2018年12月16日

<『顕れ』#007> 静岡県立大学図書館で特別展示開催中

Filed under: 『顕れ』2019

いよいよ『顕れ ~女神イニイエの涙~』開幕まで1ヶ月を切りました!
静岡県立大学図書館では、夏にムセイオン企画として宮城が公開授業を行った縁もあり、秋→春のシーズンを通して上演作品のポスターと関連書籍の展示を行っています。
◆関連リンク:県大での公開授業レポート

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『顕れ』(あらわ・れ)はカメルーン出身・フランス在住の女性作家レオノーラ・ミアノさんによって書かれた、奴隷貿易を主題とする戯曲です。
作品にまつわる書籍・かつ間口が広がるような本は…と悩み、今回は国際関係学部の松浦直毅先生に選書コーナーのプロデュースをお願いすることにしました。
松浦先生は快く引き受けてくださり、4つのカテゴリーに分けた計16冊を選んでくださいました!
書籍だけでなく、先生が実際に現地で手に入れた楽器などの関連グッズも展示しています。
静岡県立大学図書館へは学生以外も入館できますので、ぜひみなさん足をお運びください。

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打ち合わせを重ねるなかで、研究に関してたくさん興味深い話を聞くことができました。
担当制作の心にだけ留めるのはもったいない!と思い、さらにブログ記事執筆もお願いしました。ぜひ続けてお読みください。


 

『顕れ』上演によせて
松浦直毅(静岡県立大学国際関係学部)

 
静岡県立大学の松浦直毅と申します。アフリカの熱帯林地域で人類学の研究をしています。芸術全般に対して疎く、とりわけ演劇や舞台といったものには縁遠い人生を送ってきた私ですが、せっかくの機会なので、アフリカでの現地生活の経験のなかから、『顕れ』の世界へと通じる(かもしれない)お話をしたいと思います。『顕れ』の背景に広がるアフリカ文化の一端を知ることで、鑑賞をよりいっそう楽しんでいただければ幸いです。

ガボンの伝統儀礼ブウィティ
いまからご紹介するのは、私が長年にわたって調査をしてきたガボンという国のとある村でおこなわれている、現地の言葉で「ブウィティ」とよばれる儀礼のお話です。ガボンは、アフリカの中部、大西洋岸の赤道直下にある国で、国土の大半が森林におおわれ、数多くの野生動物がすんでいる自然豊かな国です。私はこの国で、森の資源に強く依存して生活する狩猟採集民の人びとについて、かれらの村に住みこんでの調査を2002年からつづけています。これまでに十数回にわたって村を訪れており、あわせて2年半ほど村で生活を送ってきたことになります。ブウィティは、宗教的な性格をもったいわゆる伝統儀礼で、儀礼結社の成員になるためにおこなわれる「成人儀礼」、人が亡くなったときや過去に亡くなった人を弔うための「葬儀」、病気の治療や問題解決のための「治療儀礼」など、いくつかの種類の儀礼をふくんでいます。ブウィティは、地域をあげておこなう重要な社会的行事であり、人びとの生活の中でも精神世界の中でも、なくてはならない大切な位置を占めています。

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▲調査村の風景

儀礼への参加を体験する
村で長く暮らし、村の人たちがそれなりに私の「立ち位置」を認めてくれるようになると、私もブウィティの参加者の末席にくわえてもらえるようになります。あるとき村の人たちが、「君も一緒に参加するんだよ」と言って連れて行ってくれたのが、となりの村でおこなわれた、過去に亡くなった人物を弔うブウィティでした。
村に夜のとばりがおりるころ、木と葉で建てられた集会所に人びとが三々五々集まってきます。中ではたき火があかあかと燃えさかっており、それを囲んで座っている人びとが、手をたたき、竹を打ち鳴らし、太鼓やマラカス状の楽器の音を響かせています。その場をとりしきる男が口火をきって歌いはじめると、大声の合唱がはじまります。男も女も子どもも、その場にいる全員が声をはりあげて歌います。先導役の男があおりたてるように歌うと、それに呼応して合唱の声はどんどん大きくなっていきます。幾重にも声がおりかさなった合唱を心地よく聴きながら、ふと集会所の外の音に注意を向けてみると、いろいろな種類の虫の声が聴こえてきます。虫たちも合唱に参加しているかのようです。

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▲集会所

さまざまな音がシャワーのように降り注ぐなかで、二つの巨大なたいまつに火がともされます。二人の男がそれをもって、聖火ランナーのように集会所の外へと走り出します。男たちが走り去ったあとには、たき火の煙にまじったたいまつのにおいが立ち込めます。村のはずれまで走っていった男たちの先にいたのは、たいまつの灯りで照らされて妖しげな動作で踊る「精霊」でした。村の奥に広がる森から精霊が村へと帰ってきたのです。

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▲精霊

暗がりのなかで、能面のような白い仮面でおおわれた精霊の顔が妖しく浮かび上がってみえます。仮面のまわりはヤシの繊維でおおわれており、まるで長髪を振り乱しているかのようです。腰と手首、足首に葉っぱの装飾をつけ、木の枝を細かく割いたほうき状の道具を両手に持った精霊は、二つのたいまつに照らされて、手、腰、足を激しくふりまわして踊っています。さきほど、「精霊が村へと帰ってきた」と述べました。このように表現した理由は、森にすんでいるとされるこの精霊こそが、この日のブウィティで弔われている死者が姿をかえたものだからで、儀礼にあわせて故郷の村に帰ってきたというわけです。精霊の登場によって、音楽と歌声の盛り上がりは最高潮に達します。精霊は、しばらく激しく不可思議に踊ったのち、ふたたび森の闇のなかへと消えていきました。たいまつの男たちは走って集会所にもどってきます。煌々と明るいたいまつよりはずっと淡く優しい月の光が、精霊が去ったあとのひっそりした村はずれを照らしていました。

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▲歌い踊る参加者たち

遠くて近いつながり
あたかも精霊が実在するかのような私の表現に違和感をもたれた方がいるかもしれません。もちろん、この精霊は村人のひとりが「演じている」ものですが、儀礼開催のためには、何日もかかって装飾品や小道具、参加者に提供する食事などが準備され、精霊が登場するための「舞台装置」が周到に整えられており、参加者がこぞってその演出に協力することによって、精霊の存在、ひいてはこの儀礼が成り立っているのです。ですから、精霊の「正体」をうたがってその舞台裏をのぞこうとするのは、野暮なことでしかありません。実際にそのとき私は、森と村と人びとが織りなすさまざまな音と色とにおいに包まれた非日常の空間のなかで、本当に森にすんでいる精霊が村に現れてまた森へと消えていったと思ったのでした。10年以上前のできごとですが、あのときの体験は私の脳裏に強く焼きついたままです。どんな表現を尽くしても、さまざまな演出と舞台装置にいろどられた「場」を再現できるものではなく、その「場」で五感をつかって味わった感覚を伝えることもきわめて困難なのですが、その一端に触れていただくことはできたでしょうか。

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▲村の背後に広がる森

さて、演劇に親しんでいる読者のみなさんのなかには、ここまでの儀礼にかんする描写をご覧になって、つぎのようなことを感じた方がいるのではないでしょうか。すなわち、これはまさしく演劇なのではないのかと。まさにそのとおりで、ここでは専門的な話にはふみこみませんが、じつは文化人類学のなかで、儀礼と演劇は長きにわたって深いつながりをもつものとして議論されてきました。儀礼にも演劇にも共通しているのは、私たちが日常の生活や人間関係から切り離された非日常の時間と空間のなかで、参加する者たちが一体となって「場」をつくりあげること、そこでは定型にしたがった「パフォーマンス」が繰り返し演じられ、参加者同士が心に深くきざまれる体験を共有するということです。
冒頭で私は、「劇場に足を運んで舞台を観る経験が乏しい」という意味で、自分が演劇とは縁遠い人生を送ってきたと述べました。しかしながら、これまで述べてきたように、私たちが人生のさまざまな場面で経験する儀礼が、演劇と分かちがたくむすびついており、そして、私たちの社会がそうした「儀礼的・演劇的なもの」によっていろどられていることをふまえれば、私の、そして、どんな人の人生も「演劇と縁遠い」などということはなく、むしろ「演劇とともにある」のではないかと思うのです。

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▲参加者が一体となって儀礼の場をつくりあげる

他方で読者のみなさんは、はじめにアフリカの村の話だと聞いたときには「自分とは縁遠い」と思われたことでしょう。では、これまでの話をお読みになって、どのような感想をおもちになったでしょうか。もちろん、まったく想像もつかず理解もできない世界だという声もあるかもしれません。しかし一方で、私たちと通底する何かを感じることはなかったでしょうか。たとえば、アフリカの種々の仮面をみてみると、真っ白で面立ちも能面のようなものがあることに驚きます。みんなが一体となった儀礼に参加すれば、自分がまったくちがう立場の者だということをすっかり忘れ、いつしかその場に没入してしまいます(没入が高じて私は、儀礼結社に加入し呪術師にも入門してしまいましたが、その話はどこか別の機会ですることにしましょう)。作品紹介の動画で宮城さんが語っていらっしゃるように、『顕れ』で描かれているのも、私たちとは遠く離れているようでありながら、私たちと深いところで相通じる世界なのではないかと思うのです。

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▲精霊の仮面

「演劇とともにある」ひとつらなりの自分の人生のなかで、私たちと相通じる世界を体験する「場」に立ち会えることを楽しみに、『顕れ』を観に行きたいと思います。


◆これまでのブログ
2018.7.15更新 #001 県大での公開授業レポート
2018.7.21更新 #002 作者レオノーラ・ミアノ氏来静!
2018.8. 5更新 #003 レオノーラ・ミアノ氏講演会レポート
2018.8.30更新 #004 研修生ポールさんの振り返りレポート
2018.9.11更新 #005 世界初演まで間もなく!
2018.12.10更新 #006 『顕れ』の世界を読んで楽しむ

◆パリ公演期間中のブログ
『顕れ』パリ日記2018 by SPAC文芸部 横山義志

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SPAC秋→春のシーズン2018-2019 #3
顕れ ~女神イニイエの涙~
2019年1月14日(月祝)、19日(土)、20日(日)、26日(土)、27日(日)
2月2日(土)、3日(日) 各日14:00開演
日本語上演/英語字幕
会場:静岡芸術劇場

作:レオノーラ・ミアノ
翻訳:平野暁人
上演台本・演出:宮城聰
音楽:棚川寛子

*詳細はコチラ