劇評講座

2008年6月15日

『消された官僚を探して』(ラビァ・ムルエ作・演出)

ベイルートで記憶を死守する――『消された官僚を探して』

北村 紗衣

 レバノンのアーティスト、ラビア・ムルエの一人芝居『消された官僚を探して』は、5/14に静岡舞台芸術センターで上演されることになっていた。ところが5/7にレバノンで武力衝突が発生し、ヒズボラがベイルート・ラフィク・ハリリ空港を封鎖したため、出演者であるラビアは出国できなくなった。
 一時は上演が危ぶまれたが、『消された官僚を探して』はラビアが直接舞台に姿を現さず、スクリーンを通して観客に語りかける作品であることが幸いした。ラビアの強い希望により、ベイルートのスカイプで映像を生中継するという手段で公演が行われたのだ。上演前の解説によると、ラビアはたった1日で自宅にインターネット回線を3本引き、直前までリハーサルを行ってやっと中継できる状態までこぎつけたという。中継状況は良好とは言えず、上演中にラビア宅が停電して映像が途切れ、発電機を用いて中継を再開する一こまもあった。しかしながらラビアはそんな中でもユーモアを忘れず、観客に良い舞台を提供しようという気概に溢れていた。
 しかしながら、最先端の情報テクノロジーを活用し、血の滲むような努力をしてラビアがベイルートから静岡の観客に発信したものは、なんと「新聞の記事」であった。『消えた官僚を探して』は、大金とともに行方不明になったレバノン財務省の官僚についての新聞報道をひたすらラビアが検証し、その様子を舞台上の3つのスクリーンに映し出すという作品だ。それぞれのスクリーンには、ラビアがスクラップした新聞記事、観客に語りかけるラビアの顔、手書きの検証メモが映し出される。観客は、ベイルートからわざわざインターネット中継で新聞を読まされるという奇妙な事態に直面する。このデジタル化の時代になぜ新聞なのか。ラビアが発信しているものは一体何なのだろうか。
 我々がまず圧倒されるのはラビアが提供するニュースの多さだ。ラビアはレバノンの主な新聞から官僚失踪事件の記事を全て切り抜き、日付順に整理している。新聞に汚損などの問題があれば新聞社に問い合わせ、雑誌などの記事もできるだけ保管する。その膨大な記事をスクリーンで見せられた観客は情報の洪水に溺れ、事件の仔細を追うことはほとんどあきらめてしまう。一方で情報収集に対するラビアの執念はひしひしと伝わってくる。
 ラビアいわく、治安の悪化に伴い、増加する失踪者の記事を切り抜くようになったことが記事収集のきっかけだという。この作品の出発点は、あらゆる物がいつなくなるかわからないレバノンという場所で失われていくものの記憶を保存し、整理することなのだ。最後に紹介される記事が、失踪した官僚のほとんど原形をとどめぬまで損壊された死体に関するものであることは示唆的だ。極度に治安の悪化したレバノンでは、どんな人間であろうともいつ消されるかわからない。
 一方、新聞は内戦下であろうと毎日発行される。スクラップブックに貼り付ければ何十年でも保つ新聞は、実のところ、電気がなければ利用できず、多くは20年程で壊れてしまうデジタルの記録媒体よりも強靱だ。新聞は人間すらいつ消されるかわからぬ場所においては最も頼りになる資料であり、レバノンの人々に情報を提供し、過去を保存してくれる。ラビアはそんな新聞記事を集めて保管することで、レバノンを取り巻く破壊の渦に抗おうとしているように思われる。
 しかしながら、ラビアは新聞が常に信用できるわけではないことも仄めかす。官僚失踪事件に関する記事は錯綜し、時として不明確だ。ラビアが行う新聞記事の検証は、新聞が貴重な情報手段であることを確認する一方、読み手のほうもその情報の価値について意識的に考えねばならないことを示唆する。ラビアはいくつかの新聞に掲載された不鮮明な写真を比較し、オリジナルの資料にあたることが重要でコピーには疑いの目を向ける必要があることをさりげなく観客に印象づける。また、ラビアはある日から16日間、ぱったりと官僚失踪事件の記事が新聞に載らなくなったことに触れ、この「空白の16日間」のかわりとしてショパンのワルツを3分間観客に聞かせる。この3分間は、大量の情報に疲れた観客を休ませる一方、ジャーナリズムの気まぐれさを諷刺する捻れたユーモアとして見ることもできるだろう。ラビア・ムルエはいつ失われるかわからない情報を並々ならぬ情熱で収集し保存する一方、自らの頭で自由に考え、その信憑性を疑うよう観客に勧める。
 『消された官僚を探して』は、レバノンという不安定な場においてたやすく失われかねない記憶を保存したいという切迫感から生まれた。ラビア・ムルエがこの舞台において果たしているのは、小さな文書館を作って観客と情報の橋渡しをする誠実な「司書」、脆い記憶を風化から守るアーカイヴ管理者の役割である。彼は危機的な状況にあっても情報を蓄え、整理し、それについて自由に考えることがいかに芸術にとって必要かを観客に示す。ベイルートからラビアが発信したのは単なる新聞のニュースではない。彼が発信したのは、失われてゆく記憶を保管することの重要性、そして保管した小さな新聞の囲み記事を通して自由に考えることの重要性なのである。

(観劇日:5月14日)

『サド侯爵夫人』(鈴木忠志演出、三島由紀夫作、SPAC)

カテゴリー: サド侯爵夫人

身心を励起した声は、エネルギーとなって……
      ――― 鈴木忠志演出『サド侯爵夫人(第2幕)』を観る

                    阿部 未知世

 <Shizuoka 春の芸術祭>に先駆けて、4月5日から始まった、鈴木忠志演出作品2本の連続上演。初日の4月5日に上演された『サド侯爵夫人(第2幕)』は、この企画のキャッチコピーそのままに、まさに<息つまる、言葉の格闘!>そのものの、力に満ちた舞台だった。

 三島由紀夫の手になる3幕もののこの戯曲は、こんな物語である。
 サド侯爵はスキャンダラスな男。しかしその妻ルネは、そんな侯爵と別れない決意をしている。何故ならサド侯爵は、美と醜、善と悪がひと続きになった無垢な<悪徳の怪物>。ならば妻であるルネは、<貞淑の怪物>になろうと心を決めたのだから(第1幕)。
 貞淑な妻ルネは、その貞淑さ故に、世間体が何より大事な現実主義者の母モントルイユ夫人との、長く厳しい対立が続く。その母の口から暴露されるのは、かつて密偵が垣間見た光景。それはサド侯爵の居城で行なわれた狂宴だった。
 自らの貞淑に命じられたからこその、悦びを伴っての、その時のルネの振る舞い。世間的な善悪や良識といった、どんな分類からも自由な、怪物であり無垢であるサド侯爵の存在に深く共感し、自らその存在に貞淑であることを選び取った、共犯者としてのルネがそこにいる。ルネはまっすぐに顔を上げこう言い放つ。サド侯爵すなわち<アルフォンスは、私だったのです>と(第2幕)。
 サド侯爵は自らの哲学を書くことで、精神の自由を獲得した。ルネはその哲学に殉ずるがごとく、生身のサド侯爵を受け入れることなく、自らの意志で修道院へ入る(第3幕)。

 これは論理劇、言葉の芝居である。
 三島は、自ら生み出す言葉の抽象性と浄化力に強い自信を持ち、最も下劣で汚らわしく、最も残酷で不道徳なことを、最も優雅な言葉で語らせている。しかし一方で、日本の新劇のセリフの演技的表現力には不満を持っていた(三島由紀夫<『サド侯爵夫人』の再演>、昭和41年7月1日、毎日新聞)。
 鈴木忠志自身も、三島が<サド侯爵をネタにして見事な論理を、こともあろうに演劇の戯曲として展開して見せ>ていながら、それが舞台になると<三島の理屈はほとんど説得力を持って届いてこな>いという不満を抱き続けて来た(鈴木忠志<『サド侯爵夫人』の上演にあたって>初演の演出ノート))。
 やがて機が熟して2007年、<演出家としての「男の意地」>(鈴木忠志、前掲文)がかたちとなった。その再演が、この度の公演だったのだ。

 その<サド侯爵夫人(第2幕)>は、こんな舞台だった。
 緞帳もない、黒を基調にした、光の少ない空間。床には白っぽい絨毯が敷かれ、中央には低く四角いテーブルと椅子数脚。奥には少し丈の高い小さな台。テーブルの上には陶器の大鉢、床にも陶器の胴を持つ大型の電気スタンドが2基。陶器はみな、土の色そのもののように模様のないくすんだ色彩(陶器:黒田泰蔵)。総じて、極めて簡素なしつらえである(美術:戸村孝子)。
 登場するのは、ルネ(高野綾)、その母モントルイユ夫人(久保庭尚子)、ルネの妹アンヌ(大桑茜)、サン・フォン伯爵夫人(内藤千恵子)、それに演劇研究者の男(蔦森皓祐)の5人。ただし男は原作には存在せず、舞台中央の一段と奥まったところにずっと居て、最小限度のト書きなどを語るのみの存在。
 発せられる言葉は確かに、美しく力強い。
 その声はしかし、伸びやかに発せられることはない。声は再び引き戻され、身体の内深くに籠められ、全身の細胞に浸透してそれを励起し、それを突き抜けて、全身から発せられるかのように、時に爆発的に、時に直線的に、時にぼわりと身体を包むように、充分なエネルギーを内に蓄えた言葉として空間に放たれる。
身体も、おおらかではない。極めて禁欲的に、重心を落とし、上体は静止したまま顔面も無表情に、時にすべるがごとく、時に大地を踏み鳴らすかのように歩を運ぶ(当然、ト書きにある具体的な所作はほとんど行なわれない)。
 身体が禁欲した分、言葉はなおエネルギーを増し、エネルギーが身体を透過した分、身体はそれだけ豊かに陰影を増す。
 それはまさに、600年以上の時間をかけて純化されてきた、能楽の身体技法と深く大きく通底している身心のありかた。そこでは言葉そして思いは、どこよりも骨肉化している。
 第2幕のクライマックスでルネは、どんな分類やラベルからも自由な、怪物的で無垢なサド侯爵そのものであることを、自ら宣言した。その時このルネは、単なる観念が発する薄っぺらな言葉を口にしたのではない。
 サド侯爵と確かに共有された、生身の哲学が、ここにいるルネ自身の身心に具現している。そう言い切ってもよいほどに、その場はエネルギーに満ちていたのではないか。そして場をともにする、私たち観客の心は深く強く、揺り動かされたのではないか。

 三島由紀夫の優雅なセリフが、ロココ風のしつらえの中で華麗に展開することを期待する向きには、大いに失望し、嫌悪する舞台だったことだろう。
 登場人物がまとう衣装さえも、グロテスクである。ルネの白く長いドレスは置くとして、他の3人の女性はみな、まるでオオトカゲのごつごつした皮膚のような、分厚くいかつい布をまとっていた(衣装デザイン:鈴木忠志、テキスタイル:堀内織江)それは、世間体や常識で分厚く身を包んでいる彼女たちを象徴してあまりあるものだった。
最後にルネは、美空ひばりの<誠ひとすじ、この道を行く……>という、野太い歌声とともに舞台から去って行った。第二次世界戦後の繁栄を身をもって築いて来た、多くの日本人の身心に受け入れられて来たこの歌声。その歌声の中で、妙に安心している私がいたことも事実だった。
 この感覚は、一体どこから来るのだろうか。
 否応もなく繁栄の原動力となって来た、私たち戦後の日本人。世代を超えて私たちは皆、繁栄や豊かさというひとつの共通の価値観を選び取り、鎧のように厚くそれを身にまとって生きて来た。その姿は、モントルイユ夫人のそれと、どれだけ違っていただろうか。
 しかし鎧をまとった個々人の裡深くには本来、無垢なる何ものかが宿っている。それはしかし、常識や世間的な価値から自由であるが故に怪物的でもある。その一筋縄ではいかない無垢なるものを深く眠らせたままで、私たちは邁進して来た。私たちは、意識するか否かに関わらず、みなその裡深くに一人ずつ、ルネを抱えているのだ。
舞台上のルネはしかし、怪物でもある無垢なる生き方を選び取った。その意味でルネは、孤独の只中にいる。そして世間的なるものと闘っている。
 そのルネが、戦後の日本人の身心に深く受け入れられて来た、美空ひばりの歌声とともにそこにあった。ひばりもまた、熱狂的に支持されつつもどこか怪物的な存在。そして間違いなく孤独な闘う人だった。
 日本人の身心を強く励起するひばりの歌声とともにルネに出会った時、呼応するふたつのエネルギーに触発されて私たちは、無垢なる怪物ルネが、それぞれの裡にいることを、切実に感じとったのではなかったか。
 その意味で、モントルイユ夫人とルネが延々と積み重ねた言葉の応酬。その厳しい対立はすなわち、(意識されないとはいえ)戦後の日本人が抱えてきた二面性の、深刻な葛藤に他ならないのではないか。そのことが、ひばりの歌声とともに明かされたのではないか。
 それ故なおさら私たちは、舞台上のルネの、ひとすじにおのれを貫く姿に感動し、いとおしく思えたのではないか。ひばりの歌声とともに歩み去る、ルネは崇高でさえあった。
 舞台に居たのは、フランスのロココ時代を生きたサド侯爵夫人ルネであるとともに、生身の私たちの、半身としてのルネではなかったか。
 この思いは、情緒に過ぎるのかも知れない。そして、劇作家三島の意図とも食い違うかも知れない。それは一体どこから来たのだろうか。演出家鈴木忠志の創り出した世界に負うところが大きいのではないだろうか。
                                  <了>

『サド侯爵夫人』(鈴木忠志演出、三島由紀夫作、SPAC)

カテゴリー: サド侯爵夫人

◆不在をめぐる物語―鈴木忠志版「サド侯爵夫人」、そして「ゴドー」    柳生正名

 不在をめぐる物語―三島由紀夫の「サド侯爵夫人」と題されたテクストを、こう読み取って、異論を唱える声は出まい。登場するのは、侯爵夫人ルネ以下、六人の女のみ。全体を統べる中心、であるはずの侯爵本人は一切、姿を見せない。放埓な性癖の咎を受け、獄中にある夫に貞淑を貫き通すルネは第三幕、釈放された侯爵との面会を何と拒む。常に女たちの話題の中心にいる侯爵だが、舞台への到来は最後まで却下され続け、物語は終わる。
 第二幕のみの上演となった今回の鈴木忠志版も、こうしたテクストへの理解が前提となっていることは間違いない。「侯爵の不在」が劇的な求心力であることは、サド邸サロンとして設えられた舞台の中心線を、徹底的に空虚化することで露わにされるだろう。
 その中心線上には果物や野菜が盛られた鉢が置かれるのみ。舞台は左右に分断される。下手に「貞淑の権化」たるルネ、上手は「肉欲」のサン・フォン伯爵夫人、「無邪気と無節操」を代表するルネの妹アンヌらの座。
 中心線すぐ下手に籐椅子が設えられ、その空席が、囚われの身の侯爵の「不在」を視覚化する。椅子には、サン・フォン夫人が自らの、そしてモントルイユ夫人が娘ルネと侯爵の間の、涜聖的な行状を暴く場面にのみ、座を占める。二人の口から発せられる、「サド侯爵は私です」と言わんばかりの、熱っぽく、しかし、どこか虚ろな言葉。それは、フランス古典劇の詩形を意識した劇作者の意図を逆なでし、読経のように平坦、かつ鶴屋南北ばりの五七調に、無理やり押し込められる。
 特徴的な演者たちの身体性。重心の揺れを抑え、発声と所作を一体化しつつ、極度に集中を高めていく点など、まさに能楽的だ。と、夢幻能が主役の現世における不在をめぐる物語であることが、自然に思い起こされる。わけても、複式夢幻能では、しばしばワキが演じる旅人の夢にシテ演じる霊が現れ、その夢を観客が観る構造をとる。
 鈴木演出は、「AとBと一人の女」などと同様、テクストにない男(演劇研究者)役を登場させ、ワキの役割を担わせた。ト書きや家政婦の台詞を断片的に語る、かと思うと、アメリカンポップスや美空ひばりの音楽を舞台に響かせ、いかにも戦後の昭和的心象に満ちた自らの内面を曝して見せる。
 三島描くところのルネが、自らの貞淑の論理的帰結として、待ち続けることで愛の純粋性を選び取る心理さえ、男の抱く演歌調「待つ女」の情緒的イメージに、容易に絡め取られる。かくして、彼は自らの夢と現実を行き戻りしつつ、自らが不在である夢を夢見る。
 これはほとんど、獄中のサド侯爵の心境そのものではないか。今回は、男が、ワキでありながら、不在のシテの存在をも最終的に担うことは演出上、舞台奥の中心線に近い座にほぼ不動で居続けることで、明確に示される。そして、観劇という行為自体、自らが不在の物語を窃視するという倒錯的な快楽に浸ることだ、と暴き、観客を挑発するのだ。
 今回、創作過程における三島の関心が、夫を最後に見捨てるルネの心理解明という当初の目論見から、サド侯爵という劇的中心の不在が貫かれる劇空間の「中空」的な構造そのものへと変化していったのではないか、と気付かされた。演出がその点を意識的に焙り出そうとしたこともあろう。それも、おそらくは、全篇を通じ題名役(タイトルロール)が舞台上に現れない不条理劇、サミュエル・ベケット作「ゴドーを待ちながら」を、大胆に参照する形で。
 例えば、演劇研究者の男が舞台中心線上のテーブルや鉢から野菜を取り、むさぼる、この演出特有の所作。ゴドーという常に不在の人物を待ち続ける(その点でルネと共通する)二人の男に、ベケットが人参や大根をかじらせる場面を髣髴とさせる。やがて、この二人の前に現れる暴君めいた男は、鳥の骨付き肉をしゃぶり、鞭を(サド侯爵張りに)振るいさえする。
 同じサディズムも、肉食中心の西欧では鞭がシンボルとなる一方、草食的な日本では緊縛が好まれる、という。今回の舞台も、役者の「カタ」にはまった身体性や台詞回しにどこか、草食が漂う一方、語られるテクスト内容(特にサド侯爵の行状)は「鞭と論理」の貫く肉食性に彩られる。
 こうした肉食/草食、ポップス/演歌、西欧/日本など、対立する二項のあわい。その、いずれの項にも属しえない隙間(つまりは中空)に立ちすくむこと。実はこれが三島由紀夫の存在論的な本質であると同時に、近代日本の在り様でもあった、のではないか。とすれば、今回の舞台は、戦後に至る近代日本の歩み行きに殉じた三島自身の内なる「中空」さえ、批評的に描き出して見せたことになる。
 ベケットがノーベル文学賞を得た一九六九年、事前に最有力候補と噂されたのが三島だった。結果的に受賞を逃したことが、翌年の鮮烈な自決という結末を導き出す、ひとつの伏線となった―そう思われてならない。
 一方、鈴木世代の演劇人にとって、「ゴドー」は一種母胎的な原点をなした。である以上、三島戯曲の最終到達点にベケットを忍び込ませた今回の舞台こそ、同じ昭和を生きた二人の芸術家が互いの臓腑を曝し合う、張り詰めた場となったことも当然の結果だった。そしてそこでは、鈴木の密やかな告白も漏れ聞こえたように思う。曰く「三島は私だ」と。(了)

2008年6月3日

『サド侯爵夫人』(鈴木忠志演出、三島由紀夫作、SPAC)

カテゴリー: サド侯爵夫人

〈亡命者の孤独〉に寄す
  ――三島由紀夫 作/鈴木忠志 演出 『サド侯爵夫人(第2幕)』を観て
藤山 一樹

 シェイクスピアの翻訳で名高い福田恆存は、自らの世過ぎをなかば自虐的にこう綴っている。
「他国語を自国語に置きかへることを自分の仕事にする翻訳者は、さういふ亡命者の孤独の中に暮さねばならない。たとへばシェイクスピアを翻訳してゐるときの私は、日本の中にゐて、日本人に取巻かれ、不自由なく日本語で用を足してゐても、母国のドイツ語を一々英語に直して喋らなければならぬ亡命者ティリヒと同じやうに孤独なのである」(福田、1987:87)。
 翻訳という仕事にかぎらず、日本人が西欧の文化と対峙しそれを自分の手で表現せねばならぬとき、終生、孤独がつきまとう。日本人は、西欧人に――「なりきる」ことはできても――「なる」ことはできないからだ。戯曲『サド侯爵夫人』を著した三島由紀夫もまた、そのことに敏感な作家であった。しかしながら、彼が『サド―』の創作にひとかたならぬ意欲を見せていたことも事実である。
 「もっとも下劣、もっとも卑ワイ、もっとも残酷、もっとも不道徳、もっとも汚らしいことをもっとも優雅なことばで語らせること。そういう私のプランのなかには、もちろんことばの抽象性と、ことばの浄化力に関する自信があった」(三島、1979=2005:226)。
 畢竟、三島が戯曲の世界で追い求めたのは、言葉の石を積み上げた大伽藍であったろう。日本の演劇にあるのは、能や歌舞伎のように、言葉と肉体と音楽を無尽に操る総合芸術の伝統である。明治維新以降、逆巻く西欧文化の波に日本人が相対するには、ひとまず対象に「なりきる」しか道はなかった。そこで三島は明治百年を目前に、日本人という帰属を自覚し、日本人の土俵から、日本人の言葉で西欧の文化を略奪する覚悟を、あえて、引き受けたのである。
 だからこそ『サド―』の生命線は、台詞にほかならない。この戯曲の本質は、舞台というコロッセウムで交わされる、ロゴス(言葉、論理)の応酬だ。鈴木忠志の演出は、その点で確かに、作品にいのちを吹き込んでいる。独特の台詞術――一定の音高で緩急の差をつけ、口角泡を飛ばす戦闘的なそれは、メデューサのごとく見るものを台詞に縛りつける。そこから人物の過ぎこしや感情の揺れといった行間を、(台詞と同時に)観客が読み取ることはできない。とりわけ顕著なのは、ヴェニスを懐かしむアンヌの台詞である。姉・ルネへの嫉妬を燃やし、水の都でのサドとの情事を「赤い肝臓」のような月と「白い砂浜」の寝床で彩ったアンヌの追憶は、戯曲を読むかぎり、むせかえるような熱と湿気の一夜を思い起こさせる。しかし鈴木の演出はあまりに台詞が張り詰めているため、(作者が意図したであろう)エクスタシーや血の匂い、愛といった余白に思いをめぐらす隙を与えない。舞台にあるのは、言葉を戦わせる存在、としての役者だけだ。なればこそ、舞台の主役は役者でなく、台詞になるのである。
 かような演出法は、台詞をめぐってさらなる効果を生み出した。ロゴスの純粋な力――とでもいおうか――を、蘇らせたのだ。
 幕切れちかくの母子の舌戦に、それは鋭く立ち現れる。母・モントルイユが理論の盾とする世間の道徳観に対抗すべく、娘・ルネは怪物サドへの貞淑をかなぐり捨てて、夫と共犯の高みに走る。戯曲に直接ふれるとき、読み手は三島の豊饒なレトリックにのまれ、時にルネが用いた論理の飛翔を見失いやすい。しかし弾丸のごとき鈴木の台詞術は、「鳩」や「鍵」といった比喩の生むイメージを濯ぎおとし、ノエルの顛末を暴く母への、ルネの焦燥と矜持を見事に表現してみせた。
 言葉は、人々の口の端にのぼるにつれて、その意味を超えた色とりどりの衣をまとうようになる。そして、受け手の豊富な経験と相俟って、さまざまな意味を人に連想させる。鈴木の演出は、意味の裳裾を長々とひくまでになった言葉から、衣をはぎとり、裸にしようとした。そのためには、日常用いる言葉遣いでは、目的は達成されない。あの曰くいいがたい、おかしみすら湛えた台詞術で見るものの意表をつき、舞台上の言葉そのものに集中させることで、結果観客は何か新しい言葉、人生で聞いたこともないような言葉を発見した気にさせられるのである。言葉の響きや意味と厳かに向き合うこともなく、ただ毎日消費しては生産する現代の我々に、その神聖さすら認識させた鈴木の演出は巧みであったという外はない。
 福田恒存が感じた亡命者の孤独を、言葉への矜持を道連れに『サド―』の創作で背負ってみせた三島由紀夫。文学座という新劇の聖地を逃れた点でも、二人はまさしく、レフュジーであった。初演から四十余年経ち、三島が道行の友とした「言葉」は彼の手を離れ、鈴木忠志という演劇人の手に落ちた。新劇というカテゴリすら覚束なくなった現代に鈴木が突きつける言葉の塊は、日本の演劇に永らく欠けてきたレフュジーの精神を、はっきりと浮かび上がらせたのである。

〈引用文献〉
 福田恒存(1987)「翻訳論」『福田恒存全集,第五巻』文藝春秋。
 三島由紀夫(1979=2005)「『サド侯爵夫人』の再演」『サド侯爵夫人・わが友ヒットラー』新潮社。