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2017年7月20日

アヴィニョン法王庁日記(6) 2017年7月2日 アヴィニョン法王庁の歴史

SPAC文芸部 横山義志

今日は稽古はなしで、それぞれ個別に作業。ようやく法王庁を少し見学できた。

この「法王庁」(教皇宮殿、Palais des Papes)ができたのは14世紀のこと。1309年から1377年までの間、カトリック(キリスト教西方教会)の総本山ともいえる法王庁が、ローマからフランス王の影響下にあるこの地に移り、フランス出身の7代の教皇(法王)がここを拠点にしていた。さらに1378年から1417年までの「教会大分裂」の時期には、アヴィニョンとローマに二つの法王庁が分立する事態となっていた。

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▲法王庁 外観

教皇宮殿(Palais des Papes)のサイト:http://www.palais-des-papes.com/en

教皇宮殿は1335年から1352年にかけて建設された。ボニファティウス12世が高さ46メートルの「教皇塔」を含む「旧宮殿」を造営し、さらにクレメンス6世が「大礼拝堂」を含む「新宮殿」を増築した。この間、1348年にクレメンス6世がアヴィニョンをプロヴァンス女伯ジョヴァンナから購入したこともあり、完成したときには法王庁の財源がほとんど底をついていたという。アヴィニョンの町はこれ以降フランス革命に至るまで、教皇領となっていた。

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▲大礼拝堂

その巨大さや、あちこちに空けられた銃眼をみると、教会というよりもまるでお城のようだが、実際に要塞としての機能も果たしている。フランス貴族出身のクレメンス6世の時代にはフランス王家と法王庁は良好な関係にあったが、「教会大分裂」時代の14世紀末には、フランス王がアヴィニョン法王庁を見放し、フランス教会を法王庁から分離させようとして、それに抵抗したアヴィニョン教皇(今では「対立教皇」とも呼ばれる)ベネディクトゥス13世はこの教皇宮殿で4年半の籠城戦を強いられた。

「名誉の中庭(Cour d’honneur)」と呼ばれるこの中庭は、コンクラーベ(教皇選出会議)を経て選出された新教皇が大群衆の前にお目見えする場所だった。一時期はこの中庭に法王庁の法廷(控訴院)があったが、控訴院はやがて新宮殿の大礼拝堂下部にある「大聴聞室」に移転。この控訴院は西ヨーロッパ全土の教会に関する紛争に対応し、年間一万件の嘆願を処理していたという。まさにここでカトリック教会が善悪を裁いてきたともいえる。演劇祭期間中は、この「大聴聞室」が楽屋となっている。

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▲大聴聞室にパーテーションを立てて作られた楽屋

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▲名誉の中庭

舞台の右上に見える薔薇窓は、「名誉の中庭」に集まった群衆に新教皇が信者に三度の祝福を与える場所で、「赦免の窓(Fenêtre de l’Indulgence)」と名づけられている。ここは教皇が巡礼者たちに祝福と赦免を与えるところでもあった。1348年にアヴィニョンで疫病が大流行したとき、クレメンス6世は瀕死の病人たち全てに赦免を与えたという。
 
 
*アヴィニョン法王庁日記バックナンバー*
(1) 2017年6月27日 静岡からフランスへ
(2) 2017年6月28日 アヴィニョン到着
(3) 2017年6月29日 仕込み一日目
(4) 2017年6月30日 仕込み二日目
(5) 2017年7月1日  仕込み三日目
(6) 2017年7月2日  アヴィニョン法王庁の歴史
(7) 2017年7月3日  法王庁中庭での上演の歴史
(8) 2017年7月4日  フォトコール
(9) 2017年7月5日  最終公開稽古(ゲネプロ)
(10) 2017年7月6日 公演初日
(11) 2017年7月7日 公演二日目
(12) 2017年7月8日 公演三日目
(13) 2017年7月10日 公演四日目

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第71回アヴィニョン演劇祭オープニング招待作品
アンティゴネ
構成・演出:宮城聰 / 作:ソポクレス / 出演:SPAC
7月6日(木)・7日(金)・8日(土)・10日(月)・11日(火)・12日(水)各日22時開演
会場:アヴィニョン法王庁中庭
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