『室内』はパリでの9月27日の公演をもって、
5月からの4都市に渡るヨーロッパツアーの全公演を終えました。
今日は、「リベラシオン」(9月15日)に掲載された
レジ氏のインタビュ―記事をご紹介します。
SPACとの出会いや、静岡での稽古の様子など、
詳しく語ってくださっています。
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演出家が緩慢と内省の狭間で日本語版『室内』をみせる。
クロード・レジ <自由かつ精密でいること>
91歳。クロード・レジは全く疲れを見せない。日本人演出家・宮城聰率いる俳優たちとの仕事を快く引き受け、メーテルリンク作『室内』を静岡で初演後、長期ヨーロッパツアーにでた。
− 日本はよくご存知ですか。
C.R. あまり。日本のことを知ったのはまだ若いかけ出しの頃のテアトロ・デ・ナション時代(1950年代)でした。まずは能、それから文楽と舞踏。三島も少し読みましたし、谷崎の『陰影礼賛』も読みました。でも、真に日本を発見することになるのは、静岡県舞台芸術センターの芸術総監督を務める宮城聰氏を通してです。彼は世界に目を向けています。『ダビデの唄のように』と『神の霧』をパリに観に来てくれました。どちらもフランス語を解さない人にとっては簡単と言える作品ではありません。その後、ジャン・カンタン=シャトラン主演の『海のオード』を静岡に招聘してくれました。そこには3つのホールがあるのですが、そのうちのひとつは地下2階にあります。まるで『陰影礼賛』へのオマージュとして建てられたような所です。中は薄暗く、見事な沈黙に包まれています。私に通ずるものがある!その上、そこは劇場ではなく木造の楕円空間で、客席数も少なく、まさに私にぴったりの場所です。理想的な空間だ!「またあそこに行きたい」と思っていたところ、宮城氏から「日本語で日本人俳優と仕事をすることに興味はありますか」と聞かれたので、すぐに「『室内』!」と答えました。文楽のように語るグループと動くグループに別れているのに気付いたのはその後からです。
− 貴方の演劇と能は通じるものがありますよね。
C.R. はい。能では生と死の境界が揺れ動いています。『室内』を選択したことは全くもって正解でした。オーディションのために日本まで旅をしました。知らない言語で仕事をするのは困難ですからね。
− はじめてでしたか?
C.R. いいえ。若い頃、ブラジル、イスラエル、オランダでも仕事をしましたし、ドイツ語でデュラスの作品も取り上げました。でも、理解できない言語で演出することにどうしても抵抗を感じ、諦めていました。
− お稽古の様子は?
C.R. 俳優たちに色々な話をしました。お稽古は滞りなく進みましたよ。彼らはとても敬意をもって接してくれました。いくつか質問は受けましたが。
− たとえば?
C.R. 若い女優が「なぜ舞台に砂を引きつめるのか?」と聞いてきたので、「砂は砂漠、精神性、静寂を連想させるからだ。」と答えました。それに、砂の上に家具を置くのはおかしいので、お陰でレアリスムを排除することもできました。日本人俳優はアメリカ演劇の影響を多く受けていますが、それでも私のことをすぐに信頼してくれました。太極拳をしているひとが多く、その動きを解体しゆっくりと行なうテクニックが私には好都合でした。それから、全く同じことを毎晩繰り返さないために、即興ができる状態であるように要求しました。私は自由でありながらも精密であることは可能だと思っています。俳優たちはゆっくりとした動作から美が生まれることをよく理解しています。
− 眠っている子供に死のイメージが重なりますね。
C.R. その両義性は避けられない事実です。明らかに類似していますから。舞台で子供が本当に眠ってしまっても構いません。ある日、子役の一人が「でもお客さんの前で寝てしまうのは怖い。」と言ったので、「寝なければいけないわけではないからね。」と返しました。ただひとつ困るのは、子供がすごく動いてしまうことです。生者なのか死者なのかをはっきり決めてしまうのではなく、どちらの可能性もあった方がいいからです。私は常にこういった仕事の仕方をしています。アルトーは彼の著書『暗黒の大海』の中でこう言っています、「演劇をするのは戯曲を見せるためではなく、人間の最も秘められた部分を表現するためだ。」と。
− 入場前から観客に静かにするよう要請していますが、やり過ぎとは思いませんか?
C.R. 私は沈黙の力を信じています。観客が静かに入って静かに待っていると、別の集中力が生まれるのです。我々は常に喧噪の中で生活しています。少しくらい準備をしていただいても悪くはないでしょう。
ルネ・ソリス
(翻訳・浅井宏美)
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