SPAC秋→春のシーズン2024-2025は、特に『象』評が多く集まりました。『象』は、詩的なセリフと、寓話的な物語と、被爆という生々しい題材とが、不可思議に調和した故・別役実さんの初期代表戯曲を、EMMAさんの演出とSPAC俳優陣の技量によって現代に甦らせた公演でした。その謎めいた内容が、解読し解釈し批評する欲望を、大いに刺激してくれたのかもしれません。
その『象』評は、いずれもチャレンジングな内容で読み応えがありましたが、とりわけ、「月」と「太陽」というイメージの対比によって読み解いたユニークさを評価して、山上隼人さんを最優秀に選出しました。また、「観られたい、見られたくない」という矛盾の連鎖として上演を読み解いた鮮やかさを評価して、小迫茉凜さんを優秀に選出しました。
ただ一つ気になったのは、これは今回頂戴した『象』評の全体に言えることなのですが、ケロイドを背負った「病人」の「観られたい」欲望とはいったい何なのか、もうひとつ掘り下げが足りないという印象を受けました。「病人」が嫌悪するのは、政治集会の中で被爆者の代表のように扱われ、戦争の被害者という役割をあてがわれ、憐憫や同情によって承認されてしまうこと、すなわち、戦後民主主義的なヒューマニズムの餌食になることであり(この背景には、1960年の安保闘争の敗北に際して、別役さんたちの世代が抱いた議会政治への幻滅があります)、そのような“良心的”な人々の欺瞞的な態度より、「病人」は、かつて街角で自分のケロイドに触れようと近づいてきた少女の、直接的であり衝動的であり、無垢とも残酷とも言える好奇心を歓迎するわけです。原爆によって、偶然にも背負わされてしまった傷痕をあえてセンセーショナルな見世物に転換して、人々の下世話な好奇心を満たそうとする「病人」の態度は、マゾヒスティックで倒錯していますが、自分の不運を呪い〈不自由〉に苦しみ続けるのではなく、自分の不運をあたかも運命的なドラマであるかのように仕立て直して、人々の視線の前にその身をさらす〈自由〉に賭けている、と解釈できます。これは、ジャン=ポール・サルトルが主張した、実存的な〈自由〉そのものであると言えましょう。改めて私はこの戯曲を、カミュやベケットに連なる不条理演劇というよりも、サルトルに連なる実存主義演劇と位置づけるべきではないかと感じました。ともあれ、この病人の倒錯した心理をどう説明するかが、劇評を書く上での肝であることは間違いありません。
同じシーズンの『メナム河の日本人』評からは、心理学的な視点で読み解いて下さった河村恵理さんのオリジナリティを評価し、入選といたしました。ただ、これは戯曲の分析に終始している点が惜しかったです。次回はぜひ、演技や演出といった上演の質感にまで踏み込んでいただきたいと思います。また、残念ながら入賞は逃したものの、上演をめぐる親子の会話を書きとめて下さった、のびた父さんの劇評は、楽しく読みました。
批評の書き方に「正解」があるわけではありませんが、自分なりに洗練させることはできると思います。みなさん、ぜひまた劇評に挑戦して下さい。