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2020年5月4日

キリル・セレブレンニコフ:ロシアで生きること

上田洋子
(『The Student』日本語字幕翻訳)

 
 ロシアの演出家キリル・セレブレンニコフは、2017年8月から2019年4月まで、国家予算横領の罪を問われて自宅軟禁状態にあった。現在も国外に出ることが禁じられているはずだ。演劇人をはじめ多くの人々が、逮捕が不当であることを主張し、彼の釈放を求めた。
 この事件は「第七スタジオ事件」と呼ばれている。セレブレンニコフの劇団「第七スタジオ」において、国家予算を得たのに実施されず、予算の使途が不透明なプロジェクトがあるとされたのだ。この事件で、実際に実施されていたプロジェクトや、上演されていた作品が、「行われなかった」「上演されなかった」と断罪されるという不条理を目の当たりにすることになった。証言などを見るに、経理関係の書類に不備はあったのかもしれないが、横領があったかどうかは定かではない。この事件は2020年5月時点で今後も裁判が継続されることが決まっており、まだ完全な解決には至っていない。

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▲キリル・セレブレンニコフ

 
 では、セレブレンニコフはどういう演出家なのか。簡単に紹介したい。
 1968年生まれのセレブレンニコフは、ロシアの演出家としてはたいへん珍しいことに、演劇大学を出ていない。ロストフ大学物理学部出身で、大学生の頃からロシア南部の都市ロストフ・ナ・ドヌーのアマチュア劇団に所属し、1994年からは同市の劇場で演出を行っていた。2000年にモスクワに居を移し、同年、若手の新しい劇作とその上演を推進していたカザンツェフ・ローシン劇作演出センターで『粘土』を上演。1977年生まれで当時23歳の劇作家ワシーリイ・シガリョフと、29歳のセレブレンニコフのコンビによるこの作品は、大きな反響を呼んだ。そして2年後の2002年には、セレブレンニコフはモスクワ芸術座で演出を行うようになる。
 ソ連が崩壊して10年が経過したこの頃、現実を暴力や欲望を通して描く過激な戯曲が多く書かれ、評価を得ていた。この潮流は「ノーヴァヤ・ドラマ」(新しい戯曲)と呼ばれるが、『粘土』もそうした作品のひとつだった。セレブレンニコフはこれらノーヴァヤ・ドラマの演出で頭角を表した。わたしはモスクワ芸術座での彼の第1作、プレスニャコフ兄弟の『テロリズム』を見ている。もちろんノーヴァヤ・ドラマだ。芝居終了までの時間がタイムコードで示されながらも、速いテンポで暴力や性の場面が切り替わり、人生の耐え難さを押し付けられるような、辛く、しかし強く印象に残る体験だった。日本だとポツドール『夢の城』の鑑賞体験と似ているかもしれない。
 セレブレンニコフの型破りな演出はロシアの演劇界を驚かせ、彼は実力・人気ともに1、2を争う時代の寵児になっていく。モスクワ芸術座のほか、ボリショイ劇場でのオペラやバレエの演出も手がけ、さらに映画監督としても活躍する。2012年にはモスクワ市立ゴーゴリ劇場の芸術監督に任命された。当時いささか時代遅れだったこの劇場は、セレブレンニコフのもとで「ゴーゴリ・センター」として生まれ変わり、演劇だけでなく、映画やコンサート、パフォーマンスも行われるマルチな文化の拠点となった。さらに、最近ではハンブルク・オペラの『ナブッコ』(2019年)など、国外での活動も多い。
 
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▲「ふじのくに⇄せかい演劇祭2020」にて上演予定だったキリル・セレブレンニコフ演出作品『OUTSIDE―レン・ハンの詩に基づく』
 
 2000年代半ば頃から、セレブレンニコフはオストロフスキー、ゴーリキー、ブルガーコフらロシアの古典を現代的に解釈し、風刺劇として上演するようになった。2011年にボリショイ劇場で演出したオペラ『金鶏』では、ロシアの国章である双頭の鷲が双頭の鶏としてパロディ化されるなど、歴史的シンボルや暗示が多用され、ロシアの政治や権力構造が風刺された。作家のウラジーミル・ソローキンにも見られるようなあからさまな政治風刺は当時の流行でもあり、作品は話題を呼んだが、他方、保守層からの反感も招いた。2017年のセレブレンニコフの逮捕は、こうした反感とも結び付けられて受け止められている。
 2012年のプーチン大統領再選以降、ロシアでは社会がいっきに保守化する。同年2月、女性アーティストグループ「プッシー・ライオット」がロシア正教の総本山・救世主ハリストス教会で反プーチン・反教会ソングを歌い、その後逮捕され、公開裁判を経て矯正労働収容所に送られる事件があり、社会は擁護派と反対派に分断された。今回上映される『The Student』に登場する「宗教的感情の侮辱」という表現を、一般の人々が広く用いるようになったのは、この事件の頃ではないだろうか。
 
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▲映画『The Student』より

 『The Student』で、自分の言葉ではなく聖書の言葉を語り、聖書の価値観を振りかざす主人公ヴェーニャは、まるで独裁者のようだ。彼の論理はときに破綻し、聖書の言葉は都合よく歪められるが、周りの大人たちはなぜか彼に言いくるめられてしまう。他方、ヴェーニャと対立する理性的でリベラルな生物教師は、正論を言えば言うほど信頼を失い、どんどん立場を悪くする。この対立にはもちろん社会の対立が反映されているだろう。しかし、この作品では、こうした対立が、若さの持つ残酷さと弱さ、人間の愚かさと結びつく。緊張感に溢れる物語の中に、笑いや美、それに愛のテーマもどこからか顔を覗かせる。理解し合えない人々からなる社会の中で、人間の生とは何なのか、そんな問いに向き合わざる得なくなる作品である。

【筆者プロフィール】
上田洋子(うえだ・ようこ)
ロシア文学者、博士(文学)。株式会社ゲンロン代表。共編著に『歌舞伎と革命ロシア』(森話社)、監修に『プッシー・ライオットの革命』(DU BOOKS)、共訳書に『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』(松籟社)など。

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くものうえ⇅せかい演劇祭2020
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◆『The Student』
 5月5日(火・祝)13:00/22:00、5月6日(水・休)13:00配信予定

◆トーク企画「くものうえでも出会っちゃえ」
 キリル・セレブレンニコフ×宮城聰
 5月6日(水・休)15:30配信開始予定

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2020年5月1日

少女の欲望が演劇を通じて世界を変えていく 〜オリヴィエ・ピィのグリム童話『愛が勝つおはなし ~マレーヌ姫~』〜

SPAC文芸部 横山義志

 
今回映像でお届けすることになってしまった『愛が勝つおはなし』は、今の状況で観ると、とても心に染みる作品です。隣国の王子と恋に落ち、父王が命じた政略結婚を拒否したため、七年ものあいだ暗い部屋に閉じ込められていた少女。外に出てみると、父は亡くなっていて、一面の焼け野原。戦争で傷ついた人々や仕事を失った人々が路頭に迷っています。

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きっと今頃、世界中で、家族や恋人や友人と引き裂かれた人たちが「いつあの人に会えるのかな」と思っていることでしょう。
 
オリヴィエ・ピィは今日のフランスを代表する劇作家の一人です。ムアワッドとピィのスタイルはだいぶちがうのですが、一つ共通していることがあります。それは「言葉は人を変える」ということを深く信じているということです。フランス語で「言葉」を意味する「パロール」には、「約束」という意味もあります。二人とも、この「約束としての言葉」には人の運命を変える力がある、と思っているのです。この考え方は、全ては経済によって決まると思われがちな今日の世界においては、貴重なものになってしまったのかもしれません。

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オリヴィエ・ピィは、現代の劇作家では珍しく、キリスト教の信仰を公言しています。ピィは「言葉が受肉する」ということ、つまり言葉が人に宿って人を変え、世界を変えていくという奇蹟を信じているのです。フランス語の「パロール」は、紙に書かれた言葉ではなく、話し言葉を指しています。言葉を口に出すと、それを聞いた人とのあいだに新たな約束が生じ、世界は変わっていきます。
 
「会いたい」という気持ちを心の片隅にしまって日々を過ごしている方も多いでしょう。でも、明日の世界をつくるのは、きっとそんな気持ちです。
 
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少女の七年間の監禁生活を支えたのは「恋する王子様に会いたい」という気持ちでした。そして全てを失い、打ちひしがれた少女は、演劇と出会い、演じることを通じて、ふたたび自分の欲望に正直に生きること、自分の意思を持つことができるようになります。舞台で他人の欲望を演じること、演じられる他人の欲望を自分ごとのように思って観ることは、いわば「言葉を受肉させる」ための儀式です。そんな儀式を通じて、欲望が意志となり、言葉となって、世界を変えていく。だからこそ演劇は世界を変えうるのだ、というのがこの作品に込められたピィさんの思いです。
 
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オリヴィエ・ピィは世界最大の演劇祭の一つであるアヴィニョン演劇祭のディレクターでもあり、そこでSPACの作品を二度にわたって紹介してくれています。そのアヴィニョン演劇祭も、今年はついに中止になってしまいました。世界中の演劇を愛する人々が出会う場が失われてしまった今、ピィさんはどんな気持ちなのか。宮城聰とのトークにも、ぜひご注目ください。
 
 
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◆オリヴィエ・ピィのグリム童話『愛が勝つおはなし~マレーヌ姫~』全編上映
 5月2日(土)14:00配信開始予定

◆トーク企画「くものうえでも出会っちゃえ」
 オリヴィエ・ピィ×宮城聰
 5月3日(日・祝)13:30配信開始予定

◆関連企画!おうちで感想画を描いてみませんか?
オリヴィエ・ピィのグリム童話『愛が勝つおはなし~マレーヌ姫~』全編上映を観て、心に残ったシーン、面白かったシーンをあなたの思うように絵に描いてお送りください。応募された作品は、フランスへ届けられます。オリヴィエ・ピィさんに絵であなたの気持ちを伝えましょう♪ 詳細はこちら

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2020年4月28日

境界を越える人々の夢と現実 〜クリスティアヌ・ジャタヒーのこと〜

SPAC文芸部 横山義志

ジャタヒーとの出会い
 クリスティアヌ・ジャタヒーは何年も前から紹介したいと思っていたアーティストでした。世界中のあちこちの友人から「ジャタヒーはすごいぞ、見てみろ!」と聞き、何度かビデオを取り寄せて見ていました。でも実際に出会う機会はなかなか訪れず、昨年のアヴィニョン演劇祭で、ようやく劇場で作品を観ることができました。
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▲クリスティアヌ・ジャタヒ―

 映像とライブパフォーマンスを融合させて客席を熱狂に巻き込んでいく手腕に圧倒され、ぜひ静岡で紹介したいと思い、ジャタヒーさんに声をかけてみたところ、「私も何年も前から静岡に行きたいと思っていました」とおっしゃってくれました。ジャタヒーさんのプロデューサーは、以前紹介したブラジル作品『かもめ…プレイ』に俳優として出演したことがあり、SPACの話を聞いていて、アヴィニョンでもよく噂を聞いていたとのこと。なので、今回静岡に来られなくなってしまい、ジャタヒーさんは本当に悔しがっていました…。

『終わらない旅』、故郷を離れて暮らす人たちの物語
 静岡で紹介したい、と思ったのは、ジャタヒーさんがブラジル出身だということもあります。静岡県にはブラジルにルーツを持つ方がたくさんいらっしゃいます。エンリケ・ディアス演出『かもめ…プレイ』を上演した際には、ブラジルポルトガル語を話す方がたくさん見に来てくださいました。静岡から海を越えて移住していった方々、静岡に移住してきた方々の物語も、何度となく聞いてきました。今回上演するはずだった『終わらない旅~われわれのオデッセイ~』は故郷を離れて暮らす人々に焦点を当てていて、今まさに静岡で観てみたい作品と思ったのでした。
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▲『終わらない旅 ~われわれのオデッセイ~』より

 この作品では、故郷を離れざるを得なくなった人たちの物語が、2800年も前から伝わっているという古代ギリシアの叙事詩『オデュッセイア』に重ねて語られていきます。『オデュッセイア』は、10年にわたってトロイア戦争を闘った英雄オデュッセウスが、さらに10年をかけ、地中海をさまよいながら家族が待つ家にたどりつくまでの物語です。華々しい戦争の話だけでなく、家に帰りたい一心で孤独にもがく一個人の物語がこれほど長く語り継がれてきたのは、いつの時代にも同じような思いをした人がたくさんいたからなのでしょう。

舞台の生々しさ、映像の生々しさ
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▲『終わらない旅 ~われわれのオデッセイ~』より

 ジャタヒーは映像を巧みに使う演出家として知られています。ジャタヒーがすごいのは、映像でしか感じることのできない生々しさと、舞台でしか感じることのできない生々しさとが相乗効果を生んでいくことです。『終わらない旅』では、映像を通じて、私たちがふだんなかなか出会うことのないシリア人、パレスチナ人やブラジルのアマゾン川流域に住むカヤポ族の肉声を聞き、その表情を大画面で見ることができます。そして気がつくと、会場にも故郷を遠く離れて暮らす人たちがいて、目の前で自らの流浪の物語を語ってくれるのです。さらに、スクリーンのうえで観た物語が「今、ここ」の物語として迫ってくる、という仕掛けになっているのですが、ここから先は、いずれ本当に上演できたときのお楽しみにしておきましょう…。

『Utopia.doc』、国を越えて生きる人たちが夢見る世界
 今回「くものうえ⇅せかい演劇祭2020」で映像配信される『Utopia.doc』は、『終わらない旅』をつくるきっかけになった作品の一つです。チェーホフ『三人姉妹』をもとにした『もし彼女たちがモスクワに行っていたら』という舞台作品を製作中、ジャタヒーはパリ、フランクフルト、サンパウロで、世界各地からの移住者に自分の人生を語ってもらい、自分にとってのユートピアとは何かを尋ね、映像に収めていきました。それに対する返信として、パリのアーティストたちが舞台作品をつくったり、ブラジルの重要な作家たちがテクストを書いたりして、話してくれた方々に届けていきます。
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▲『Utopia.doc』より

 『終わらない旅』や『UTOPIA.DOC』に出てくる人たちは、世界のあちこちで国境が閉じ、外出もままならなくなってしまった今、どんなふうに暮らしているのでしょうか。ブラジルでも非常事態宣言が出て、ジャタヒーさんが住むリオ・デ・ジャネイロでも多くの感染者が出ています。リオには日系人も多く住んでいます。「くものうえでも出会っちゃえ」で、ジャタヒーさんのお話をうかがうのが楽しみです。

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くものうえ⇅せかい演劇祭2020
https://spac.or.jp/festival_on_the_cloud2020

◆『Utopia.doc』
4月29日(水・祝)15:30配信開始予定
*5月6日(水・休)22:00終了予定

◆トーク企画「くものうえでも出会っちゃえ」#3
 クリスティアヌ・ジャタヒ―×宮城 聰

4月30日(木)18:00配信開始予定
*5月6日(水・休)22:00終了予定
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読み、書き、演じ、はるかな世界へ ~オマール・ポラスと『私のコロンビーヌ』~

SPAC文芸部 横山義志

 
「ふじのくに⇄せかい演劇祭2020」で上演されるはずだった『私のコロンビーヌ』を見たとき、オマール・ポラスと一緒にアンデス山脈から星を眺めた日のことを思い出しました。オマールはインディオと呼ばれる自分の祖先たちの生活について語ってくれました。その時はじめて、「新大陸」と呼ばれた土地が、とても古い記憶を宿している土地でもあることを実感することができました。

オマールの故郷は、イタリアの探検家コロンブスにちなんで「コロンビア」と呼ばれています。コロンビアの公用語はスペイン語。「新大陸」の人や物の多くは、ヨーロッパの言葉で呼ばれます。コロンブスというのはラテン語で「ハト」の意味。「コロンビーヌ」は「小鳩ちゃん」といった意味の女性の名前で、コメディア・デラルテでは陽気で抜け目のない女中のキャラクターです。『私のコロンビーヌ』とは、オマールが出会ったヨーロッパの演劇のことでもあり、なぜかヨーロッパ人から借りた名前で呼ばれているオマールの故国のことでもあるようです。
 
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オマール・ポラスはヨーロッパの演劇界でもかなり特異な存在です。コロンビアから一人でパリにやってきて、地下鉄で人形劇をやったり、コロンビア人女性のところに転がりこんだりして何とか生き延び、なぜか舞台芸術界の重要人物たちと出会い、それからなぜかジュネーヴ郊外の廃屋で演劇活動を始め、ついには公立劇場の芸術監督になってしまった…というのは、ちょっとほかに似た例が思い浮かびません。
 
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今回「くものうえ⇅せかい演劇祭2020」を立ち上げるにあたって、劇団SPACの中で、「演劇に救われた」という経験があるからここにいる、という話が何度も出ました。でもオマールほどに演劇が人生を変えてしまったという例は、他にあまり知りません。

オマールはコロンビアの先住民の農家に生まれ、読み書きができずに悔しい思いをした母親から、とにかく学校で勉強するようにいわれて育ったといいます。そして読み書きを学んだことで文学・哲学・芸術と出会い、パリにあこがれ、演劇にあこがれ、自分が生まれ育ったのとは全く異なる環境に飛び込み、自分の道を切り拓いてきました。

そんなオマールの半生をはじめて作品にしたのが『私のコロンビーヌ』です。この作品を見ると、人には無限の可能性があるんだ、自分で扉を開けてさえみれば新たな世界が見えてくるんだ、と素直に感じることができます。

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読書は遠いところや違う時代に生きた人たちとつなげてくれます。そして演劇は別の場所、別の時間を生きた人たちを通じて、今を生きる人たちとの新たな出会い方を教えてくれます。オマールとSPACも、静岡で、スイスで、フランスで、コロンビアで、これまで何度も、そんな不思議でディープな時間を過ごしてきました。

2011年、東日本大震災によって、オマールがコロンビアでつくった作品の静岡公演が中止になりました。その時オマールは、「椅子一つ、ろうそく一本でも芝居はできる」といって、単身静岡に来て、SPACの俳優たちと一緒に作品をつくってくれました。でも今回はスイスの自宅から出ることもままなりません。

そんな中でオマールは、静岡で過ごした日々の思い出から出発して、コロンビアの思い出、そして『私のコロンビーヌ』の物語へと私たちを誘う、8分間の素敵なビデオ作品を送ってくれました。盟友宮城聰とのトークとともに、ぜひお楽しみください。
 
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▲ 「ふじのくに⇄せかい演劇祭2011」上演作品『シモン・ボリバル、夢の断片』より
上・貴島豪、下・オマール・ポラス

 
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▲ 2012年『ロミオとジュリエット』初演創作期間中、静岡芸術劇場にて

 
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くものうえ⇅せかい演劇祭2020
https://spac.or.jp/festival_on_the_cloud2020

◆オマール・ポラスによる『虹のドレス』
 4月29日(水・祝)13:00配信開始予定

◆トーク企画「くものうえでも出会っちゃえ」
 オマール・ポラス×宮城聰
 4月29日(水・祝)13:30配信開始予定

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2020年4月24日

『ワジディ・ムアワッドによる日記の朗読』コロナウィルスの時代のワジディ・ムアワッド 

藤井慎太郎
(日本語字幕翻訳)

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 SPACでは『頼むから静かに死んでくれ』『火傷するほど独り』がこれまでに上演され、お馴染みとなっているムアワッド。本当なら今年は『空を飛べたなら』が上演される予定であった。1968年にレバノンに生まれ、内戦を逃れて家族とともにフランス、ついでカナダに亡命したムアワッドだが、モントリオールのカナダ国立演劇学校に入学したことが人生の転機となる。俳優・劇作家・演出家として世界的な成功を収めた彼は、2016年からフランス国立コリーヌ劇場の劇場監督を務めている。ムアワッド個人の人気もさることながら、すぐれたアーティストと刺激的な作品が並ぶプログラムによって、コリーヌ劇場は大勢の観客、特に若い観客が詰めかける活気に満ちた劇場となった。

 『空を飛べたなら』は、ムアワッドの人生をいい意味でも悪い意味でも狂わせることになったレバノン内戦——『頼むから静かに死んでくれ』をはじめ、ムアワッド作品の多くはレバノン内戦の(非)人間性をめぐるものである——の原因といってよい、パレスティナ問題を取り上げたもので現代のイスラエルにおけるユダヤ人とパレスティナ人の間の禁じられた愛を描きつつ、予想もつかない劇的な結末が観客を驚かせ、感動させる4時間の大作だった。テクストはムアワッドがフランス語で書いたものだが、劇中ではフランス語がまったく用いられない代わりに、ヘブライ語、アラビア語、英語、ドイツ語の複数言語が話される点でも、大きな野心に導かれた作品であった。

 だが、コロナウィルスの感染拡大に伴って、フランスや日本も含め、世界各国で外出が制限され、来日公演もふじのくに⇄せかい演劇祭開催もかなわなくなったのだった。世界のおよそすべての国で国境が閉ざされ、ウィルスとの闘いはしばしば戦争になぞらえられている。国家、組織、個人が「壁」をつくって「うちに立てこもる」ことを余儀なくされている今こそ、ユダヤ人とパレスティナ人の間にある心理的そして物理的な壁、演劇における言語という壁を主題とする『空を飛べたなら』の上演は、日本にいる私たちにも大きな意味を持ったはずだった。ほんとうに惜しまれることだ。

 だが、その代わりに、今回、ふじのくに⇄せかい演劇祭に代わる「くものうえ⇅せかい演劇祭」の一環として、ムアワッドによる『隔離日記 第18日』の公開が可能になった。日本よりも早く事態が深刻化したフランスでは、3月13日から100人以上の集会が禁止され、ムアワッドが率いるコリーヌ劇場もその翌日から閉鎖された。3月17日からはフランス全土で外出が禁止され、現在に至っている(日本の「自粛」とは異なり、罰則を伴う「禁止」である)。劇場での活動を完全に中断せざるを得なくなったとき、ほかの多くのヨーロッパの劇場と同じように、ラ・コリーヌもその活動をウェブ上に移行させた。日記のかたちを借りて、封鎖と隔離の下の生と芸術、演劇についてムアワッドはテクストをしたため、それを自らが朗読したものを劇場ウェブサイトにおいて3月16日から毎日公開して、現在に至るまで続けている(週末を除く)。

 ここに日本語字幕を添えて公開される『隔離日記 第18日』は『空を飛べたなら』とは対照的な、15分足らずの短い映像であり(劇場ウェブサイトで公開されているのは音声のみ)、登場するのはムアワッド一人で、過剰な演技も演出も削ぎ落とされたもので、逆にその単純さと素朴さが観客を惹きつける(だが、『火傷するほど独り』で見せてくれた通り、ムアワッドはすぐれた役者であり、これは朗読である以上に演劇なのである)。彼の思考は、コロナウィルスがもたらす「死」を出発点として(フランスではすでに2万人を超える人命が失われた)、ベルイマンやタルコフスキーの映画、ジャコテの詩、ギリシア悲劇に登場するイフィゲネイアなどにふれながら、災いを鎮めるための生贄という「犠牲」へと向かい、「死」が蔓延するなかで「生」「誕生」を口にすることの重要性へと至る。

 だがムアワッドは、最後に私たちに問いかける。まさに今日生まれくる子どもから、20年後に「人間は変わらなかった?」「人間の半分以上が封鎖されて、根本から変わらないなんてある?」と尋ねられたとして、そのときいかにして「結局、何も変わらなかった/封鎖が解かれたときはちょっと大変だったけど/その後も恐かったし/でも続けたんだ、前と同じように」と答えられようか、と。

 日本にいる私たちは、9年前にも同じことを思わなかっただろうか? 東日本大震災、津波、原発事故のカタストロフィを経験したとき(フランスにおける犠牲者の数は震災のそれに匹敵するか、それ以上のものだ)、「復興」とは震災以前に戻ることではない、新しい人間と社会のあり方を発明しなければならないと、私たちは思ってはいなかったか? だが、私たちは震災の日に生まれきた子たちに、今、何と答えられようか? 

「結局、何も変わらなかった[・・・・・・]続けたんだ、前と同じように」 

 ムアワッドが放った言葉は、フランスからは遠く離れた私たちを不意打ちする。仏語圏スイスの詩人フィリップ・ジャコテがケシの花の色について紡いだ言葉がムアワッドの心をとらえたように、詩人の言葉はそこから離れたところで心を打つ。いや、直接の有用性や標的から離れているからこそ、心を打つ。それは、「言葉にわずかでも残っている価値」、言葉の芸術としての演劇の力のひとつなのだ。

【筆者プロフィール】
藤井慎太郎 FUJII Shintaro
早稲田大学文学学術院教授。フランス語圏・日本を中心に舞台芸術の美学と制度を研究する。主な著作にLa Scène contemporaine japonaise(共同責任編集)、『ポストドラマ時代の創造力』(監修)、『芸術と環境 劇場制度・国際交流・文化政策』(共編著)、『演劇学のキーワーズ』(共編著)など。

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くものうえ⇅せかい演劇祭2020
https://spac.or.jp/festival_on_the_cloud2020

◆『ワジディ・ムアワッドによる日記の朗読』
4月25日(土)13:00配信開始予定
*5月6日(水・休)22:00終了予定
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