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2014年9月21日

『室内』ヨーロッパ・ツアー レポート(8)

フェスティバル・ドートンヌ・ア・パリ『室内』公演は、
9月9日に初日が明け、無事に回を重ねております。
 
今回は、フランスの雑誌「les inrokuptibles」の
パリ・フェスティバル・ドートンヌ特集に掲載されている
クロード・レジ氏のインタビューをご紹介します。
 
翻訳は、昨年の静岡での稽古からずっとご一緒いただき、
レジさんと俳優のアーティスティックな共同作業を支えてくださっている
通訳の浅井宏美さんです。
 
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「Les inrockuptibles」誌 パリ・フェスティバル・ドートンヌ特集
「音とリズムを再謄写する」

かの名高い静岡県舞台芸術センターのディレクター宮城聰氏の招待を受け、クロード・レジ氏が演劇への問題提起を投げかけ続ける。

− 1985年にすでに『室内』を演出されていますが、なぜ、また同じ戯曲を日本人俳優と?

C.R. モーリス・メーテルリンクが彼の3部作(『室内』『アラジンとパロミイド』『タンタジルの死』)に『マリオネットのための小さなドラマ三部作』と副題を付けていることが決定的でした。作者は最初から転換を可能にし、俳優の演技を再考慮するための新たな形式を試みようとしていることが伺えます。彼が生きていたのは定評ある俳優達が彼らの技量で光り輝き「聖なる怪物」と呼ばれていた時代です。しかし、メーテルリンクは言いました、後にマルグリット・デュラスも言っていますが、「演技はエクリチュールの助けにはならず、かえって殺してしまうものである。」と。この戯曲を選んだもうひとつの理由は俳優が2グループに別れているということです。ひとつ目のグループは公演中一言も発さず家の中に閉じ込められており、もうひとつのグループは外にいるのですが、その外にいる人たちが言葉を発し家庭内で起こっている出来事について語ります。この2グループの対峙関係はきわめて脆いものです。なぜならそこに賭かっているのが死の告知だからです。メーテルリンクはまだ子供の死を知らされていない家族を通して、予感について語っています。この2グループの透水性に気づくよう誘っているところに私は惹かれます。
 
− 日本語を話す日本人俳優と仕事をすることで何か今までと変わったことは?

C.R. 全くもって初めての経験でした。確かなのは、母国語を普段とは全く違う話し方をするよう要望することで、わたしがフランス語で行なってきたことを彼らの演劇という職業にも重ねあわせようと試みたことです。ドビュッシーについての話も随分としましたし、またメーテルリンクが自分のエクリチュールに必ずしも音楽を付け加えることを望まなかったことも何度も話しました。彼はエクリチュール自体が音楽性を持っていると思っていたからです。それで、俳優たちに文書の音楽性、そこにある沈黙、時間性などを基礎におき、耳を使って作業をするよう勧めてきました。そして可能な限り、俳優たちのセリフが原則的にひと繋がりのものであるという方向へ導いていきました。
 
− 外国語を扱う時はその音楽性に頼りすぎてしまう危険がありませんか?
 
C.R. もちろんです。危険はほかにもあります。俳優たちの本能に任せてしまうことと翻訳作業に頼りすぎてしまうことです。日仏言語の構文法の違いを説明してもらい、言葉の順序が違うことを知りました。メーテルリンクの文体では、大切な言葉は行末にあります。そこから反響していくからです。ですから、できるだけ日本語でもその順序になるよう計らいました。でも、フランス語の文末にある言葉は大概日本語では文頭にあります。

− 他言語でも表明できるかどうかがが問われていますね。
 
C.R. 私は「翻訳不可能なものは何もない」と言ったアンリ・メショニックと同意見です。ただ、原語をよく聞いて、相当するものを見つけなければなりません。音とリズムを謄写することは時に意味自体よりも大切です。素晴らしい通訳2人の助けも得ました。もちろん、日本語が核にあるわけですが、私の話し方というのが非常に「特別」ですからね(笑)。特殊な物事を参考文献として引用するので通訳がその語彙を伝えられるかどうかがとても心配でした。
 
− 何をベースに俳優たちを指導しましたか?
 
C.R. 無意識の話をよくしました。また、毎回同じことを再現しなければならないという観念を俳優たちが捨てることにも執着しました。毎日行なう作業であっても即興の部分が失われないように演技に流動性(不確定さ)が現れるように努めました。ですから、公演を重ねればトーンも変わっていきます。動きは全体的にとてもゆっくりとしたリズムで行うようにし、照明は極力おさえ、見えているのか見えていないのか…分からなくなるほどです。そこにあるのはぼんやりとした空間、脆い世界、力関係のラインが想像がつくような方法では引かれていない世界です。

− 『室内』は貴方にとって貴重な不確定ゾーンに捧げられたような作品ですか?

C.R. 『不確定状態』という本を書きました。そのタイトルは宇宙物理学―不確定状態を語る現代科学ですが―から発想を得ています。エドガール・モランが言っていますが、我々が持っている知識の土台には実は土台はなく、基礎になっているのは沼地に立てられた柱なのです。つまり、最先端にある科学界でさえ、知識を疑ってかかるという地点に至っているのです。同じことを自分の仕事でも試みようとしているのですが、だんだん演劇的ではなくなってきているようで(笑)。私は疑う余地のないものをよりどころとはしません。
 
インタビュー:パトリック・スール
(翻訳:浅井宏美)

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「Les inrockuptibles」パリ・フェスティバル・ドートンヌ特集のフランス語のオリジナルはこちらから読むことができます。

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