今回は、『弱法師』4篇、『みつばち共和国』1篇、『ペール・ギュント』6篇、『守銭奴』6篇、『リチャード二世』5篇、『人形の家』13篇、計35篇と、大変な「豊作」となりました。
その中でも、『弱法師』からは最優秀賞1篇と入選2篇が選出されています。これは、『弱法師』という舞台作品が、解読するのに骨が折れるだけに、クオリティの高い劇評が集まった結果だろうと推察しております。『弱法師』は、東京大空襲に「この世の終わり」を見、その空襲時に失明して、肉体的にも精神的にも、戦後日本の虚飾に満ちた「復興」に対して積極的に目を閉ざして生きる青年が、周囲の無理解に苛立って「この世の終わり」の記憶を一瞬だけ蘇らせる――という物語であり、三島由紀夫はこれを、滑稽さと重厚さをないまぜにしたタッチで描いています。この古典的な短編戯曲に対して、石神夏希氏は、あえてカラフルでポップでライトな意匠による演出を施しました。この、戯曲の印象と上演の印象のズレは、もちろん意識的に企まれたものであり、そこをどう読み解くかが、劇評者にとっての難所だったかと思います。その中で、上演に散りばめられた様々な記号の意味を果敢に解読した、柚木康裕さんの「□△○の界(さかい)に。」を最優秀といたしました。
『ペール・ギュント』は、ノルウェーを舞台に、没落した地主の子ペール・ギュントが繰り広げる波乱万丈の一代記であり、『人形の家』のような自然主義的作風に進む以前に、イプセンが手がけた詩劇です。SPAC芸術総監督・宮城聰はこの戯曲を、開国以来ひたすら近代化に突き進んだあげく敗戦を迎えるに至る、近代日本の道行に重ねる演出を提示しました。これもまた、原作と上演の異同の意味するところを解読するのが、劇評者の課題でした。その中でも、双六を模したステージの外で、サイコロを振ってペール・ギュントを操るかのような少年(メタ・レベル)と、帰郷した恋人ペールを最後に受け入れる女性ソールヴェイ(オブジェクト・レベル)を、同一の俳優(池田真紀子)が演じるという、謎めいたしかけを解読した、鈴木麻里さんの「ソールヴェイが軽やかに目覚めるとき――『ペール・ギュント』の女性像をめぐって」を優秀賞に選出しました。
『リチャード二世』は、従兄弟ボリングブルック(後のヘンリー四世)によって権力の座から追い落とされる、イングランド王リチャード二世を描いた、シェイクスピアの歴史劇です。寺内亜矢子氏の演出によって、この古典戯曲に施された様々な「異化効果」を読み解いた、小田透さんの「心ならずも目撃者となった戸惑い」を優秀賞に選出しました。
『人形の家』は、現代(19世紀後半のノルウェー)を舞台に、自分に対して理解も愛情もある存在と見えていた夫の本質を知ってしまい、夫と子どもを捨てて家を出ることになる女性の物語を、宮城聰が昭和10年(1935年)の日本社会に置きかえて演出したもの。観客にとってリアリティのあるテーマを扱っているためか、共感した方々が劇評をお寄せ下さり、これが今回、最も多くの劇評を集めた公演となりました。ただ、リアリティを感じシンパシーを感じておられるだけあって、かえって皆さん、「感想」から「批評」の域にジャンプするのが難しかったという印象を受けました。そこで鍵となるのはやはり原作と上演の異同であり、三間四方の能舞台を模した空間の中で演じられ、またその空間の外側で夫婦の子どもが遊び続けるという、演出/美術の意味を鮮やかに分析した、山上隼人さんの「仮面を付けていない仮面劇」を優秀賞に選出しました。
みつばちの生態を描いた、セリーヌ・シェフェール氏の作・演出による『みつばち共和国』、ケチな父親と周囲の人々との対立を愉快に描いたモリエールの喜劇に、ジャン・ランベール=ヴィルド氏が現代日本を思わせる意匠を散りばめて演出した『守銭奴 あるいは嘘の学校』については、最優秀賞・優秀賞は選出できませんでしたが、単なるあらすじの紹介や感想にとどまらず、上演の中身にまで言及できている劇評が多くあり、いずれも読み応えがありました。
原作を踏まえた上で、上演との異同を確認し、その意味を解読・解釈する。そこまではできている劇評が多かったのですが、あと一歩、その解読・解釈を踏まえ、自分が下す(=他の観客の反応に惑わされない)作品への評価を明確に述べることができれば、劇評としては不足のない形が整うかと思います。ぜひまた挑戦して下さい。