2015年4月28日

【天使バビロンに来たる】さまざまなテクストが織りなすタペストリー――『天使バビロンに来たる』の間テクスト性――(増本浩子)

 『天使バビロンに来たる』の原作者フリードリヒ・デュレンマット(1921-1990)は、ドイツ語圏スイスの20世紀文学を代表する劇作家である。まだ30代の若さで、ドイツの著名な批評家であり、学者でもあるヴァルター・イェンスから、「あの無比の存在だったブレヒトの死後、ドイツ語圏で最も優れた劇作家」という称賛を得たデュレンマットは、特に50年代から60年代にかけて発表した作品によって一世を風靡し、その名声を確立した。その主要な戯曲は、さまざまな言語に翻訳されて世界各地で上演され、スイスをはじめとするドイツ語圏の国々ではいまなお定番の演目となっている。 Read the rest of this entry »


2015年4月27日

【盲点たち】メーテルリンクの闇と光――『盲点たち』上演に寄せて――(今野喜和人)

 1890年8月24日、フランス最有力紙の一つ『フィガロ』の第一面に、20代のまったく無名の劇作家に関する批評が掲載される。筆者は著名な批評家オクターヴ・ミルボー。普段の辛辣な彼の筆からは出たことのないような手放しの賛辞と共に、「シェークスピアに勝る」とまで評価されたこの作家こそモーリス・メーテルリンク(1862―1949年)であった。当時彼は郷里のベルギーのヘント(ゲント、もしくはフランス語読みでガン)に住んでいて、30部だけ印刷した戯曲第一作『マレーヌ姫』が、数年前のパリ滞在中に知己を得たマラルメを介してミルボーのもとに届けられた結果だったのである。この思いがけぬ評に力を得たメーテルリンクが、当時の自然主義から象徴主義への転換の潮流に乗るかのように、戯曲・詩・評論を発表して一躍名声を博し、1908年の『青い鳥』出版を経て、1911年、ノーベル文学賞作家となるまでのシンデレラ・ストーリーは、西洋文学史の中でも最も華々しいものの一つと言える。 Read the rest of this entry »


【ふたりの女】ゆれる、影法師、のこと。(飴屋法水)

 いつだったか、たいへんな事に気がついたのです。
 それは動物図鑑をめくってる時のことでした。
 動物図鑑には、当たり前ですが、地球上に住んでいるとされる、実際には、ほとんど出会う事も見かける事も無い、たくさんの動物たちが、たいていは、カラーのイラストなどで描かれています。
 ライオン、シマウマ、クマ、アザラシ、それから、ラクダ、ムササビ、ヤマアラシ…やがて、オポッサムだの、ミミナガバンディクートだの、動物園でもテレビ番組でも見た事も無い動物たちが、やはりイラストで描かれています。
 それが、どんな動物か、どんな種であるかがわかるように、見た目の姿が描かれています。それを見て思うのです、へえ、これがミミナガバンディクートか、たしかに耳が長いねえ、などと。 Read the rest of this entry »


2015年4月16日

【メフィストと呼ばれた男】メフィスト―ドイツ的心情と悪魔―(高橋順一)

 クラウス・マンの小説『メフィスト』の主人公ヘンドリック・ヘーフゲン(今回上演するトム・ラノワの翻案ではクルト・ケプラー)のモデルは、ナチス時代にプロイセン国立劇場の監督を務めた俳優グスタフ・グリュントゲンスである。1981年に制作されたイシュトヴァーン・サボー監督の映画「メフィスト」はこの小説を原作としており、当たり役であったメフィストを演じるヘーフゲン=グリュントゲンスの鬼気迫る様相が印象的であった。 Read the rest of this entry »


2015年2月22日

【ハムレット】時代と自己を映す/疑う鏡としてのハムレット —ク・ナウカ旗揚げ公演からSPAC公演へ—  (エグリントンみか)

Filed under: 2015

※作品内容に言及する箇所がございますので、事前情報なしに観劇を
 希望される方には、観劇後にお読みになる事をお勧めいたします。

 演劇とは「自然に対して掲げられた鏡」とするデンマーク王子の台詞通り、個々の舞台は、それを生み落とした時代を反映し、批評すると同時に、「鏡」を作る者、見る者に、「お前は誰だ?」という根源的な問いを突きつけてくる。芝居についての言及が顕著に多いメタシアター『ハムレット』が、4世紀以上も飽くことなく上演されてきたのは、言語に囚われ、この世という舞台を演じざるを得ない演劇的存在としての人間を、「時代の縮図」である役者たちが舞台上で際立たせることにより、「だんまり役」に甘んじる観客たちの不安と懐疑を掻き立てるからではなかろうか。 Read the rest of this entry »


2015年1月15日

【グスコーブドリの伝記】空想科学としての『グスコーブドリの伝記』(石黒 耀)

Filed under: 2015

 温暖化阻止が合い言葉になっている昨今からすると嘘のような話ですが、宮沢賢治が生きた時代は、地球がまだマウンダー小氷期と呼ばれる寒冷期の余韻を引きずっていた時期でした。賢治が生まれた岩手県のような高緯度地帯は、特にその影響が強く、しばしば冷害に襲われましたが、低緯度地帯は気温が上がって農業生産が回復していました。そのため、世界的には農産物価格が下がり始めたのに対し、たびたび冷夏に襲われた東北地方の農家は、生産量が上がらない、穫れても価格が安い、という二重苦に苦しめられたのです。 Read the rest of this entry »


2014年12月3日

【変身】パフォーマーとしての語り手(粉川哲夫)

Filed under: 2014

 カフカの小説には〝主人公〟が3人いる。ひとりは普通の意味での主人公、ふたり目は語り手、そして3人目は読者である。この3者がたがいの距離を微妙に変えながら展開するのがカフカの小説世界である。
 語り手が〝主人公〟である以上、この語り手は、読者にむかって客観的な報告をするとはかぎらない。通常、語り手は、〝ありのまま〟を語り、読者をからかったり、韜晦(とうかい)したりはしないことになっている。『変身』の語り手が、「朝、胸苦しい夢から目をさますと、グレゴール・ザムザは、ベッドの中で、途方もない1匹の毒虫に姿を変えてしまっていた」と語れば、読者は、それを〝事実〟として受け取る。そういう暗黙の了解が前提されている。 Read the rest of this entry »


2014年4月27日

【アヴィニョン演劇祭の60年】アヴィニョン演劇祭の歴史と再出発(藤井慎太郎)

 南仏で毎年7月に開かれているアヴィニョン演劇祭は今年、7月4日から27日にかけて第68回が開催される。その起源となったのは、1947年9月4日〜10日にジャン・ヴィラールの手によって開催された「アヴィニョン芸術週間」である。それが、1200万ユーロ(2013年の数字、1ユーロ=140円として16億8000万円)の予算をもとに、フランスはもちろん世界各地から35から40作品が招聘され、全部で300回ほど上演され、のべ12〜14万人の有料入場者数を数える、ヨーロッパはもちろん世界でも最大級の舞台芸術祭となるに至った。これは、同時に開催され、1000を超える上演団体(演劇、ダンス、サーカス、大道芸…)が勝手連的に結集するアヴィニョン・オフとは完全に別個のフェスティバルである(「オフ」はエジンバラ・フェスティバルでいえば「フリンジ」にあたり、「オフ」と区別するときには演劇祭は「イン」と呼ばれる)。だが、両者の盛り上がりは共鳴し合って、7月のアヴィニョンは、南仏の容赦ない日差しのもと、ミストラルと呼ばれる強風にときに見舞われながら、街全体が演劇都市に変身する。 Read the rest of this entry »


【タカセの夢】身ひとつで向きあう(石井達朗)

 十数年前に過ぎ去った20世紀を思い返してみる。こと芸術の領域に焦点を当ててみると、過去数世紀ぶんの蓄積が引っくりがえりそうな、大胆な改革と革新の嵐が吹き荒れた。20世紀初頭のロシアアヴァンギャルド、イタリア未来派、ダダイズム、シュルレアリスムの華々しい幕開け。音楽では12音技法や電子音楽が古典派・ロマン派の流れとは訣別した世界を切り拓く。ダンスではイサドラ・ダンカンが身体を拘束するコスチュームを脱ぎ捨て裸足で緩やかに踊り始め、ディアギレフ率いるバレエ・リュス(ロシアバレエ)が古典バレエとは異なる強烈なイメージを舞台に召喚する。またドイツの表現(主義)舞踊が、感情や状況を等身大以上に表わす動きで、後に日本で暗黒舞踏が誕生するひとつのきっかけを与えている。そのあとに続く、不条理演劇、アンチロマン、アングラ、ハプニング、ポスト・モダンダンス、ミニマルアート、コンセプチュアルアート…などの用語を思い浮かべるだけでも、気持ちのいいほどに破壊と創造が謳歌された世紀であった。 Read the rest of this entry »


【マネキンに恋して】&【Jerk】際から際へ思考を揺さぶる:対立項を並べるジゼル・ヴィエンヌの分野超境的芸術(岩城京子)

 欧州の舞台芸術界で、近年、よく聞くことばに「分野超境的(インターディシプリン)」あるいは「分野複合的(マルチディシプリン)」というものがある。日本の舞台芸術界ではまだ耳慣れないことばだが、要するにこれは、演劇、ダンス、音楽、映像、建築、彫刻、ヴィジュアル・アートなど、多種多様な表現形式を越境的/複合的に採用する芸術表現のことである。主な作家に、ロメオ・カステルッチ(1960-、イタリア)、ティム・エッチェルス(1962-、英国)、ブレット・ベイリー(1967-、南アフリカ)、フィリップ・ケーヌ(1970-、フランス)、マルクス・オェルン(1972-、スウェーデン)、ファブリス・ミュルジア(1982-、ベルギー)などが挙げられる。私見では、これは時代に要請されて生まれた芸術表現であるように思う。つまり複数の断片化された物語が、つねにオンライン/オフラインといった異なる位相で同時進行する、多層的な「現代都市社会」を過不足なく表出するためには、かつてのような単線的、時系列的、分野限定的な演劇表現ではなにかが決定的に不足し、その欠落感への応答として、こうした複合的な表現形式が必然的に生まれてきたのだ。そして静岡で今回『マネキンに恋して―ショールーム・ダミーズー』(2013年初演)と『Jerk』(2008年初演)を上演する作家ジゼル・ヴィエンヌ(1976ー、オーストリア/フランス)は、この分野越境的な舞台作家たちのなかでも、際立って異質な表現方法を選択する作家だ。 Read the rest of this entry »