■入選■
平井清隆
『ロミオとジュリエット』は、喜劇だ。
常々そのように思っていたのだが、今回のSPAC×オマール・ポラス版は、その意を強くしてくれた。
通常、この戯曲は、悲劇とされる。演劇を始め、バレエや映画などでも繰返し上演・上映され、また、本作を本歌とする作品も多数ある。バルコニーの場面など、一部が取り上げられる事も多い。それら全てが、『ロミオとジュリエット』は悲劇だと捉えている。
しかし————-。
喜劇ものの定石の一つに、一般的な常識と登場人物の常識や行動との乖離を笑いの元とする手法がある。過去や未来、異文化の国から来た人物、場合によっては、ロボットだったり、宇宙人であったりもする。いずれにしても彼ら異邦人との常識のギャップで笑いをとる、というものだ。
また、破天荒で気まぐれな人物に周囲が振り回されると言う話も、よくあるパターンだ。「熱血」の度が過ぎている者だったり、気分屋で突拍子もない行動をとる者だったりする。
そんな視点から見るとどうであろうか。
キャピュレットとモンタギューという二つの名家の争いは、大公すら憂慮する程に深刻さを増していた。そんな緊迫した「社会情勢」の中、モンタギュー家の跡取りにも関わらず、関心事は女性の事ばかりのロミオ。しかも、ジュリエットを一目見るや、それまで夜も眠れぬほど恋い焦がれた女性から、あっさりと心変わりする始末。そして、まんまと「箱入り娘」をたらし込み、翌日には結婚をも誓う事になる。電光石火の早業だ。ところが、その帰途、お子ちゃま同士のいざこざを、人死が出るほどの事態に発展させてしまう。親友を殺され逆上したロミオは、その敵を討ち、追放処分になってしまうと言う体たらくだ。立場や情勢にあまりに無頓着で、耐えることを知らない軽さを持つロミオの言動には、あきれて笑うしかないではないか。極めつけは、ジュリエットが死んだと早合点し、「後追い」自殺するくだりだ。こいつアホや~と、関西弁で突っ込みのひとつも入れたくなる。
ロミオ役の新人女優山本実幸のひたむきな演技が、大真面目なスーダラ男ロミオによく合う。彼女の演技が真摯であるほど、舞台としては可笑しみが増す。
他のキャラクターも効いている。とりわけ絶品なのは、キャピュレット家の当主夫妻だ。この二人、特に「お父ちゃん」は、出てくるだけで笑える。「寺内貫太郎」を彷彿させると言ったら失礼だろうか。また、ジュリエットの乳母もいい。この役は、キャピュレット夫人とともに、男優が演じており、それだけで十分可笑しみがあるのだが、別の効果も見逃せない。乳母の台詞には、エロティクなものも多いが、男優・武石守正が演じる乳母の口から発せられると、エロより笑いが先に立ち、品位が下がらない。子供と見ていても安心だ。キャピュレット家の召使いにも男優が多数配置されている。彼女(彼)らのダンスも、とても楽しい。
他にも様々な「仕掛け」がある。舞台設定は「日本」となっているが、純和風ではなく、外国人であるオマール・ポラスのイメージするジャポニズム的な雰囲気で、我々日本人から見てもエキゾチックだ。外国人俳優も多く、独特な雰囲気づくりに大いに役立っている。配置も、「日本人チーム」「外国人チーム」の様にパート分けされているのではなく、絶妙にブレンドされている。配役だけではない。音楽や舞台装置なども、随所にひとひねりを加えた工夫があり、飽きがこない。
個人的には、大いに笑えた2時間であった。
しかし、キャピュレット家から見た時、様相は変わる。とりわけ、ロミオのような軽佻浮薄なピーマン男に引っかかってしまったジュリエットには憐憫の涙を誘われる。
純粋培養の箱入り娘にとっての初恋は、本来、恋に恋する“はしか”のようなものだった筈だ。ところが、熱に浮かされている内に、婚姻の契りを結ぶはめになり、さらには、早とちりのおっちょこちょい男の後を追って自刃することになってしまう。14歳の身空である。不運な事故か流行病で命を落としたと納得するしかないような年齢だ。時代背景を鑑みれば、現代の日本での高校生か短大生ぐらいに相当するだろうが、それでも若い。わずか5日、正味3日の間の「悪夢」だ。
そして、手塩に育てた娘が、不慮の死を遂げてしまった「お父ちゃん」の気持ちは、同じ年頃の娘を持つ身としては、察するに余りある。美加理演じるジュリエットが、本当にピュアで少女らしく、可愛らしいだけに余計に身につまされる。
『ロミオとジュリエット』は喜劇だ、ロミオを主人公として見れば。だが、ジュリエットに視線を移すと、一変して悲劇となる。シェイクスピアは、争う両家の和解を最後に持ってくることで、救いとした。しかし、このSPAC×オマール・ポラス版は、ジュリエットの自刃で幕となる。救いすらない悲劇である。