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2013年4月24日

不定期連載 クロード・レジがやってきた(4) ~『室内』関連ブログ~

カテゴリー: 『室内』2013

遅れてきた巨匠
SPAC文芸部 横山義志

クロード・レジはフランス演劇において、パトリス・シェロー以降、最も重要な演出家の一人である。今活躍しているオリヴィエ・ピィ(1963生まれ)、フレデリック・フィスバック(1966生まれ)、ダニエル・ジャンヌトー(1963生まれ)といった60年代生まれの演出家は、いわばレジの洗礼を受けて育ってきた世代と言える。この世代の演出家の多くは、一度はレジの真似をしてみたことがあるのではなかろうか。

といっても、レジは1923年生まれで、1944年生まれのシェローよりもずっと年上である。さらに、アントワーヌ・ヴィテーズ(1930年生まれ)、アリアーヌ・ムヌーシュキン(1939年生まれ)、ピーター・ブルック(1925年生まれ)よりも年上である。上記の世代にとって、レジはある意味で、遅れてきた巨匠だった。

レジは無名だったわけではない。しかし、ピィらの世代より一つ上の世代にとっては、レジはあまり参照項になるような存在ではなかった。理由は二つある。

第一の理由は、レジが主に私立劇場を拠点に活動していたことである。シェローらが活躍した1960年代・70年代は、公共劇場が現代演劇の拠点として確立していった時代でもあった。だが、レジが演劇活動をはじめた第二次大戦前後において新たな演劇を育んでいったのは圧倒的に私立劇場だった。レジは60年代の終わりから公共劇場でも演出をするようになるが、完全に公共劇場に軸足を移すようになるのは80年代以降である。この移行期において、私立劇場は徐々に商業劇場化していき、若い演劇人たちが足繁く通う場ではなくなっていったようだ。

第二の理由は、レジが「アンガージュマン(政治参加)」と距離を置いていたことだろう。このレジの姿勢はサルトルの時代から一貫していた。とりわけ60年代・70年代においては、「政治に無関心な演出家」とみなされた時点で、評価される機会を逸したこともあっただろう。レジはいわゆる左翼的な活動には参加しなかったが、かといって保守派や右派にシンパシーを持っているわけでは全くない。むしろ、演劇の政治性はいわゆる「政治活動」にあるわけではない、と考えているのではないだろうか。これはピィらの世代にも見られる態度である。

レジが暗さと沈黙を極度に重視するようになったのは1980年代以降のことらしい。レジは1985年にメーテルリンク作『室内』を公共劇場であるジェラール・フィリップ劇場(サン=ドニ市)で初演しているが、これは転機になった作品の一つだろう。70年代にはマルグリット・デュラスやナタリー・サロートといった「ヌーヴォー・ロマン」の作家たちと緊密なコラボレーションを展開していたレジが、この時期、たびたび現代戯曲から離れ、古典をいくつか上演している。これは公共劇場の要請でもあったのだろう。一方で、公共劇場の比較的恵まれた条件で作品を作ることで、やりたいことができるようになった部分もあるに違いない。

ダニエル・ジャンヌトーはこの『室内』が、はじめて見たレジの作品だったという。「全ては二十分間の沈黙から始まった。観客は気が狂いそうになっていた。でもこの静けさの中にはじめて響いた言葉は、本当に裂け目としかいいようのないものだった・・・。崇高だった」(『ル・モンド』紙のインタビュー)。ジャンヌトーはこれをきっかけに舞台美術を志し、数年後にはレジから舞台美術を任され、その後十五年近くのあいだレジの舞台装置を作りつづけることになる。

レジの創作活動を支えてきたのは、新たな才能を発見する類い希な能力である。このジャンヌトーにしても、この時点では全く無名の学生に過ぎない。1992年にレジがオペラ・バスティーユで『火刑台の聖ジャンヌ』(クローデル作、オネゲル作曲、イザベル・ユペール主演)を演出したときに、まだ20代だったジャンヌトーは、オペラ座のディレクターに「私の舞台美術家です」と紹介されて戸惑ったという。だが、この『火刑台の聖ジャンヌ』をはじめとする舞台美術で、ジャンヌトーは瞬く間に頭角を現し、フランスの舞台美術界を代表する存在になる。

レジは「実験」という言葉を好んで使う。今回の『室内』再制作にむけたインタビューでも語っているように(下のビデオメッセージを参照)、つねに未知の領域に踏み込まなければ満足できないたちらしい。前回『彼方へ 海の讃歌』で来日した際に、「次回作は?」と聞いたら、「実験的な小品なんだが」という返事が返ってきて、ちょっと驚いた。蓋を開けてみれば全くその通りで、ブルターニュ国立劇場付属演劇学校のワークショップで知り合った20代前半の俳優による一人芝居を、パリの小さなスタジオで発表していた。もともとツアーの予定はなかったそうだが、パリ公演はかなりの評判になり、結局二年間にわたってフランス各地で上演されることになった。それが、今回の演劇祭でも上映される『神の霧』である。俳優の集中力にも驚愕させられるが、演劇学校を出たばかりの俳優にかなりの時間をかけて向き合い、それを引き出したレジには唖然とするほかない。

レジは形式主義的な演出家だと思われがちだが、稽古場では俳優に形式を指示することはほとんどない。俳優にはむしろ「自分自身が詩人にならなければならない、自分の作品を作るクリエーターにならなければならない」と言い、俳優自身に演技の方向性を探らせていく。だが、レジが俳優に求めるものを実現しようとすると、必然的にあまり動かなくなっていくらしい。

2002年に上演された『4.48サイコシス』(サラ・ケーン作、ブッフ・デュ・ノール劇場他)では、主演のイザベル・ユペールは、2時間近くの間、ついに一歩も動かなかった。暗転を経て、次の場面になっても、変わるのは腕の位置くらいで、足は金縛りにでもあったかのようにその場にとどまっている。そして2009年初演の『海の讃歌』(ペソア作、アヴィニヨン演劇祭、パリ市立劇場他)では、一人舞台に立つジャン=カンタン・シャトランが、ふたたび一歩も動かないまま語りつづけていた。この『海の讃歌』は、これだけ特殊な作品であるにもかかわらず、翌年「批評家連盟演劇大賞」を受賞している。レジはキャリアに比して公式に顕彰されたことが非常に少なく、大きなものではこれと、1991年の「フランス演劇大賞」くらいのものらしい。この意味でも「遅れてきた巨匠」と言えるだろう。

では、それまでの数十年間、レジは何をしてきたのか。レジはあまり昔話をしない人だと思ってきたが、最近のインタビュー集では、家庭環境や演劇をはじめたきっかけなどについても話している。次回はそんな話を。

(つづく)