坂の上の雲、または私が私である呪い
~宮城聰版ペール・ギュント
柳生正名
ペールの波乱万丈の一代記を舞台上に観て、思い巡らせたのは「私が私であるという病」についてだ。いやむしろ「呪い」というべきか。「自分が 自分であること(アイデンティティ)」自体は、自らに選択の余地のない、唐突で、意味不明な事柄でしかないのだから。それゆえ、人は「自分探し」に心を奪われてやまないのだ。
今回、宮城聰は舞台上に、客席にむけ傾斜したお立ち台風の第二の舞台を設け、その上での演技を役者に求めた。お立ち台の床には「振リ出シ(スタート)」「上ガリ(ゴール)」の場所と、それぞれ賽の壱から六までの目を刻んだ双六の升目が描かれる。背景も同様の意匠で、お立ち台と背景はいわば鏡像関係にある。前半は、背景に戦前の少年雑誌の付録「日本人海外発展双六」が重ねて映写された。「私が私である」ことの呪いに取り付かれ、「自分探し」の旅を繰り広げる主人公ペールの生き様に、帝国主義列強の角逐する世界に突如投げ出され、国家としての「自分探し」に奔走する戦前の日本の姿が、重ね合わされるわけだ。
役者たちは京劇並みの身体性を駆使し、舞台の賽の壱の目に穿たれた穴を抜けて登場・退場する。これが舞台に、アニメやTVゲーム風のスピード感と仮想現実(バーチャル)で重層的な世界観をもたらす。演技の質も心理主義にかぶれた新劇調でなく、今風に言えばキャラ立ち志向。それが、テーマの重さから来る圧迫感を和らげ、観客が終幕、そのテーマに直面させられる際の衝撃を逆に増幅するだろう。
お立ち台から退場した役者は、主役(タイトルロール)を除く全員が、白装束に早替わりするやいなや舞台脇に回り、様々な楽器で複拍子的リズムパターンを入れ替わり奏していく。文字通り、脇を固めるわけだが、その中の一人に、宮城は主役に匹敵する劇的重心を担わせた。開幕前から舞台上に座り込み、賽を振って戦争双六に没入する少年めいた人物がそれだ。
物語は、彼がペールをお立ち台の振リ出シに据え、魂を吹き込むことで始まる。各場面の伴奏音楽も彼が指揮をとることで、二時間四十分にわたる壮大で数奇な男の遍歴物語は、軍国少年の妄想とも、世界の命運を賽の偶然の出目に託す神の遊びとも、解釈可能となる。
この双六の上ガリ(ゴール)は、ペールの自分探しの旅が破綻していくのに並行して、訪れる。五幕半ば、乗り込んだ船が難破すると、自らの内なる声が防空頭巾を被った姿で現われ、己の日和見的エゴイズムを糾弾する事態に直面する彼。舞台に東京大空襲さながらの破局(カタストロフ)が現前するこの場面、背景の双六盤の上ガリにライトが当たった瞬間、爆音とともに舞台装置は倒壊する。皮肉にも、明治以降の日本が血眼で追い求めてきた「坂の上の雲」(舞台には井上馨の名を持つ王さえ登場する)が指先に触れた瞬間、その国土も、ペールが皇帝の座を願う野望も、無に帰する。
ペールの「自分探し=生」が終焉に至る大団円、決定的な役割を担うのがソールヴェイだ。原作では、物語の冒頭から一途に彼を愛し、待ち続ける彼女こそ、ゲーテの言う「永遠に女性的なるもの」の具現した姿として描かれる。常にその場限りの欲望に身を任せ、結果からは素早く身をかわしてこそ、自分は自分、と信じてきたペール。彼女は、そんな彼の男根(ファルス)的エゴを突き崩した上で、残った釦(ボタン)ひとつ分にも値しない人格を受け入れ、自分こそ彼の帰る場所、母たる存在と宣言する。
しかし、宮城の演出はイプセンの描いた、このようなソールヴェイ像を見事に裏切る。ペールの今際(いまわ)の際(きわ)に、彼女があの双六に興じていた少年と一人二役であることを暴いて見せるのだ。これが意味するのは、彼女が、実は永遠なる女性ではなく、しかし、世界のすべてを企図し、偶然の介入を許さぬ父なる神とも違う、単に遊び好きで気まぐれな存在にすぎない、ということだ。事実、彼女は人生の幕を迎えたペールに着せ替え人形のドレスを着せ、再び彼を双六の振リ出シに立たせる。
この幕切れは、イプセンがこの詩劇の後、十二年を経て「人形の家」を書き上げた事実を連想させる。観客は、振リ出シに戻ったペールが今度はノラとして、夫の着せ替え人形でしかない己を拒否し、「真の自己」を求めて踏み出していく姿を、そこに重ねないだろうか。かくして、イプセンの紡ぐ自分探しの物語は「ペール・ギュント」という作品の枠をも超え、宮城の掌上で輪廻めいた円環を形づくる。あたかも自分が自分たることが、生き替わり、死に替わり、性差も越えて引き継がれる「呪い」であることを裏付けるように。
一方、司馬遼太郎の小説に描かれるように、有史以来、国家は常に男たる自己を追求してきた。この幕切れを目の当たりにして、そうした営みが、わが国では終戦とともに振リ出シに戻り、戦争放棄という女性的原理の下で新たな双六を始めたのではないか、と気付かされた。その後、六十年を経て、なお自分探しの病に全身を侵され続けている現状にも。ならば、イプセンを「優れた詩人は共同体の予言者でもある」と評する宮城自身が今、日本の予言者たり得るか―ふと、そんなことを問うてみたくなる今回の舞台だった。(了)