劇評講座

2011年9月26日

『タカセの夢』(メルラン・ニヤカム振付・演出)

■依頼劇評■

タカセの夢

譲原晶子

ダンス・パフォーマンス「タカセの夢」は瑞々しい存在感を放つ作品だった。はじめはどういう企画なのかよく掴めなかったし、そして今でも、今後何処へ行く作品なのかが読めない宙づり感がある。にもかかわらず、観客に戸惑いを感じさせることなく作品として実にしっかり存在していた。

作品を観るとき人は無意識のうちにその周辺を参照にするものであるが、ちらしに「『こどもが踊る、世界レベルのコンテンポラリーダンス作品』という、ありそうでなかった公演」という主催者によるこの作品の位置づけが、何を意味するのかよくイメージできなかった。「こども――といっても中高生であるが、簡単のためこう呼ぶことにする――が踊る」公演がとりわけ珍しいわけでもない。全国のホールはお稽古場の発表会で溢れているし、「子供のための作品づくり」といった企画もこれまでもなされてきている。世界に目を向ければ、コンクールや舞踊学校の学校公演では、世界レベルの高校生の踊りなど普通に見られる。それに「世界レベル」に挑戦するにはそれに見合う鍛錬の時間を要するのに、たったの一公演を通してそれに挑戦するとはどういう意味なのだろうか・・・。ただ、公演の目的という点からいえば、発表会や「子どものための作品づくり」は100パーセント出演者のための企画であり、家族や親戚、友人が集まる内輪の祭のようなものである。そこでは演技者の技量も問われないし、演目が作品として成立しているかなどということも問われない。プロを目指す若者が自らが達したレベルを披露することでデビューの機会を狙うコンクールや学校公演もまた出演者のための企画であり、こうした公演の会場では、作品主体の公演とは全く違う空気が流れている。
「タカセの夢」は企画として、確かにこの種の教育路線の催しとは一線を画していた。それは、一般の不特定多数の観客に向けられた一作品であり、しかも、将来プロを目指す専門家の卵によるものではなく、舞踊経験のない者までを含めたまさに「静岡の子ども」による公演であった。そこにはもちろん世界レベルの個人技はない。その代わりにそこに見られたのは、子どもの身体を鍛錬途上のものとみなすのではなく、これをひとつの立派なダンスの素材と扱おうという明確な態度である。振付家もその他の制作者も、一般の作品と何ら変わらぬ態度で臨んでいる。作品を観て、主催者のいう「世界レベル」とは、「世界中の不特定多数の観客に、作品として受容されることのできる作品」という意味だということが、よく理解できた。

写真家が捕えた子どもの写真のようなダンス作品だった。作品の内容自体は、極めて純朴で、何気なく、どこかにありそうな穏当な作品であったが、そこには、プロによって狙い定められた子どもたちの、そのオーラとエネルギーが、作品のエッセンスとしてしっかりとキャッチされ、定着されていたという意味において、そう感じた。そしてそれによってこの作品は――振付家ニヤカム氏自身も言うように――「日本の子どもによらなければ成立し得ない作品」となり、これがこの作品の力強いアイデンティティーとなっていた。
どのようにしてこんな作品が成立し得たのであろうか。舞踊には舞踊語彙や技法があり、またそれに即して訓練された舞踊の身体があり、これらを前提として振付家は作品をつくる。振付家は、舞踊語彙を共有していてコミュニケーションが可能なダンサーを使い、また自分の作品イメージにあったダンサー、それを踊れるダンサーを選んで振付ける。ところが「タカセの夢」ではこうした制作プロセスは覆され、出発点にまず「子どもの未熟な身体」が置かれたのである。そして、前提となるべき舞踊語彙も、舞踊の身体もない、零からの出発である。
「タカセの夢」もオーディションによるダンサーの選抜から始められはした。4倍ほどの倍率だったようだが、「とくに厳しい競争はなく、或る程度動きまたは声のコントロールができる子をとった」とニヤカム氏は語る。「最初の困難は、子どもたちがみな周囲に縛られ過度に引っ込み思案だったこと。『自分を受け入れなさい。』『自分を好きになりなさい。』と言い続けることで、徐々に子どもたちは解放されていった。そして最後は日本人特有の素晴らしい集中力で、普通ではありえない短期間でのリハーサルで完成することができた。「タカセの夢」にも、制作のプロセスのなかに教育という要素はあったわけだが、振付家の指針を教え込むという意味では、教育という要素は舞踊作品の制作では必ず存在している。この作品が放つオーラとエネルギーは、まさにこの振付家の手にかかって子どもたちから引き出されたものであることがよくわかる。
この作品では、身体、動きは、造形されようとはしていない。繊細な身体制御にはこだわっていない。その一方で、アンサンブルの動かし方、リズムの構成、場面の切り替えなど、作品の構成は細やかな技で満ち溢れている。そのきっちりした組み立ては、ダンサーの集中力によって完璧に維持され、決して乱れることはない。舞台全体を念入りにまとめることで、そこに未熟な身体がそのまま存在することができる場所が与えられている。そこで、未熟な身体がその未熟ないまを謳歌するのである。
振付家が舞踊家に一方的に振付けるのではなく、振付家と舞踊家の間に作品を生みだそうという創作の在り方は、コンテンポラリーダンスと呼ばれる活動のなかで盛んに進められてきた。この作品にも、両者の相互作用がさまざまな場面に見られる。日本人の振付家であったらおそらく、日本の歌や遊びをこれほど多用することはないであろう。個々の出演者たちが時折見せるソロの動きには、どこかで習ってきたのであろう「型」が散見され、「型破り」はないものかと思うところもあったが、こうした姿自体が我々の写し絵なのだろうと納得するしかない。舞踊の引き出しやすさという点からいえば到底扱いやすいとは思えない日本人を、ここまで使いこなしたニヤカム氏の技量は相当なものだと言っていい。あるいは、ニヤカム氏と静岡の子どもたちは格別相性がよかったのであろう。作品を観る限り、静岡での両者の出会いは幸福なものだったに違いない。

「型破り」といえばこの公演の企画者の宮城氏である。ニヤカム氏の作品の内容は穏当であったし、出演者たちはこんなに素直でよいものかと思われるほどの素直さであった。一方、この企画は既存のレール上にはない。はじめはどう転がるともわからなかったはずだが、自身の直感に対する確信が、先の見えない強さに支えられたときに、こんな推進力が発揮されるものだ。それは子どもたちに負けずに清々しい。さて、既存のレールからはずれて、この企画は今後どこへ行くのであろうか。
宮城氏の直感が何を捕えたのかが明らかになるにはしばらく時間がかかるであろう。個人的には――問いの直接の答えにはなっていないのであるが――この作品の「あの日、あの場所で、あの人たちの間で生まれた作品」という側面を大切にしていって欲しいと願っている。ちなみに作品にも固有名詞のタイトルがついている。リハーサル室での振付家と子どもたちの交感をそのまま運ぶ、その瑞々しさを客席で満喫して、舞踊は「場所の芸術」だと改めて感じたのである。「場所の芸術」といえばまず、複数の人がある時ある場所に集まらなければ作品は成立しないという、実演芸術の本性を指すのだろうが、客席であれ、リハーサル室であれ、人が集まることで初めて作品が存在できるということ、ただそれ自体の価値を、いま、もっと掘り下げていけないだろうかと思うのである。この作品を機に、リハーサル室での出会いと「ユメミルチカラ」から、それまで存在しなかったものを存在させようとすること、ただそれ自体の価値を、いま、もっと掘り下げていけないだろうかと思うのである。

■執筆者紹介

譲原晶子(ゆずりはら・あきこ)
千葉商科大学政策情報学部教授。著書に “Anne Woolliams, method of classical ballet” (Kieser Verlag, 2006)、「踊る身体のディスクール」(春秋社、2007)などがある。

2011年9月1日

『ヒロシマ・モナムール』(クリスティーヌ・ルタイユール演出、マルグリット・デュラス作)

■依頼劇評■

重層化するテクスト、声、記憶
——クリスティーヌ・ルタイユール演出『ヒロシマ・モナムール』ーー

堀切克洋

暗闇に能管の音が響く。空気を破裂させるような高音の笛の音ではなく、どちらかというと親密な印象を与える音である。わたしたちの眼前には次第に不定形のフォルムが見えはじめる。やがて、その曖昧な形状のフォルムは、重なり合った二人の男女の裸体であることがわかる。しかし、それが「君はヒロシマで何も見なかった」——「いいえ、ヒロシマですべてを見たわ」という言葉の発話者であるかどうかを理解するには、もう少しの時間がかかる。その台詞がマイクロフォン、そして舞台上方に設置されたスピーカーを通じて発せられ、客席を包み込むような空間がつくられているからである。

●『ヒロシマ・モナムール』というテクスト

一般的に『二十四時間の情事』という日本語題の下で知られている『ヒロシマ・モナムール』というテクストは、アラン・レネ(1922-)による日仏合作の長編映画作品(1959年公開)のために、マルグリット・デュラス(1914-1996)がフランスにとどまりながら製作した「シナリオおよびダイアローグ」である(邦訳『ヒロシマ私の恋人』、清岡卓行訳、ちくま文庫、1990年)。日仏合作の「平和のための映画」を撮りに広島に滞在している30代のフランス人女性と、技術者でありかつ政治的活動を行ってもいる40才前後の(フランス語が堪能な)日本人男性。物語はこのふたりが出会い、そして別れるまでの「二十四時間」を描く。

映画を見たことがある方、あるいはシナリオを読んだことがある方ならばご存知の通り、ヒロシマという人類にとっての苛酷な経験を「書く」にあたって、デュラスが考案した方法は広島という場においてヒロシマという日本人の男を登場させることであった。さらに、この男と出会う女は、かつてヌヴェールというフランスの田舎町でドイツ兵と恋に落ちたことによって、地下室に軟禁され、村八分にされたという過去を持つ。その抑圧された記憶を呼び覚ますのが、ヒロシマという〈都市=男〉であり、それゆえに、この物語を通じて女はヌヴェールという都市の記憶を代表してみせるのである。

しかし、である。映画を見たことがある方も、そうでない方も、『ヒロシマ・モナムール』というテクストを一度手にとっていただきたい。この書物を開けば、デュラスのテクストがその筋の明解さ(二人の男女が出会って別れるだけの話)とは裏腹に、どれほどに重層的に書かれているかが理解されることだろう。とりわけ、ヌヴェールに関しては、映画で「ヌヴェール」を演じたエマニュエル・リヴァ(1927-)が——ユダヤ人の母親を持つことを示唆しつつ——語ったことの覚書きとして、一連のテクストがシナリオに付録されており、映画監督に対する指示や映画には収められていない場面も含めて、膨大な周辺的テクストが収められている。

このことに加えて、少なくともデュラスという作家にとって、ヒロシマという経験はその端緒においてすでに強制収容所という経験と深く結びついていたことも確認しておこう。折しも邦訳が刊行されたデュラスの『戦争ノート』(田中倫郎訳、河出書房新社、2008年)を参照すれば、政治犯として逮捕され、ブーヘンヴァルト強制収容所へと送られた夫、ロベール・アンテルム(1917-1990)の生還が、デュラスの「ユダヤ人化願望」に拍車をかけたという事実から、デュラスの経験がフランス人女性と日本人男性と重なり合う筋を持つ『ヒロシマ・モナムール』のドラマトゥルギーに書き込まれていると考えることも十分に可能だろう。

しかしながら、『ヒロシマ・モナムール』における男女の会話は、ほとんどが短台詞から構成されており、分量の面から言えば、周辺的なテクスト(筋書き、ト書き、付録など)とは好対照をなしている。つまり、男の問いかけと女の受け答え、あるいはその逆のやり取りからは、無駄な言葉が排除されている。そのため、演出家は基本的に、この膨大な量の周辺情報を俳優たちの短い発話に託さなければならない。そこで演出家はどのような方法をとったか? 「君はヒロシマで何も見なかった」——「いいえ、ヒロシマですべてを見たわ」という冒頭の台詞で示唆したように、この演出において決定的に重要な役割を果たしていたのは、「台詞(音声)の聞こえ方」である。

●いったい、これは誰の声なのか?

冒頭の場面は、わたしの記憶が正しければ、二人の台詞は舞台上方のスピーカーを通して観客に届けられていた。これにより、映画の冒頭のシーン(銀色にきらめく汗をかいた肉体の交わり合い)とは、同じ描写でありながらまったく別の印象を与えることに成功していたのである。ヴァレリー・ラングと太田宏の動きはけっして生々しくはない、どちらかというとコンテンポラリー・ダンスのような、抽象的なフォルムを薄明かりのなかで幻影的に見せる(舞台の観客は俳優の裸体を見ることにほとんど驚きを示さない)。二人の身体が表象している時間は〈1958年〉ではなく、同時代のどこかであるように思われる。

スピーカーから聞こえる台詞は、彼らが「発している声」ではなく、彼らに「発せられる声」のようにも聞こえる。かくして、わたしたちは「現代の男女の姿」に、〈1958年〉の——わたしたちが遅かれ早かれ、映画や書物を通じて夢想することになる——男女の風景を重ね合わせることになる。それは、原爆の風景から切り放された普遍的な、あるいはきわめて凡庸な男女の恋模様である。しかし明らかに、デュラスのテクストは映画とはまったく異なる響きを放つ。当然のことながら、そこには映画で使うことのできる技術(およびその限界)が存在しないからである。原作における時間や空間の統一性(ラシーヌ劇のよう!)は、いとも簡単に撹乱させられることになる。

たとえば、スピーカーを使わない二人の会話がほとんど普通の演劇(恋物語)を思わせると思えば、今度はそのスピーカーから(おそらく現在の)広島の音風景が流され、あるいは〈1958年〉の広島の風景が舞台全体に映写され、時間と空間はデュラスのテクストに応えるかのように、たえず重層化されてゆく。感情の吐露としての独白/小声で話す二人だけの親密な会話/他人にも聞こえる公共的な会話……という具合に、あれほどまでに単純だったはずの二人の会話は、まるで無限のマトリョーシカのように、発話の仕方や音声の届け方を通じて、時間と空間を往来するように観客の想像力を仕向けているのである。

ところで、映画版『ヒロシマ・モナムール』は、映像というメディアが対象のフェティッシュ化を得意としていることを示すように、「へんてこな場面」が何度か登場する。たとえば、二人が愛撫しているシーンの後ろではチャルメラの音が、フランス語で書かれたプラカードを掲げてデモ行進する場面ではきわめて大衆的な音楽が、リヴァが苦悶のヌヴェール時代を回顧する場面ではゲコゲコという蛙の鳴き声と歌謡曲が流れ続けているのである。これらは、急須からコーヒーが注がれる場面(この場面で女は浴衣を着ている!)や喫茶店の名称が「どーむ」であることにもまして、実に微笑を誘う。

このような映画的なユーモアの代わりに、舞台版『ヒロシマ・モナムール』では、日本の唱歌がふたつほど使用されている。ひとつは「椰子の実」(作詞=島崎藤村、作曲=大中寅二)という1936年につくられた唄で、劇中に太田が何度か口ずさむ——「名も知らぬ/遠き島より/流れ寄る/椰子の実一つ」。椰子の実というモノを叙情的に詠んだ歌詞は、どこか懐かしいが悲しげな印象を与える。もうひとつは「わたしの城下町」(作詞:安井かずみ/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎)という小柳ルミ子の1971年の唄である。このような歌謡曲の使用はけっして珍しくはないが、舞台を異化するには効果的な手法である。

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『シモン・ボリバル、夢の断片』(オマール・ポラス演出・翻案、ウィリアム・オスピーナ作)

■依頼劇評■

生き延びる〈ことば〉としての演劇
=「シモン・ボリバル、夢の断片」評=

柳生正名

開演前10分。観客は誰も梅雨時にそぐわぬ涼しさを感じたはずだ。場の緊迫感がそれだけの密度に達していた。眼前には、さながら大震災の直後を思わせる土手状の盛り土、そして建物の残骸。自らの坐るべき席は、そうした瓦礫とともに静岡県芸術劇場の大舞台上に据えられている。

開演。そして、クライマックス。盛り土の上には、演出家オマール・ボラス自らが演じるラテンアメリカ独立運動の闘士シモン・ボリバル。現在は中南米各国の広場という広場に彫像が立つ彼の、その生身に頭から液状の石膏が浴びせられる。文字通り「偶像化」していく存在として、観客の目前、というより、演者と観客が共に在る舞台上で、同時代的な生々しさをみなぎらせつつ、演じられるのだ。冒頭、同じボラスが演じる「演出家」の口から語られる「ボリバルの物語はお前たちの物語でもある」という〈ことば〉そのままに。

ボラスが7度目の来静に携えてくる舞台は、彼の母国コロンビアの建国200周年を記念して制作された「シモン・ボリバル、夢の断片」になるはずだった。解放者(リベルタドール)の称号を持つ対スペイン独立闘争の指導者ボリバル(1783〜1830)—現代日本人には19世紀のチェ・ゲバラとでも説明した方が伝わりやすいか—を主人公に2010年完成した作品である。

しかし、東日本大震災とこれに続く東京電力福島第1原発事故によって、計画は頓挫する。オリジナルの舞台をボラスとともに作り上げた同志たち、すなわち役者、スタッフの多くが来日を見送る中、「今回の静岡公演でオリジナル演出から変更された点はただ『ひとつ』。その『ひとつ』とは『すべて』」とボラスが語る結果になった。つまり、主演のボラス以外の全キャストはSPACの日本人俳優に入れ替わり、構成・演出も一変した静岡バージョン「ソロ・ボリバル」として上演することを余儀なくされる。

この静岡版のオリジナル演出からの変更点のうち、特筆されてしかるべきなのは客席の配置を中心とした舞台の在りようだ。開演前、観客は本来の劇場客席を素通りし、幕の降りた舞台に上がるよう求められる。そこには奥行き12〜3メートル、幅5メートルほどの土手状に盛られた土。その上が役者たちの演技の場となる。

そこに現われるのは、ボリバル自身と彼を取り巻く多彩な人間像—恩師シモン・ロドリゲス、独立運動の同志フランシスコ・デ・ミランダ将軍、妻マヌエリータ・サエンス、さらには地理学者フンボルト、ナポレオン、ボリバルの遺志を継ぐ政治家たち、テロリスト、群集、天使風の何者か、時の神クロノスなどなど。これら数多くの役柄が、ボラス以下、わずか5名の俳優らによって演じ分けられ、波乱に満ちたボリバルの半生—人格形成期から、南米諸国を独立に導き、現在のコロンビア、ベネズエラ、エクアドル、パナマに加えて、ペルー、ブラジルの一部までも含む大コロンビア共和国の初代大統領に就任しながら、同国が内紛によって瓦解後、失意の内に客死するまで—を描き出していく。

といっても、通常の歴史劇とは異なり、主人公の生涯における様々なエピソードをそのまま舞台上で再現することはない。ここまでに名前の挙がった実在の人物による、ボリバルについての証言めいた〈ことば〉、そして日本人俳優4人が演じるギリシャ演劇風コロス(合唱隊)による語り、というよりは、観客の思いをリアルタイムに代弁するかのような呟きによって、ボリバルと生涯を「浮き彫り」にする—そういった種類の叙法が採用されている。

話を舞台装置に戻そう。舞台中央に盛り上げられた赤茶色の土—これが、あまた人の汗と涙と血を吸ったラテンアメリカの大地を象徴することは言うまでもない。劇中は髑髏やボリバルの胸像などが掘り出され、ミランダ将軍や妻マヌエリータの口からボリバルへの愛憎相半ばする思いを独白の形で引き出すきっかけにもなる。時には、イリュージョン風の光景として、その上で現在のベネズエラ、コロンビアの国旗にみられる黄、赤、青3色のペンキがぶちまけられる。また、ボリバルに浴びせられた石膏を洗い流し、偶像化した彼の〈ことば〉に再び命を注ぎ込むがごとき「恵みの雨」が降り注ぎもする。

舞台上の客席は、この土手の両側面に配され、その上で、沈み込む土に足を取られながら演じる役者たちを、観客は横から観る形だ。それでいて、大団円に初めて舞台幕が上がると、寸前まで眼前で演じていた役者たちが、本来の客席からこちらの舞台を見下ろし、拍手を送る。役者と観客の立場が一気に入れ替わり、われわれは自分たちが観られ、問われる立場であることに気付かされるのだ。何を問われるのか?それが、本作のテーマを考える上で、重要なポイントとなる。

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『エクスターズ』(タニノクロウ作・演出)

カテゴリー: エクスターズ

■依頼劇評■

コペルニクス的転回は密やかに起こって

—— タニノクロウ作・演出<エクスターズ>を観る

阿部未知世

1、不穏な気配

<ふじのくに⇄せかい演劇祭2011>招聘作品のトップを切って上演された、タニノクロウの<エクスターズ>。この春、今回の演劇祭の概要が発表された時から、タニノクロウ、そしてこの<エクスターズ>には、一抹の不穏な気配が漂っていた。

何故なら<エクスターズ>は、タニノが約二カ月にわたって日本平山中に籠って生み出すのだと言う(他者と関わらない劇作の過程は、果たして可能なのだろうか?)。

そのタニノ自身は、医者から演劇人に転向したのだそうな(医師免許を持ちながら、演劇に関わった作家はいた筈。安部公房とか……)。

しかも前職は何と、精神科の臨床医なのだと(こうなったらもう舞台は、抑圧された願望など、精神分析的なおどろおどろしい世界に満たされて……)。

そのタニノが主宰する劇団は、<庭劇団ぺニノ>と名乗っている!(形而上的にも<庭>という概念にこだわった演劇空間の創出。もと精神科医としてはユング派の分析心理学の立場で、診断と治療に用いる<箱庭療法>を意識しない筈はない。詳細は略すが<箱庭療法>とは、非言語的な内的世界を非言語的なままに意識化することで、内的世界を把握し、その世界に変容をもたらそうとする試みなのだ)。

そして公演が近づく中で伝えられた、タニノが最初に創ったのは、台本ではなく舞台の空間そのものだったという事実で、タニノクロウなる人とその世界が擁するただならなさ不穏さは、極限に達した(製作のスタンスを重視するという、独自の演劇論を展開する人物であったとしても……)。もはや一筋縄ではいかない、手ごわい場が出現するのだと、覚悟せざるを得なかった。と同時にそれは、確たる期待をも生んでいだ。

2、舞台上で起きること

初夏の薄暮の野外舞台、<有度>。薄闇を切り裂くように、さっきホトトギスがテッペンカケタカと鋭く鳴きながら谷を渡って行った。そんな自然豊かな野外舞台。しかしその舞台は、上手から奥を経て下手まで、隙間なく高い板塀が取り囲んでいる。その高さたるや、十メートルはゆうにあるだろう。しかもそれはピンクやオレンジが混じった、治りかけの傷口か鶏肉のように、決して心地よくはない色彩に、まだらに塗られている。閉所恐怖症気味の人間には、はっきりと苦痛な空間が出現していた。

その空間にはしかし、長椅子やテーブルなどが置かれて生活感が漂う。加えてアップライトピアノとギター、かつて電蓄と言われたような大型のレコードプレーヤーもあって、音楽も豊かに存在するらしい。

爽やかな朝日が室内にも届いて、ゆっくりと時が流れ始める。そこにゆるゆると現れるのはおばあさんたち、総勢六名。おそろいの天使のような白く長いドレスをまとい、素人そのままに歌いピアノを弾く。このかそけき音楽世界を作り出しているのは、この老人施設に暮らしプレイルームに集う、やることと言えば<歌うことくらいしかない>おばあさんたちなのだ。

このおばあさんたちを世話するのは、三人の少年を過ぎたばかりの若者たち。彼らも歌うことには積極的だ。

いくつかのエピソードを紡ぐ中で明かされることがある。朝の爽やかな光に満ちた外では、何故か銃声が何回か。でも誰もそれに気をとめることはない。おばあさんたちの一人がトイレに立てば、みなそれに続いてぞろぞろと。一本の煙草をみんなで回し飲みして一服。ここでは各人がそれぞれの個性を際立たせることはない。みんな一体であり、しかもみんな内向きなのだ。

そんなおばあさんたちにとっては、テレビが伝える銃撃戦(ドラマなのか、リアルなテロもしくは犯罪の報道かは不明だが)も他人事だし、音楽の好みの違いもほんの一時の不協和音を生むに過ぎない。夜を迎えれば、みんなお休みの歌を歌ってこの部屋を立ち去る(私室で就寝なのだろう)。

世話する若者たちも、大差はない。やたらと身軽な者がいたり、どういう訳か場違いにも親からの独立を宣言する者がいたり、かなり太っていたりはするものの……。

そんな彼等に、その時が訪れる。<無音の誘惑>と名付けられた、その時が。おばあさんたちが去ったこの部屋で、若者たちは静かに歌い出す。暗闇よこんにちは……。<Sound of Silence>を歌い終えた彼等は、意を決したようにタキシードへと衣装を替え、一人がフリークライミングよろしく十メートル余りの壁をよじ登り始める。登り詰めた若者は、青く強い光を放つ大きく重いライトを、力を尽くして室内に向けてセットする。青色発光ダイオードの強い光が満ちる部屋。

やがて時は過ぎ、軽やかな音楽にスイングしながら、おばあさんたちが踊りこんで来る。こんどはとりどりに華やかな色合いのドレスを身に纏って。ドレスアップした彼女たちは、また歌い始める。苦境にある恋人を励まし支える歌、そして最後に<ふるさと>。歌い終えておばあさんたちは、にこやかに部屋を出て行く。今度はきっと街へ出ていくのだろう。最後の一人が板壁の縦一列だけを反転させて、彼女たちが去った後の舞台には、外の光景と大気が静かに流入して……。

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『真夏の夜の夢』(宮城聰演出、シェイクスピア原作、野田秀樹潤色)

カテゴリー: 真夏の夜の夢

■依頼劇評■

真夏の夜の夢

井出聖喜

序幕(プロローグ)

●総評

野田秀樹がシェイクスピアの原戯曲から取り去ったものと付け加えたものの意味を的確に読み込み、野田戯曲のもつ力を鮮明に浮かび上がらせた、心に残る上演だった。野田秀樹自身の演出による舞台作品とは全く別物のような印象だが、人間や日本社会の見えない部分を見据える冷徹なまなざしを持った最近の作品につながる、野田の透徹した人間観がくっきりと見えてくる舞台だった。

第一幕

●野田秀樹の作劇法

野田秀樹の作風は「夢の遊眠社」のころからするとずいぶん変わった。当初は、大声を上げて遊園地を駆け回る子どもの喧噪と夢想とでも言うべき世界、芝居では間が大切だなどという保守的な演劇人のしたり顔にそっぽを向いて、速射砲のように観客の耳を撃つ台詞の応酬と体の中に発条が装填されているのではないかと思われるような役者たちのめまぐるしい動きの合間から突如立ち上る鮮烈な叙情性が身上であったが、昨今は文明批評であったり日本人論であったり、歴史の検証であったりといったように、演劇による世界解釈といった作風を強めてきている。

多くの演出家・劇作家がともすれば自己模倣に陥りがちであることを思えば、彼が常に革新的であることはすばらしいことだ。

しかし、変わらない点もある。それは、地口や駄洒落といった、それ自体では座興程度のものでしかない言葉遊びが、一種、触媒の役割を果たして、それまでは全く無関係だった二つ、あるいはそれ以上の世界が突然出会い、お互いに侵食し合い、そこに新たな意味が付与され、この硬質でゆるぎないと思われた現実世界が溶解し、その中から多層的なイメージ、暗喩と寓意に満ちた仮想世界が立ち昇り、観客は、この世界を照らし出す全く新しい光源を見ることになるという作劇法だ。

この『真夏の夜の夢』もそうした野田演劇の本質をよく伝える作品の一つである。

●多層的なドラマ『夏の夜の夢』

『夏の夜の夢』は、『ハムレット』と並んで最も多く上演されるシェイクスピア作品であろう。同じ戯曲を基にしながらも、演出によって作品世界が全く異なってみえるというのは、どの戯曲においても言えることかもしれないが、特に『夏の夜の夢』はその演出の多彩さ、自由度において群を抜いているだろう。と同時に、どんな演出によるとしても、見終わった後の印象には一つの言葉でくくりきれない多様なものがあるように思う。オーベロンとタイテーニアを中心とした妖精の世界の住人たちの、子供のように無邪気で自由な世界、ボトムを中心として芝居づくりに精を出す職人たちのナンセンスで闊達で放埒な世界、そして恋心の気まぐれに翻弄され続ける若い恋人達の困惑と幸福、それぞれの世界がそれぞれにその存在を主張しており、その鮮やかな色彩の混交は、すべてを見届けてきた観客の心にちょっと複雑な味わいを残すことになる。もちろん最後はパックの口上による祝祭的気分で締めくくられるとしても、だ。

●純化された野田版『真夏の夜の夢』

しかし、野田秀樹潤色(というより改作と言ってもいいかもしれない)、宮城聰演出の本作は、見終わった後の印象が実に鮮明で純化されている。これは野田秀樹の脚本がそのように書かれているということでもあるし、それをくっきりと浮かび上がらせようとした演出の意図によるものでもあろう。

では、その「鮮明で純化され」た印象とはどのようなものか。

それについて触れるには、シェイクスピアの原戯曲と野田版戯曲との違いを明らかにしておかなければならない。

ただ、その場合シーシュースとヒポリタが登場しないとか、最終幕の劇中劇が完全にカットされているといった点は大きな問題ではない。(正確に言えば、終幕の劇中劇のカットは「大きな問題ではない」と言うよりも必然である。なぜなら、本作では劇中劇は一種の入れ子構造になっていて、「知られざる森」の中で展開される人間たちや妖精たちの一連のドラマの進行自体がそのまま劇中劇を作り上げていくことになるからだ。)

野田版『真夏の夜の夢』の最大のポイントは「そぼろ」と「メフィストフェレス」(以下メフィスト)という二つの役の造形にある。

●そぼろ

そぼろは原戯曲のヘレナに当たり、恋人の心が自分の親友に向いているという状況は共通である。しかし、そぼろがヘレナと違っているのは、彼女が自分の心の中にある、止みがたい嫉妬心や憎悪といったものに常に目を向け続けているという点にある。

一方、メフィストはもちろん原戯曲には登場しない。本作にはパックも登場はするが、パックの活躍ぶりやその印象は原戯曲ほど鮮やかではない。劇中の彼の台詞をもじって言えば、彼はメフィストにパックリとパクられてしまったことになる。

そぼろとメフィストは別人であるが、二人の拠って立つところには共通のものがある。それは彼らが善意や美徳を生きるのではなく、むしろそれらによって追いやられ、隠されてしまった、しかし、どの人間の中にも確実に潜んでいる負の感情を背負い込んでいるという点だ。

そぼろは、自分の愛するデミが親友のときたまごと近々結婚する運びになるということに苦しんでいる。その結婚は第一にはときたまごの父、老舗の割烹料理屋ハナキンの主人の希望によるものである。第二には、友人ライと共に自分が板前として働いているハナキンの主人の寵愛を得て、その娘婿に収まりたいというデミの野心による。しかし、ときたまごはライと相愛の仲にあり、この結婚は簡単に調うものでもなさそうな状況にある。

この辺り──若い恋人達の人間模様──は原戯曲と基本的に同じであるし、惚れ薬をかける相手をまちがえたことから生じる恋の大騒動とその顛末も大筋では変わらない。

しかし、そぼろの心は暗く沈み、嫉妬心は抑え難く沸き起こってくる。その思いに乗じて現れるのがメフィストなのだ。

●メフィスト

原戯曲の『夏の夜の夢』では妖精パックの早トチリから恋人同士の取り違えドラマが始まることになるが、野田版『真夏の夜の夢』はそぼろを始めとした人間の中の嫉妬だとか憎悪、それら言葉にされることなく呑み込まれた思いと、それを巧みに操るメフィストの「悪意」、あらゆる善なるもの、美なるものへの、彼の屈折した憎悪とが、もつれにもつれ、こじれにこじれた愛のドラマを生み出していくことになる。

そぼろは、デミやライが突然自分への愛を告白することになるという、あり得ない展開を、当初は、彼らが自分をからかい、なぶりものにしているのだという被害者意識によってこそ理解したとしても、自分の呑み込まれた言葉が、あえて言えば無意識界に追いやられ、抑圧された思いが招き寄せたものとはつゆほども思わぬが、ドラマの大詰め近くでそのことに思い致すことになる。

「この悪い夢は、あたしの呑み込んだコトバがつくりだした願いだったのかもしれない。」 「あなた(メフィスト)をここへ呼んだのは、あたしだったのね。」

宮城聰はドラマの冒頭近い部分、メフィストの登場場面で、それを観客に強く印象付ける演出を施している。メフィストは、そぼろが消えた瞬間その消えた場所からフワッと現れるのである。これは上掲のそぼろの台詞と照応してはいるのだが、メフィストはそぼろの心の中にこそ棲んでいたとも解釈できるところである。

●知られざる森

メフィストは、脳天気なオーベロンやタイテーニア、パックまでも騙して人間たちの間に不幸と憎悪をまき散らそうとする。妖精たちは、オーベロン・タイテーニアも含めて「知られざる森」の住人である。「知られざる森」とは、劇中のパックの言葉によれば「ひとたびこの森からでていくと、この森のできごとを忘れてしまう」、「ここには人が置き忘れたいろいろな知られざることが富士の山ほどある」──そういう森である。(これを筆者流に勝手に換言するなら、忘れられた童心の住み処であるし、深層心理の森であるということになる。)

その森で「出入り業者」たちが演じるのは、ピーターパンの登場する『不思議の国のアリス』の物語だ。その意味では「知られざる森」は「ネバーランド」でもあり、アリスの迷い込んだ「ワンダーランド」でもあるのだろう。

その森の本当の姿はだれにも知られず、妖精たちの姿も見えず、その声は人間には鳥のさえずりとしか聞こえないのだ。かつてはだれもがそこに棲んでいたはずなのに今ではどうしても思い出せない、我々の現実から「聖別」された世界──メフィストもその森のはずれに棲んでいるのかもしれない。そして、彼は、他の妖精たちを横目でみつめながら独り寂しくいじけている子どもだったのかもしれない。

●メフィスト対妖精たち・逆隠れみの

オーベロンたちを騙したメフィストは、目に見えるものしか信じない人間たちを操り、彼らに憎悪と不幸を植え付けるために、それを着ると見えなかったものが見えるようになるという「逆隠れみの」を着て、人間たちの前にその姿を現す。

一方、メフィストのたくらみに気づいたオーベロンは妖精たちに号令を発し、同様に「逆隠れみの」を着て人間たちの前にその姿をさらして、彼らがメフィストに騙されていることを知らせようとする。

ここでも奸智を働かせたメフィストは、妖精たちの持参した「逆隠れみの」を自分の下に集めて燃やしてしまうのだが、その灰をかぶることで、妖精たちは人間たちに見えるようになる。そして、すべては「森の裁きの場」に持ち込まれることになるのだが、その時、メフィストは森に火を放つ。

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