「ラ・テラス La Terrasse」223号2014年9月版掲載、
『室内』パリ公演記事をご紹介します。
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『室内』
1985年初演のモーリス・メーテルリンクの戯曲『室内』、クロード・レジが日本人俳優で新たな演出を見せる。燦然と輝く美しさ。
家の中ではまだ家族が起きている。夜。父親、母親、2人の娘と小さな子供。各々がいつも通りの生活をしている。部屋の中央には子供が眠っている。ぐっすりと。揺るぐことのない深い眠りのようだ。死を誰も妨げることができないように、なにものもそこに終止符を打つことができないと思えるほど子供は不動で深い状態にいる。外では、庭から数人が窓越しに中にいる人間たちを観察している。彼らのジェスチャーや、彼らが動いたり、移動したりするのを解説している。同時に、いつ、どのように川で溺死した娘が見つかったことを伝えたものか戸惑っている。大勢の村人たちがすでに家に向かっているというのに、屍を抱えて…『室内』は1894年にメーテルリンクがマリオネット演劇のために書いた一幕劇だ。まるで、演出家クロード・レジの世界観を表現するために書かれたかのようなエクリチュールだ。事実のみの短いセリフは簡潔であるだけに重みがあり、無限の深さを兼ね備えている。テキストは死と生について我々に語りかけ、詩的空間へと誘い、見えないものや意識の概念、運命、幻想について、はっと息をのむほどの展望を切り開いてくる。
夢の次元で
舞台では静岡県舞台芸術センター所属の12人の俳優たちが驚くほど見事に、有機的に、絵画的価値の高いこの公演のイメージの中に溶け込んでいる。このテキストがまるでクロード・レジのために書かれたかのような印象を与えるのと同様、クロード・レジの芸術がまれに見る精密さと気品を兼ねそなえたその俳優たちのために創造されたかのように思えてくる。白い砂で覆われた舞台上では、夢の中のように全てが形づけられていく。始まりはもっとも濃密で、最も神秘的な暗闇。複数の登場人物たちがさまよっているシルエットが(演出家の作品を特徴づける振り付けを思わせるゆっくりとした動きに忠実だ)微妙に変動していく時空間の中を移動していく。沈黙とはかなさで構成された時空間の中を。脅威はそこまで迫っている。悲劇は近づいてくる。我々は舞台空間の虜になる。しかし、クロード・レジの傑作(最近の作品では『小舟、夜』『海の讃歌(オード)』など)で受けた衝撃は感じられない。なぜなら、今回は日本語で聞こえてくるメーテルリンクの言葉に壁を感じてしまうからだ。ゆえに、我々は公演の核外に身を置かざるをえず、奥底で鼓動する部分に近づくことができない。マエストロの忠実な観客たちは一種のフラストレーションを感じるかもしれない。だが、他の人々は奥深く、常に衝撃的な絶対美を備えた演劇を十二分に満喫できるだろう。
マニュエル・ピオラ・ソレマ
(翻訳・浅井宏美)
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