劇評講座

2014年6月27日

■依頼劇評■『ファウスト 第一部』(ニコラス・シュテーマン演出、ハンブルク・タリア劇場)『ファウスト』のポストドラマ的展開について 奥原佳津夫さん

■依頼劇評■

『ファウスト』のポストドラマ的展開について

奥原佳津夫

 ニコラス・シュテーマン演出『ファウスト 第一部』は、劇文学としての文豪ゲーテの詩劇とポストドラマ的演劇形式の拮抗を枠組として、テクストの作品世界を拡げてみせた刺激的な上演だった。歌手、ダンサーと楽師、数人の日本人エキストラが加わるとはいえ、専ら男優A、B(フィリップ・ホーホマイアー、セバスティアン・ルドルフ)と女優C(マヤ・シェーネ)の三人で、この長大な戯曲を三時間の舞台に上げること自体驚くべきことだが、ミニマルな演劇手法で古典戯曲のストーリー展開をなぞることにこの上演の眼目はなく、一人芝居の応酬とでも云うべき特異な手法が、テクストの生成する意味をめまぐるしくゆさぶり、時に裏返し、拡張させてゆく。主要登場人物三人にしぼって名場面集式に物語を構成するのでもなく、ポストドラマ的上演の材料としてテクストを解体するのでもなく、巨大な文学作品を舞台上のパフォーマンスと敢えて対峙させて緊張を持続しつづけた絶妙のバランスが鍵である。 続きを読む »

2014年6月24日

■依頼劇評■極北の劇場はクラインの壺となって テアトロ・デ・ロス・センティードス<五感の劇場>による<よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン>を体感する――阿部未知世さん

■卒業生 依頼劇評■

極北の劇場はクラインの壺となって

テアトロ・デ・ロス・センティードス<五感の劇場>による
<よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン>を体感する

阿部 未知世

0. クラインの壺をご存じだろうか
 クラインの壺というものがある。
 この壺をガラスで作る時。まずあるのが、片方がぷくりと膨れた、もう片方が鶴の首のように細く長く伸びた、一本のガラスの筒。その首の部分が、ますます細く長く伸びて弧を描き、あろうことかその先端が、ぷくりと膨れた胴体に突入する。首は突入してもまだ伸びながら先端部が広がって、あげくの果てに、開口したままのもう一方の端へと、内側からつながる。これで奇妙にねじれた、不思議な形のガラスの容器が出来た。内側を辿るといつの間にか外側に出てしまい、外側を辿るといつの間にか内側に…。これがクラインの壺なのだ。
 これは一体、何ものなのか。純粋に数学的な、非ユークリッド空間で生起する事象で、境界も表裏の区別も持たない曲面の一種なのだそうな。クラインの壺とは、その曲面をユークリッド空間の3次元に、無理やり埋め込んだ形なのだ(Wikipedia)というが… 続きを読む »

2014年6月23日

■依頼劇評■【『此処か彼方処か、はたまた何処か?』作:上杉清文、内山豊三郎 演出:大岡淳】あの上杉君――南伸坊さん

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2014年2月14~16日に、アトリエみるめで上演された、大岡淳演出によるSPAC公演、ハプニング劇『此処か彼方処か、はたまた何処か?』への劇評を、実際に観劇された方々から寄せてもらいました。第3回は、イラストレーター、エッセイストとしておなじみの、南伸坊さんです。上杉清文さんとの交流を中心に、語っていただきました。愉快なエピソードが満載です。

■依頼劇評■

あの上杉君

南伸坊

 『此処か彼方処か、はたまた何処か?』は、伝説の舞台だった。私はその伝説を、若い頃、あの石子順造さんからお聞きしたのだ。
 上杉さんとは、私の高校時代の同級生、秋山道男が引き合わせてくれた。澁澤龍彦とバルテュスの話が出て、趣味が似ていると気が合ってしまった。
 そんなことで知り合ったばかりの上杉さんのことをある時私が話しているのを横から聞きつけて、
 「その上杉って、あの上杉君のこと?」
と石子さんに訊かれたことで、その上杉がタイヘンな人だったというのが分ったのだった。それから、私は上杉さんとつきあい方を変えなきゃいけないかなと思ったのだが、すでに会うといきなり下らない冗談を言い合う関係になってしまっていて、結局今にいたるまで、つきあい方は変わっていない。 続きを読む »

2014年6月17日

■依頼劇評■【『此処か彼方処か、はたまた何処か?』作:上杉清文、内山豊三郎 演出:大岡淳】赤飯を炊きたいくらいの精神の運動――― 上杉清文Works連続上演へ急げッ! ――秋山道男さん

カテゴリー: 未分類

2014年2月14~16日に、アトリエみるめで上演された、大岡淳演出によるSPAC公演、ハプニング劇『此処か彼方処か、はたまた何処か?』への劇評を、実際に観劇された方々から寄せてもらいました。第2回は、『此処か彼方処か、はたまた何処か?』の作者・上杉清文さんと共に、劇団「天象儀館」のメンバーとして活動されていた、クリエイティブディレクターの秋山道男さんです。上杉戯曲への熱い思いを中心に、語っていただきました。

■依頼劇評■

赤飯を炊きたいくらいの精神の運動
――― 上杉清文Works連続上演へ急げッ!

 秋山道男

 僕も『此処か彼方処か、はたまた何処か?』は、観たことなかったんですよ。噂だけは聞いていて。それでまず嬉しかったのは、上杉清文という人にお声掛けがあったってことなんですね。というのも、僕たちは天才・上杉の作品が、なぜ評論家とかメディアとかの俎上に乗らないんだろうっていう疑問をずっと持っていたんですね。だから、大岡さんたちが『此処か~』に眼差しを送って、瑞々しい役者の連中がああいうふうに充実した時間を作ってくれたことが嬉しくて。そして『此処か~』という処女作の後には、上杉Worksと僕が勝手に呼ばせてもらっている作品群が、ずっずっと続いていく。時期的にも意味的にも、導火線に火がついたという感じがするんですね、いよいよ。導火線の先には爆弾があるわけですが、その爆弾がまるで団子屋の店先のようにゴロゴロ並んでるんです。そのお団子にもし大岡さんたちが興味があるなら、まずその上杉作品を年代順でも何順でもいいから、読んでほしいんですよ。 続きを読む »

2014年6月13日

■依頼劇評■【『此処か彼方処か、はたまた何処か?』作:上杉清文、内山豊三郎 演出:大岡淳】茶番が繰り返されるとき――佐々木治己さん

カテゴリー: 未分類

2014年2月14~16日に、アトリエみるめで上演された、大岡淳演出によるSPAC公演、ハプニング劇『此処か彼方処か、はたまた何処か?』への劇評を、実際に観劇された方々から寄せてもらいました。第1回は、この公演にドラマトゥルグとして関わって下さった、劇作家の佐々木治己さんです。

■依頼劇評■

茶番が繰り返されるとき

佐々木治己

「人間は自分じしんの歴史をつくる。だが、思う儘にではない。自分でえらんだ環境のもとでではなくて、すぐ目の前にある、あたえられ、持越されてきた環境の元でつくるのである。死せるすべての世代の伝統が夢魔のように生ける者の頭脳をおさえつけている。またそれだから、人間が、一見、懸命になって自己を変革し、現状をくつがえし、いまだかつてあらざりしものをつくりだそうとしているかにみえるとき、まさにそういった革命の最高潮の時期に、人間はおのれの用をさせようとしてこわごわ過去の亡霊どもをよびいだし、この亡霊どもから名前と戦闘標語と衣裳をかり、この由緒ある扮装と借り物のせりふで世界史の新しい場面を演じようとするのである。」(マルクス『ルイ・ボナパルトのブリューメール十八日』伊藤新一、北条元一訳、岩波文庫、1954年) 続きを読む »