屋に入ると、そこは完全な闇に包まれている。あとはそこで待つだけでいい。そのまま身を委ねればいい。徐々に溶解していく時間のなかにしばらくいると、暗闇の中に灰色の長方形が浮かび上がってくる。亡霊や夢のように。私たちはそこでもはや何も考えない。ただそこにいて、想像しえないような何か、そしてそこで起こっている何かに目を凝らすのだ。

《一人で静かに読書すること》
 『室内』のなかで、想像しえない何かは、一軒の家の中に入り込んでいく不幸という形で現れる。この家では父親、母親、そして彼らの二人の娘が静かな夕べの時間を過ごしている。彼ら以外に小さな子供がいるが、彼は眠っている。この家族にはもう一人、娘がいる。彼女は、午前中に祖母を訪ねるために家を出たまま戻っていない。この娘が川で死んでいたのを発見されたことをこの家族はまだ知らない。見つけたのは通りすがりのよそ者だ。この家族と知り合いの老人と一緒に、彼は家のそばまでやってきた。二人はこの痛ましい知らせを伝えなければならない。

 子供が死んでしまったことを、どうやってその親に伝えたものか?それに、いつ伝えるんだ?もう家の前だ。窓越しに平穏で静かな家族の姿が見える。『室内』では、この家族は誰もことばを発しない。メーテルリンクが、この作品でことばを与えたのは、旅人、老人、そして老人の二人の孫娘だけである。二人の孫娘は、村人たちと一緒にこの家の前にやって来た。村人たちは行列を組んで、祈りの文句を唱えながら、オフィーリアのような髪を持つ若い娘の遺体を運んできた。

《影の領域と光の領域》
 メーテルリンクの作品は一人で静かに読まなくてはならない。クロード・レジの公演は、あわれな遺体に手を添えるときのように丁寧に、この要求に応える。この作品のなかでは、あらゆるものが、自分たちの物語を語ることで、生きている者たちの哀しみを償おうとする。彼らは、踏み越えた途端、あらゆるものが不可逆となってしまう瞬間の入口にいる。舞台上にある影と光の領域は、精神的な空間を形作っている。舞台の奥のほうの神秘的な楕円は家を表している。そこで最初にわれわれが目にするのは、子供の手をひいて、ゆっくりと前に進む一人の女の姿だ。子供は明るい色の服を着ていて、髪の毛の色は褐色だ。子供は静かに地面に横たわる。

 他の人物は、みな立ったままだ。光による境界が彼らを分け隔てている。光の境界は、人を和ませる家を表す楕円形と人を怯えさせる外界を示す直線のあいだに引かれている。不幸は外界からやってくる。日本人の俳優たちは、クロード・レジによって規定されたこの世界の中で、あらゆる永遠性について、あたかも体験しているかのようだった。

 動きの緩やかさ、言葉の穏やかさ、存在、空間、時間の結合。あらゆる要素が、この作品では光と調和している。そして光は、同一の動き、同一の静けさのなかで、死と生を結びつけている。アヴィニョンで『室内』を見逃したとしても、パリでまだ見るチャンスがある。この作品は、秋季フェスティヴァルの枠組みのなかで上演されることになっているのだ。驚異的な経験が『室内』の観客を待ちうけている。クロード・レジは世界のゆらぎを感じ取らせるために、世界のノイズを消し去るのだ。

訳:片山幹生(SPACの会 会員)


『室内』モーリス・メーテルリンク
演出:クロード・レジ
訳:横山義志
出演:泉陽二、伊比井香織、貴島豪、大庭裕介
下総源太朗、鈴木陽代、たきいみき、布施安寿香
松田弘子、弓井茉那、吉植荘一郎、関根響
アヴィニョン公演:サル・ド・モンファヴェ、18時より。7/27まで。
上演時間:1時間 30分。日本語上演・フランス語字幕。
パリ公演:9/9 – 9/27、パリ日本文化会館にて。