批評としての演劇──サドと三島と昭和
井出聖喜
三島由紀夫の「サド侯爵夫人」は、澁澤龍彦の「サド侯爵の生涯」を典拠とする三幕の戯曲である。鈴木忠志の演出による今回の上演は二幕のみを取り上げた。怪物サドの姿が顕在化し、サド侯爵から娘ルネを引き剥がそうとするモントルイユ夫人に対して、長い言葉の格闘の末、サドは私だとルネが宣言する下りである。ここはこの三幕の戯曲の中で最も劇的で、言葉と言葉、論理と論理が火花を散らす場面の連続である。
鈴木忠志はこれまでも原戯曲を忠実に舞台に再現するということをせず、テキストレジーを施したり、原作の構造を解体再構成したりという形で、原作が作られた時代とそれを上演する今日の世界との関係性を批評的に提示するという手法を取ってきたから、長年鈴木の舞台を見続けてきた者にとって、変則的とも言える今回の上演は格別驚くには当たらない。むしろ、一幕と三幕をカットしたという一事を除けば、禁欲的とも言えるほど原戯曲に忠実であった。
舞台は演劇研究家である「男」が「第二幕 1778年9月。すなわち第一幕の6年後……」とト書きを読み上げるところから始まる。一方、大詰めの台詞の一部をもまた「男」が語る。こうして、この舞台の最初と最後が「男」によって挟み込まれているのを見れば、我々の眼前に繰り広げられるこの演劇世界が「男」の脳裏に展開するそれであること、「男」(そして「男」の背後には当然演出家鈴木忠志が控えている)によって批評的に再現されたものであることが首肯されるのである。
さて、鈴木の舞台であるからロココ調の衣装も山の手夫人風の語りも期待しない。しかし、ルネの最初の台詞「アンヌ!」──その女性らしい色香や優しさのかけらもない、“ドスのきいた”声を聞いた瞬間、何とも言いようのない違和感に包まれた。ジュスティーヌについて触れた第三幕のルネの台詞「心のやさしい、感じやすい、どちらかといえば陰気な淋しい人となりで、姉の媚態にひきかえて羞らい深く、乙女らしい姿(中略)まるでアルフォンスが、何も知らなかった時分の若い私の絵姿を描いたよう」から透けて見えるルネの姿や声音と全く違っていたからだ。多分鈴木は、これまでの「サド侯爵夫人」の舞台に共通して表出されてきた、記号としての女性性(私自身もそこにもたれ掛かっていたか?)をこの「貞淑」なる女性から剥ぎ取り、彼女の中に刃のように装填されている「論理」を剥き出しにしたかったのだろう。モントルイユ夫人の道徳性、その醜悪にして強固な偽善に拮抗し、対峙するにはそのくらいの強さが必要だということなのかもしれない。
優れて印象的な場面が二つある。一つはサン・フォン伯爵夫人が黒ミサについて語る場面である。最初舞台上手に位置していた夫人が中央に寄ってくる、その時上手の壁から天井にかけて彼女の黒い巨大な影が映るのである。彼女が「私と一味徒党」と語るサド侯爵の怪物性が視覚的に象徴された見事な場面である。
もう一つはラ・コストの城でサドとルネが過ごした四年前のクリスマスの夜のことを、モントルイユ夫人が語る場面である。それまで床に伏せるようにしていたルネが、ある台詞のところで片膝を立てる。その時、彼女の秘部が(下着をつけているとはいえ)覗かれるのである。それは彼女がサド侯爵との性の秘祭に耽っていたことが明らかになる場面であるから、決して扇情的ではないにせよ、ドキッとさせられるのだ。
さて、大詰め。ルネの台詞「アルフォンスは、私だったのです。」が語られた、その時、美空ひばりの演歌が大音量で劇場を覆う。それは、それまでそこを支配していた言葉の宮殿に土足で乱入してきた暴徒のようでもある。
人間世界の種々相、善き行いも悪しき行いも道徳も不品行も、等し並みに一つの物語に閉じこめ、「天国への裏階段をつけた」(第三幕ルネの台詞)サドと、言葉の力によって人間存在の極北にまで到達してしまった三島とが創り出す、一種透明な世界に突如、夾雑物としての美空ひばりが入り込んでくる。彼女は、観念ではなく情念にすがって生き、「言葉」ではなく日々の営みのあれこれと格闘し、思い煩う民衆の代弁者であろう。一時間余にわたる純化されたロゴスの世界の後に、それを相対化し、批評する俗にまみれたパトスの世界がわずか数分間ではあるが、しかし、昂然と屹立する。
三島の生きた昭和(よく知られているように、大正十四年生まれの三島の年齢は昭和の年数と一致する)というのはそういう時代だったのだと、最近流行のレトロスペクティブな視点からではなく、匕首のように鋭く、演出家鈴木忠志は切り込んでみせてくれたのである。
(観劇日:4月5日)