劇評講座

2011年9月1日

『エクスターズ』(タニノクロウ作・演出)

カテゴリー: エクスターズ

■依頼劇評■

コペルニクス的転回は密やかに起こって

—— タニノクロウ作・演出<エクスターズ>を観る

阿部未知世

1、不穏な気配

<ふじのくに⇄せかい演劇祭2011>招聘作品のトップを切って上演された、タニノクロウの<エクスターズ>。この春、今回の演劇祭の概要が発表された時から、タニノクロウ、そしてこの<エクスターズ>には、一抹の不穏な気配が漂っていた。

何故なら<エクスターズ>は、タニノが約二カ月にわたって日本平山中に籠って生み出すのだと言う(他者と関わらない劇作の過程は、果たして可能なのだろうか?)。

そのタニノ自身は、医者から演劇人に転向したのだそうな(医師免許を持ちながら、演劇に関わった作家はいた筈。安部公房とか……)。

しかも前職は何と、精神科の臨床医なのだと(こうなったらもう舞台は、抑圧された願望など、精神分析的なおどろおどろしい世界に満たされて……)。

そのタニノが主宰する劇団は、<庭劇団ぺニノ>と名乗っている!(形而上的にも<庭>という概念にこだわった演劇空間の創出。もと精神科医としてはユング派の分析心理学の立場で、診断と治療に用いる<箱庭療法>を意識しない筈はない。詳細は略すが<箱庭療法>とは、非言語的な内的世界を非言語的なままに意識化することで、内的世界を把握し、その世界に変容をもたらそうとする試みなのだ)。

そして公演が近づく中で伝えられた、タニノが最初に創ったのは、台本ではなく舞台の空間そのものだったという事実で、タニノクロウなる人とその世界が擁するただならなさ不穏さは、極限に達した(製作のスタンスを重視するという、独自の演劇論を展開する人物であったとしても……)。もはや一筋縄ではいかない、手ごわい場が出現するのだと、覚悟せざるを得なかった。と同時にそれは、確たる期待をも生んでいだ。

2、舞台上で起きること

初夏の薄暮の野外舞台、<有度>。薄闇を切り裂くように、さっきホトトギスがテッペンカケタカと鋭く鳴きながら谷を渡って行った。そんな自然豊かな野外舞台。しかしその舞台は、上手から奥を経て下手まで、隙間なく高い板塀が取り囲んでいる。その高さたるや、十メートルはゆうにあるだろう。しかもそれはピンクやオレンジが混じった、治りかけの傷口か鶏肉のように、決して心地よくはない色彩に、まだらに塗られている。閉所恐怖症気味の人間には、はっきりと苦痛な空間が出現していた。

その空間にはしかし、長椅子やテーブルなどが置かれて生活感が漂う。加えてアップライトピアノとギター、かつて電蓄と言われたような大型のレコードプレーヤーもあって、音楽も豊かに存在するらしい。

爽やかな朝日が室内にも届いて、ゆっくりと時が流れ始める。そこにゆるゆると現れるのはおばあさんたち、総勢六名。おそろいの天使のような白く長いドレスをまとい、素人そのままに歌いピアノを弾く。このかそけき音楽世界を作り出しているのは、この老人施設に暮らしプレイルームに集う、やることと言えば<歌うことくらいしかない>おばあさんたちなのだ。

このおばあさんたちを世話するのは、三人の少年を過ぎたばかりの若者たち。彼らも歌うことには積極的だ。

いくつかのエピソードを紡ぐ中で明かされることがある。朝の爽やかな光に満ちた外では、何故か銃声が何回か。でも誰もそれに気をとめることはない。おばあさんたちの一人がトイレに立てば、みなそれに続いてぞろぞろと。一本の煙草をみんなで回し飲みして一服。ここでは各人がそれぞれの個性を際立たせることはない。みんな一体であり、しかもみんな内向きなのだ。

そんなおばあさんたちにとっては、テレビが伝える銃撃戦(ドラマなのか、リアルなテロもしくは犯罪の報道かは不明だが)も他人事だし、音楽の好みの違いもほんの一時の不協和音を生むに過ぎない。夜を迎えれば、みんなお休みの歌を歌ってこの部屋を立ち去る(私室で就寝なのだろう)。

世話する若者たちも、大差はない。やたらと身軽な者がいたり、どういう訳か場違いにも親からの独立を宣言する者がいたり、かなり太っていたりはするものの……。

そんな彼等に、その時が訪れる。<無音の誘惑>と名付けられた、その時が。おばあさんたちが去ったこの部屋で、若者たちは静かに歌い出す。暗闇よこんにちは……。<Sound of Silence>を歌い終えた彼等は、意を決したようにタキシードへと衣装を替え、一人がフリークライミングよろしく十メートル余りの壁をよじ登り始める。登り詰めた若者は、青く強い光を放つ大きく重いライトを、力を尽くして室内に向けてセットする。青色発光ダイオードの強い光が満ちる部屋。

やがて時は過ぎ、軽やかな音楽にスイングしながら、おばあさんたちが踊りこんで来る。こんどはとりどりに華やかな色合いのドレスを身に纏って。ドレスアップした彼女たちは、また歌い始める。苦境にある恋人を励まし支える歌、そして最後に<ふるさと>。歌い終えておばあさんたちは、にこやかに部屋を出て行く。今度はきっと街へ出ていくのだろう。最後の一人が板壁の縦一列だけを反転させて、彼女たちが去った後の舞台には、外の光景と大気が静かに流入して……。

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