劇評講座

2023年6月29日

保護中: 秋→春のシーズン2022-2023■選評■SPAC文芸部 大岡淳

カテゴリー: 2022

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保護中: ふじのくに⇄せかい演劇祭2023■選評■SPAC文芸部 横山義志

カテゴリー: 2023

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2022年9月9日

SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭2022 劇評コンクール 審査結果

カテゴリー: 2022

SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭の劇評コンクールの結果を発表いたします。

SPAC文芸部(大澤真幸、大岡淳、横山義志)にて、応募者の名前を伏せて全応募作品を審査しました結果、以下の作品を受賞作と決定いたしました。

(応募数28作品、最優秀賞 1作品、優秀賞 2作品、入選 4作品)

(お名前をクリックすると、応募いただいた劇評に飛びます。)

■最優秀賞■
泊昌史さん(『ギルガメシュ叙事詩』)

■優秀賞■
前田哲さん【ことだまがひらかれるとき】(『ギルガメシュ叙事詩』)
安間真理子さん(『星座へ』)

■入選■
佐藤博之さん(『カリギュラ』)
菅谷仁志さん【溶けだした『ふたりの女』の奥に】(『ふたりの女 平成版 ふたりの面妖があなたに絡む』)
冨田民人さん【オマール・ポラスへの手紙「私のコロンビーヌ」、平和の鳩】(『私のコロンビーヌ』)
上鹿渡大希さん【『ギルガメシュ叙事詩』における語りと崇高さ】(『ギルガメシュ叙事詩』)

■SPAC文芸部・大澤真幸の選評■
選評

SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭2022 作品一覧
『カリギュラ』(作:アルベール・カミュ 演出:ディアナ・ドブレヴァ ブルガリア語翻訳・翻案:ディアナ・ドブレヴァ、アレクサンドル・セクロフ)
ふたりの女 平成版 ふたりの面妖があなたに絡む』(演出:宮城聰 作:唐十郎)
『私のコロンビーヌ』(作:ファブリス・メルキオ 演出・舞台美術・衣裳・出演:オマール・ポラス)
『ギルガメシュ叙事詩』(台本・演出:宮城聰 翻訳:月本昭男(ぷねうま舎刊『ラピス・ラズリ版 ギルガメシュ王の物語』) 音楽:棚川寛子 人形デザイン:沢則行)
『星座へ』(コンセプト:ブレット・ベイリー 日本版キュレーション:大岡淳)

2022年9月8日

SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭2022■最優秀賞■【ギルガメシュ叙事詩 】泊昌史さん

カテゴリー: 2022

 SPACの『ギルガメシュ叙事詩』は原テキスト群やそれを再編した『ラピス・ラズリ版』(以下和訳)とは異なる内容を上演することで、創造的な口承文芸のネットワークに参入した。その結果、千載不伝だった文明の起源譚に新たな相貌が浮かんだ。
 5名の懇ろな前説がシームレスに語り始めたときから、この上演全体を通してこだまする独自の「多音性」が顕れた。それぞれの語りは単語から音素へと分解され、つぎつぎと別々のリズムで輻輳し、セリフと音は自律的に混淆した。わたしたちの鼓動が先か、複数の打楽器の乱打が先か、多様な音は寛闊に一体となって城郭中に放散する。立て板が外されると、語りは男性を加えた別の5名に委嘱された。一同は画一的で身体の力を弱める「文字禍」に対して、身体性を喚起させる多音性で対抗した。それは神話を語り継ぐ、可塑的なプロセスに身を投じた態度を鮮明にする。ここで、原テキスト群や和訳の内容と比べて、上演の創造性が際立つポイントが少なくとも3つあったことを思い出そう。 続きを読む »

SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭2022■優秀賞■【ギルガメシュ叙事詩 】前田哲さん

カテゴリー: 2022

ことだまがひらかれるとき  ―ギルガメシュ叙事詩―

 ことばとは私たちにとって何であったのか?
 私たちはそれを回想的に思い出すことはできません。ことばを聞こうとする私たちは普段、ことばの配列そのままにその意味を取り込んでいきます。意味を帯びた言語によって物語として世界を分節し、そしてそれぞれの共同体において主観的に世界を構造化していきます。ことばは誰にでも、いつも平等に、フラットに共有され、コミュニケーションや伝達の道具として使用されているものではありません。ことばによって私たち自身が生成され、構築されて、そして変容されていく、その言語観の固有性によって住んでいる世界はひとりひとり異なるとさえいえます。
 どっちつかずで、曖昧で、とらえどころがなく、ことばにできない感情や不安、沈黙、逡巡、どうどうめぐり・・・意味を付されたことばで言うことができなかった、あるいは書くことができなかったために、不在とされてしまった何らかの思いや感情は見えなくされてしまいます。しかし、限られた意味世界の周りにはきっといつも無数に、深く、澱のように、消えることなく沈んでいるのでしょう。 続きを読む »

SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭2022■優秀賞■【星座へ 】安間真理子さん

カテゴリー: 2022

 芝居やパフォーマンスを観るのが好きだ。しばしば生じる「脳のいつも使わない引き出しがコトリと開く」感覚がたまらなく気持ちが良い。
 『星座へ』公演初日は、星の見えない曇天であった。
 2022年5月夕方の静岡市。観客はマイクロバスで郊外の山中へ向かい、集合場所までしばし歩いた。道はコンクリートから徐々に土や小石、湧き水が混じりぬかるみを増し、歩き進むだけでプロローグが始まっている感じがして高揚する。既に日は落ち、周囲は少しずつ暗くなっていく。
 高木に囲まれた広場で一旦集まる。ウグイスが啼いている。木の上の方に大きな鳥の巣を見つけるが、突然の大人数に驚いたのか家主と思しき鳥の姿はない。コンセプト発案者ブレット・ベイリー氏の話が始まる。これから山中に入り、ガーディアン(パフォーマー)と遭うこと、9名いる彼らの誰と会うかは事前には知らされないことが説明された。最後に「journey to inside. Bon voyage!」……なるほど。ベイリー氏は演出ノートの中で「自然というのは私にとって寺院のような場所です(中略)普段よりも自身のより深いところにつながることができる場所なのです」と述べている。ガーディアンを介して私は自身の内部と対峙するのだろう。後で私は、真っ暗闇の森がそれを最大に助ける舞台装置であることを、自分の身をもって実感することになる。 続きを読む »

SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭2022■入選■【カリギュラ 】佐藤博之さん

カテゴリー: 2022

 舞台の神が顕現した。ここ何年もの間、ついぞ体験したことのない衝撃だった。観劇して丸4日以上も経つのに、あの両肩を掴まれ強く揺さぶられたしびれのような感覚がいまだに背骨にこびりついて離れてくれない。この種の革命的作品をまさか国内で愉しめようとは、思いも寄らない嬉しい誤算だった。
 わざわざ静岡まで足を運んだきっかけは、『カリギュラ』観たさに他ならない。小栗旬のときも菅田将暉のときも観に行けなかった三度目のリベンジといった気持ちだった。今回もチケットの発売に気付いたときは既にキャンセル待ちになっていたが、毎日チェックしていたら幸運にも購入することができた。 続きを読む »

SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭2022■入選■【ふたりの女】菅谷仁志さん

カテゴリー: 2022

溶け出した『ふたりの女』の奥に

 「SPACとは、現代に生まれた地芝居である」。1時間に20ミリ前後の雨が降りしきる中、4月29日(金)に舞台芸術公園野外劇場「有度」で上演された『ふたりの女 平成版 ふたりの面妖があなたに絡む』が想起させたのは、そんな感覚だった。普段なら舞台の上に格子状に整えられているはずの砂ですら、はじめからドロドロで形を保っていない。本来意図した演出や演技の緻密さには、届いていなかったかもしれない。観客側にしても、セリフはほとんど聞き取れず、舞台上で起きていることを正確にキャッチできていたかは怪しい。だが、大雨ゆえに「内容」という作品の輪郭がそぎ落とされ、この日の上演は芝居を観ることの本質を射貫く特別なものに昇華していた。 続きを読む »

SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭2022■入選■【私のコロンビーヌ】冨田民人さん

カテゴリー: 2022

オマール・ポラスへの手紙~「私のコロンビーヌ」、平和の鳩

オマール・ポラス様
 私は、神奈川県在住で、熱海で東海道線を乗り継いてやって来ました。2時間弱かけて。これは東京に行くのと余り変わりません。
 長いトンネルをぬけ、富士の近くの工場地帯をぬけ、平家が戦わずして退散した富士川を渡り、清水を通過すると、前方に見たことのない、巨大な怪物が見えてきて、驚いたのでした。
 東静岡の駅を下りて眺めると、それは磯崎新設計の静岡県コンベンションアーツセンター“グランシップ”なのでした。あなたの出演される静岡芸術劇場は、グランシップ内にある舞台芸術のための専門施設ですね。定員は400人、レンガの石壁が深紅の客席と闇深い舞台を囲み、馬蹄形の客席からなる劇場空間です。 続きを読む »

SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭2022■入選■【ギルガメシュ叙事詩】上鹿渡大希さん

カテゴリー: 2022

「ギルガメシュ叙事詩」における語りと崇高さ

 ギリシャ神話や日本古代の神話など「大きな物語」を取り上げることの多い宮城聰による新作「ギルガメシュ叙事詩」。世界最古の文学作品とされるこの作品を宮城がどのように立 ち上がらせたのか。
 宮城の演出でよく見られる、登場人物の動きと発話を分解して「ムーバー」と「スピーカー」という二人で一人の役を演じる方法が本作でも採用された。「ギルガメシュ叙事詩」は口承文芸であり、その物語がどのように伝えられたのかについては今現在全てを知ることはできない。しかし口承文芸という点から私は、物語というプロットの真実は正しく伝承されても、その真実に至る過程である人の機微や気持ちの抑揚のようなものは、この物語を紡いできた人そのものの演出が加わったものだろうと想像する。宮城の演出でいうと、物語は「ムーバー」によってプロット的な真実が語られ、「スピーカー」によってそこに至る人間的な震えや緊張が語られる。身体と発話をわざわざ切り離すことによって、物語の大きさを「ムーバー」から感じられる一方で、物語の大小や幅、人間臭さや振動を「スピーカー」から受け取ることができる。 続きを読む »