2015年4月30日

【觀~すべてのものに捧げるおどり~】祭祀からコンテンポラリーな時空に向けて~『觀』をめぐって思うこと~(石井達朗)

 舞台奥から腰をこごめ、止まっているのか動いているのかわからないほど緩やかに、こちらに歩を進める異形の者たちがいる。彼/彼女らは何者か。天から降臨した神々なのか、地から這い出た悪霊たちなのか。かつて見たことのないような静謐で美しい舞台。そこに立ち現われる者たちは、沈黙を守りながらも深い想いを秘めているかのよう。低く響きつづける打楽器の音の群が陽炎のように揺らめき、生死・善悪という二元論を超えた時空を包みこむ。身体はときに足元しか見えないほどに屈折している…。
 腰から両足裏まで地に密着した重心の低さは、日本に根付いた伝統的な身体性と遠戚関係にあり、思わず親近感を覚える。舞踊でいうところの「すり足」、民俗学でいう「反閇(へんばい)」「兎歩(うほ)」などの用語は、それぞれ動きこそ違うが、天に向かうよりも地との親和を示している。異界、外部からやってくる者、とくに常世(とこよ)から稀に来訪して村人に祝福を与える神々を、折口信夫は「まれびと」と呼び、その歩行に「力足を踏む」という表現を与えている。 Read the rest of this entry »


2015年4月28日

【天使バビロンに来たる】さまざまなテクストが織りなすタペストリー――『天使バビロンに来たる』の間テクスト性――(増本浩子)

 『天使バビロンに来たる』の原作者フリードリヒ・デュレンマット(1921-1990)は、ドイツ語圏スイスの20世紀文学を代表する劇作家である。まだ30代の若さで、ドイツの著名な批評家であり、学者でもあるヴァルター・イェンスから、「あの無比の存在だったブレヒトの死後、ドイツ語圏で最も優れた劇作家」という称賛を得たデュレンマットは、特に50年代から60年代にかけて発表した作品によって一世を風靡し、その名声を確立した。その主要な戯曲は、さまざまな言語に翻訳されて世界各地で上演され、スイスをはじめとするドイツ語圏の国々ではいまなお定番の演目となっている。 Read the rest of this entry »


2015年4月27日

【盲点たち】メーテルリンクの闇と光――『盲点たち』上演に寄せて――(今野喜和人)

 1890年8月24日、フランス最有力紙の一つ『フィガロ』の第一面に、20代のまったく無名の劇作家に関する批評が掲載される。筆者は著名な批評家オクターヴ・ミルボー。普段の辛辣な彼の筆からは出たことのないような手放しの賛辞と共に、「シェークスピアに勝る」とまで評価されたこの作家こそモーリス・メーテルリンク(1862―1949年)であった。当時彼は郷里のベルギーのヘント(ゲント、もしくはフランス語読みでガン)に住んでいて、30部だけ印刷した戯曲第一作『マレーヌ姫』が、数年前のパリ滞在中に知己を得たマラルメを介してミルボーのもとに届けられた結果だったのである。この思いがけぬ評に力を得たメーテルリンクが、当時の自然主義から象徴主義への転換の潮流に乗るかのように、戯曲・詩・評論を発表して一躍名声を博し、1908年の『青い鳥』出版を経て、1911年、ノーベル文学賞作家となるまでのシンデレラ・ストーリーは、西洋文学史の中でも最も華々しいものの一つと言える。 Read the rest of this entry »


【ふたりの女】ゆれる、影法師、のこと。(飴屋法水)

 いつだったか、たいへんな事に気がついたのです。
 それは動物図鑑をめくってる時のことでした。
 動物図鑑には、当たり前ですが、地球上に住んでいるとされる、実際には、ほとんど出会う事も見かける事も無い、たくさんの動物たちが、たいていは、カラーのイラストなどで描かれています。
 ライオン、シマウマ、クマ、アザラシ、それから、ラクダ、ムササビ、ヤマアラシ…やがて、オポッサムだの、ミミナガバンディクートだの、動物園でもテレビ番組でも見た事も無い動物たちが、やはりイラストで描かれています。
 それが、どんな動物か、どんな種であるかがわかるように、見た目の姿が描かれています。それを見て思うのです、へえ、これがミミナガバンディクートか、たしかに耳が長いねえ、などと。 Read the rest of this entry »


2015年4月16日

【メフィストと呼ばれた男】メフィスト―ドイツ的心情と悪魔―(高橋順一)

 クラウス・マンの小説『メフィスト』の主人公ヘンドリック・ヘーフゲン(今回上演するトム・ラノワの翻案ではクルト・ケプラー)のモデルは、ナチス時代にプロイセン国立劇場の監督を務めた俳優グスタフ・グリュントゲンスである。1981年に制作されたイシュトヴァーン・サボー監督の映画「メフィスト」はこの小説を原作としており、当たり役であったメフィストを演じるヘーフゲン=グリュントゲンスの鬼気迫る様相が印象的であった。 Read the rest of this entry »


2015年2月22日

【ハムレット】時代と自己を映す/疑う鏡としてのハムレット —ク・ナウカ旗揚げ公演からSPAC公演へ—  (エグリントンみか)

Filed under: 2015

※作品内容に言及する箇所がございますので、事前情報なしに観劇を
 希望される方には、観劇後にお読みになる事をお勧めいたします。

 演劇とは「自然に対して掲げられた鏡」とするデンマーク王子の台詞通り、個々の舞台は、それを生み落とした時代を反映し、批評すると同時に、「鏡」を作る者、見る者に、「お前は誰だ?」という根源的な問いを突きつけてくる。芝居についての言及が顕著に多いメタシアター『ハムレット』が、4世紀以上も飽くことなく上演されてきたのは、言語に囚われ、この世という舞台を演じざるを得ない演劇的存在としての人間を、「時代の縮図」である役者たちが舞台上で際立たせることにより、「だんまり役」に甘んじる観客たちの不安と懐疑を掻き立てるからではなかろうか。 Read the rest of this entry »


2015年1月15日

【グスコーブドリの伝記】空想科学としての『グスコーブドリの伝記』(石黒 耀)

Filed under: 2015

 温暖化阻止が合い言葉になっている昨今からすると嘘のような話ですが、宮沢賢治が生きた時代は、地球がまだマウンダー小氷期と呼ばれる寒冷期の余韻を引きずっていた時期でした。賢治が生まれた岩手県のような高緯度地帯は、特にその影響が強く、しばしば冷害に襲われましたが、低緯度地帯は気温が上がって農業生産が回復していました。そのため、世界的には農産物価格が下がり始めたのに対し、たびたび冷夏に襲われた東北地方の農家は、生産量が上がらない、穫れても価格が安い、という二重苦に苦しめられたのです。 Read the rest of this entry »


2014年12月3日

【変身】パフォーマーとしての語り手(粉川哲夫)

Filed under: 2014

 カフカの小説には〝主人公〟が3人いる。ひとりは普通の意味での主人公、ふたり目は語り手、そして3人目は読者である。この3者がたがいの距離を微妙に変えながら展開するのがカフカの小説世界である。
 語り手が〝主人公〟である以上、この語り手は、読者にむかって客観的な報告をするとはかぎらない。通常、語り手は、〝ありのまま〟を語り、読者をからかったり、韜晦(とうかい)したりはしないことになっている。『変身』の語り手が、「朝、胸苦しい夢から目をさますと、グレゴール・ザムザは、ベッドの中で、途方もない1匹の毒虫に姿を変えてしまっていた」と語れば、読者は、それを〝事実〟として受け取る。そういう暗黙の了解が前提されている。 Read the rest of this entry »


2014年4月27日

【アヴィニョン演劇祭の60年】アヴィニョン演劇祭の歴史と再出発(藤井慎太郎)

 南仏で毎年7月に開かれているアヴィニョン演劇祭は今年、7月4日から27日にかけて第68回が開催される。その起源となったのは、1947年9月4日〜10日にジャン・ヴィラールの手によって開催された「アヴィニョン芸術週間」である。それが、1200万ユーロ(2013年の数字、1ユーロ=140円として16億8000万円)の予算をもとに、フランスはもちろん世界各地から35から40作品が招聘され、全部で300回ほど上演され、のべ12〜14万人の有料入場者数を数える、ヨーロッパはもちろん世界でも最大級の舞台芸術祭となるに至った。これは、同時に開催され、1000を超える上演団体(演劇、ダンス、サーカス、大道芸…)が勝手連的に結集するアヴィニョン・オフとは完全に別個のフェスティバルである(「オフ」はエジンバラ・フェスティバルでいえば「フリンジ」にあたり、「オフ」と区別するときには演劇祭は「イン」と呼ばれる)。だが、両者の盛り上がりは共鳴し合って、7月のアヴィニョンは、南仏の容赦ない日差しのもと、ミストラルと呼ばれる強風にときに見舞われながら、街全体が演劇都市に変身する。 Read the rest of this entry »


【タカセの夢】身ひとつで向きあう(石井達朗)

 十数年前に過ぎ去った20世紀を思い返してみる。こと芸術の領域に焦点を当ててみると、過去数世紀ぶんの蓄積が引っくりがえりそうな、大胆な改革と革新の嵐が吹き荒れた。20世紀初頭のロシアアヴァンギャルド、イタリア未来派、ダダイズム、シュルレアリスムの華々しい幕開け。音楽では12音技法や電子音楽が古典派・ロマン派の流れとは訣別した世界を切り拓く。ダンスではイサドラ・ダンカンが身体を拘束するコスチュームを脱ぎ捨て裸足で緩やかに踊り始め、ディアギレフ率いるバレエ・リュス(ロシアバレエ)が古典バレエとは異なる強烈なイメージを舞台に召喚する。またドイツの表現(主義)舞踊が、感情や状況を等身大以上に表わす動きで、後に日本で暗黒舞踏が誕生するひとつのきっかけを与えている。そのあとに続く、不条理演劇、アンチロマン、アングラ、ハプニング、ポスト・モダンダンス、ミニマルアート、コンセプチュアルアート…などの用語を思い浮かべるだけでも、気持ちのいいほどに破壊と創造が謳歌された世紀であった。 Read the rest of this entry »