劇評講座

2011年4月12日

『わが町』(今井朋彦演出、ソーントン・ワイルダー作)

カテゴリー: わが町

■準入選■

『わが町』劇評

蓑島洋子

とにかく疲れた。気安くリラックスして楽しむことは許されない、何かしらの緊張感と圧迫感とを受け続けていた。その圧力の正体は何なのか。
結局、私たち観客は常に見られていた。冒頭から舞台に立つ俳優たちの視線を強く意識させられた。そして次々と語られるグローヴァーズ・コーナーズの町の風景を食い入るように見つめている私の姿は、そこには存在しないたくさんの目にさらされているということを感じていた。

開演アナウンスが繰り返され、すでに幕が上がっていたことに気付く。現実の世界から「わが町」へと強引に引きずり込まれる。心細くなるほどの暗闇はさらに現実を断ち切り、ようやく得た光に頼らざるを得ない。しかしただの光ではなかった。それは舞台で照明の中に立っているのと同じ感覚だった。
私は観客として、進行係の言葉で描かれる町の景色を追いかけた。活き活きと働き、生活を送る町の人々を見ていた。町の明るい日の光を、ゆったりと流れる時間を、とても美味しそうなウェブ夫人のベーコンを、人々の幸せを、悲しみを、成長を、生と死を見ていた。私は観客として、少し離れた所から町を見守っていたはずであった。ところが私は、知らず知らずのうちに町を見守る観客の役を演じさせられていたのである。思えば舞台の上の俳優たちも私たち観客と同様に、ギブスとウェブの家庭の様子を観る演技をしていたではないか。
町を演じる俳優がいて、町を見守る観客がいて、合わせて一つの町となり舞台となる。実在しない客席を意識しながら作品を創り上げる。時には聴衆として、または町の人として、そして町に眠る者として。再び暗闇に包まれて現実世界へと解放されるフィナーレの瞬間まで、私たちは観客役を演じ続けさせられていたのだった。幕間の休憩の間でさえ、作品の一部だったと振り返る。

そもそもは「劇中で俳優たちが賛美歌を歌います」という案内に魅かれたのである。どのような音楽が聴けるものかと、楽しみにその時を待った。そして確かに賛美歌が歌われた。パートを分けて重唱してもいた。素晴らしい演奏なのか、といえば決してそうでもない。音楽的にはソコソコの出来栄えなのである。しかしそれは町の人が賛美歌を歌うシーンなのであって、ソコソコの仕上がりであることこそが作品のリアリティーであるのだと気付かされた。町の人々が賛美歌を歌う、コーラスの練習で、結婚式で、葬儀の場で。宗教の違いがあれども、まさに私自身の生活の一部を見ているようである。
舞台芸術と音楽芸術との違いがこのような形で現れることは興味深い。ごく狭い視野で言えば、音楽の世界では技術的であればあるほど「上手い」とされるであろうが、舞台の世界でそれは成り立たないということなのだ。あるいは技術的でないと思わせることさえ「上手い」に含まれているのかもしれないが。
私たち観客の役もまた、技術を狙っては成り立たないものであったと思う。役割を知らされていなかったからこそ、演じきることができた。カメラに残った私たちの表情はいかがなものだっただろうか。観客としてソコソコの表情だったなら、上手くできたということではないだろうか。

また特に印象に残るのは、舞台上で小道具として使用される数々の椅子である。それはどれもが未完成で不完全なものばかりだが、自立して床に立つことができ、大体には座ることもでき、見た目には十分に椅子だとわかる。それぞれが個性と存在感に満ちている。
その不完全な椅子の並ぶ様子は、私たち人間ひとりひとりの不出来さと孤立感を現しているようで、ぞっとした。同時にまた、人間の一生も不出来で不完全なものであることを物語っていた。
誰も人生を完成して終わることはなく、全ての人が不用意に不完全に人生を断ち切られていくのが当たり前であるということを、これまで実感したことはなかった。私の人生も例外なく、作りかけの椅子のように完成品とはならずに終わっていくことを。しかし少し残念だが悲観することはない、完成を目指して生きていくことに変わりはないのである。

以上

『令嬢ジュリー』(フレデリック・フィスバック演出、アウグスト・ストリンドベリ作)

カテゴリー: 令嬢ジュリー

■入選■

『令嬢ジュリー』劇評

丹治佳代

フレデリック・フィスバック演出の『令嬢ジュリー』鑑賞は、観劇という行為の枠を大きくはみ出した、ひとつの強烈な体験だった。終演時は心身がはげしく疲労し、出演者たちに拍手を送ることも、ろくにできなかった。懸命に何かに取り組んだ際の疲れを「心地よい疲れ」と言ったりするが、今回感じたのは、そうした疲労とは異なるよりハードな疲労である。ここまでの疲労感・緊張感を私に与えたものは、一体なんだったのだろうか。

観客の精神に緊張感をもたらしたものとしてまず浮かぶのは、舞台装置の存在だ。舞台上には、駅のホームにある待合室のようなガラスの密室が設けられている。洗練されたシステムキッチンと、本来屋外であるはずの竹林が、ひとつの密室として存在しているのだ。上演開始から終了まで、コロスを含めた登場人物たちは、基本的にこの密室内でぶつかり合いを繰り返す。密室が観る者にもたらす圧迫感は大きく、劇の進行とともに密室内には、はけ口を見つけられない登場人物たちの情念が蓄積されていくようだ。観客は、密室内に増し続けるこの圧迫感・閉塞感を受け止めなければならない。

この舞台装置は、戯曲の台詞にも影響を及ぼす。伯爵令嬢のジュリーと、伯爵家の召使であるジャン。この二人の欲望と本音のぶつかり合い、そしてすれ違いが戯曲『令嬢ジュリー』の主だった筋であり、そこに伯爵家の料理番でありジャンの許婚でもあるクリスティンが関わりながら、劇は進んでいく。戯曲のキーワードであり、ジュリーとジャンが取り憑かれているのが、「上昇と下降」という概念だ。何としても社会的に上昇したいジャンと、自らより社会的下位にいる者に戯れに興味を示しつつ、「(社会的な意味であれ精神的な意味であれ)自分は上にいる」という意識に縛られているジュリー。「のぼる」「おちる」「おりていく」など、二人の台詞には、上昇と下降を表現する言葉が随所にあらわれる。しかし、いくら二人が上昇を望んだり下降を呪ったりしても、彼らが身をおくのは上下左右に出口のない密室だ。私たち観客は、彼らが上昇や下降を表現するたびに、彼らが上にも下にも行けず定位置にとどまり続けるしかないことを見せつけられ、彼らの発する言葉に悲愴な影を感じざるを得ない。

登場人物たちを閉じ込め、上昇や下降という概念を無効にしてしまうこの密室を、私たち人間が生きている限り抱き続ける閉塞感のあらわれとみることは、正しくもあるだろうが、安易すぎるように思う。私は、この密室は、閉塞感をあらわすものであると同時に、もうひとつの意味を体現していると考えたい。—この密室は、「対面」や「向き合う」という関係性を私たちに強調して提示しているのではないだろうか。

いま挙げた「対面」そして「向き合う」ということは、今回の『令嬢ジュリー』において大きな意味を持っていた。まず、『令嬢ジュリー』公演のために芸術劇場内に足を踏み入れた観客は、自分自身を含めた場内全体と対面することから、観劇行為を開始せねばならない。というのも、上演前の劇場内は、舞台上の密室—上演前であっても幕で覆われてはいない—が巨大な鏡のような役割をしており、上演を待つ私たち観客を映し出していたからだ。観劇前に自分と対面させられるという体験のインパクトは強く、上演中何度か、「今は見えてこそいないが、この舞台は私たちを映し出しているのだ」という思いが頭をよぎる。また、ジュリーとジャン、ジャンとクリスティンが、これから先のこと—これから先、自分(たち)はいったいどうしたらいいのか—について対話をするとき、彼らは非常に印象的な「対面」をする。彼らは、密室内の四隅のうち対角線上で向き合う地点に立ち、ありったけの大声で叫びながら、未来についての言葉を互いに交わすのだ。近づいて小声で囁くこともできるのにそうせず、「距離をとって大声で叫ぶ」という、もっとも労力を要する方法で自分の言葉を相手に伝えようとするこの対面のシーンは、俳優たちの熱演もあり、見るものの胸を引きちぎるような痛みを帯びていた。

そして、こうした必死の対面を行なう登場人物たちを包み込むかたちで舞台には密室が存在し、この密室が私たち観客と対面していた。密室という強固な舞台装置により、舞台上で観客と向き合っている演劇空間の輪郭が、はっきりと浮かび上がる。ジュリー、ジャン、クリスティンという存在やそれぞれの関係性が個々の細胞となり、舞台上の密室という大きな存在を作り出す。そして私たち観客は、劇場内でこの密室と対面し、ぶつかり合ったのだ。

本評冒頭で私は、観劇後にはげしい疲労を感じたことに触れたが、それは、濃密な演劇空間と正面から向き合ったことに因るものなのだろう。本公演の観客となったことを語るとき、傍観のニュアンスのある「演劇を見た」という表現はためらわれ、「演劇と向き合った」という言い方こそがふさわしい。『令嬢ジュリー』においては、俳優も、観客も、演劇空間そのものも、まさに当事者であった。

今回の公演を「面白かったか」と聞かれてもすんなりと答えることはできないし、人に勧めたいかどうかも、容易には判断できない。しかし、私にとって『令嬢ジュリー』と対面したことで強烈な当事者感覚を得たことは稀有な体験で、観劇を終え数日経ったいま、終演後に劇場内でおくることができなかった拍手を、盛大に打ち鳴らしたい気持でいっぱいである。(10月2日観劇)

『令嬢ジュリー』(フィレデリック・フィスバック演出、アウグスト・ストリンドベリ作)

カテゴリー: 令嬢ジュリー

■入選■

分裂と統合の帰結
SPAC公演<令嬢ジュリー>を観る

阿部未知世

<SPAC秋のシーズン>の演劇作品のトップをきって上演されたのが、ストリンドベリ作の<令嬢ジュリー>である。この公演で、フランスの気鋭の演出家フレデリック・フィスバックは、19世紀末という大きな時代の転換期のダイナミズムを、象徴的なかたちで現わすことに成功した。

物語は、貴族の令嬢ジュリーの、破滅に至る過程を描いている。

保守的な貴族の父と、自由主義的な今は亡き母。このふたつのアンビバレントな遺伝子のもとに生まれたのがジュリーである。貴族のプライドと滑稽ともみえるリベラリズム。その狭間で不安定に揺れ動く彼女は、夏至祭の乱痴気騒ぎの中、使用人のジャンにお相手をさせているうちに、いつしか一線を超えて……、結ばれる。

ともに働く料理女の許嫁がある身のジャンだが、いつになく安らぐジュリーに、事業の夢を語り始める。ジャンは下僕とは言え、充分に有能で才覚もある。ただ、金だけがないのだ。貴族のお嬢様ジュリーに金を出させ、ふたりで事業を始めようと持ちかける。

ジュリーはためらった後、父親の金を持ち出す。しかしジャンの打算と保身により、ジュリーとともに家を出ることは、ついになかった。あまつさえ、力なく佇むジュリーを死へと導いて……。

演出家フィスバックはこの一部始終を、夏至の白夜を彷彿とする、白を基調とした現代的なしつらえの中で展開させる。舞台美術のローラン・P・ベルジェが創り出すミニマリズムの空間は、物語の骨格をはっきりと際立たせる。加えてフィスバックは、原作にはないコロスを登場させる。生活者であり、市民であり、共同体の成員である彼らは、変革の担い手として、ダイナミックに活動する存在なのだ。

何故この舞台が、時代の転換期という情況を反映して、象徴的なのだろうか。分裂と統合という視点から考えよう。

19世紀末、リベラルな社会改革の潮流はすでに生まれてはいたが、ヨーロッパはいまだ階級社会であり続けていた。厳然と分割された階層構造が続いて来たとは言え、すでに貴族階級没落の趨勢は、否定しようもない。そして性は、いまだタブー視され、あまつさえ女性の性欲は、その存在すら否定されていた。当時人々は、精神と身体、身体と性が、程度の差はあれ分断された中で生きざるを得なかった。その中で起こった、ジュリーとジャンの情事は、階級を突破し、タブーを白日のもとに晒し。当時の社会が内包していた境界線を大きく踏み超える、衝撃的で破壊的な事件たり得たのだ。

ジュリーは没落しつつある階級を生きる一方で、時代を先駆け過ぎた意識のある、精神に深く大きな裂け目を持つ女性。彼女は、内的な分裂から生まれる様々な矛盾を、そのまま並置することで、かろうじて精神の安定を保っている。その意味でジュリーは、極めて脆弱な存在なのだ。

一方、平民のジャンは、貴族に対して表面は慇懃に使えている。有能であるが故に野望もある。しかしそれを実現する手段を持たない。それ故に思いと現実の間で分裂し、行動を起こせない無力な存在となっている。

こんな二人に訪れた夏至祭は、祝祭という非日常の時であり、夜がない非現実の時である。その時だからこそ可能となった、異なる二つの存在の融合の力は、コペルニクス的転回をもたらした。

ジャンは、実業家となる野望をもう隠さず、そのためにエゴイスティックな行動をとって恥じない。分裂していたジャンは、統合されることで力を得た。しかしジュリーは、自らが抱える分裂情況を、はっきりと認識することによって、これまでかろうじて保たれて来た精神の統合が破綻し、急に無力化する。

貴族と民衆という二つの力がこの時、ドラスティックに転換した。無力化する貴族と力を得る民衆という新たな図式が、息づくこととなった。ジャンに代表される民衆はいまや、貴族階級の象徴たるジュリーを破滅させるだけの力を持ったのだ。事実、ジュリーの父親の貴族はついに姿を見せず、ただ厳つい革のブーツでのみ象徴される。そしてエネルギーに満ちた民衆を象徴するのが、コロスなのだ。彼らはしかし、決してカマとハンマーを手にした、プロレタリアートではない。共同体の成員、市民社会の生活者として存在している。何故なら彼らの中には、伝統的な共同体の祭礼に登場する、異形のものが混ざっているのだから。

しかし、彼らは伝統を墨守し続ける存在ではない。事実、貴族の家の料理女はキリスト教を盲信し、尊敬できる人に雇われていることに自尊心の根拠を置いていた。彼女はいつしか、舞台から消え去って行った。演出家は、近代的な自我を持った市民社会の成員としての民衆を登場させたのだ。

歴史はまさに、この物語に呼応している。戯曲発表の翌1889年。ヨーロッパ最強を誇ったハプスブルグ家が支配するオーストリアでは、皇太子ルドルフが謎の死を遂げた。貴族の娘との情死との定説はあるが、交際相手の女優に断られた果てのこととも言われる(暗殺との説も)。この事件により、ハプスブルグ家によるオーストリア支配は終わりを告げた。当時の文化的最先端の地、首都ウイーンはまさに、こんな情況だったのだ。

時を同じくして、性の問題にも、微かな光が当たり始めていた。ジークムント・フロイドはウイーンにあって、精神分析を確立する歩みを始めていた。もしジュリーが精神分析に出会えていれば、こんな破滅的な結果には至らなかっただろうに。

フィスバックはこの戯曲を、ジュリーとジャン二人だけの、密室的な葛藤の物語を、より高次な、時代の転換期の悲劇へと昇華させることに、手堅く成功したのだ。

<了>

『ユ メ ミ ル チ カ ラ-REVE DE TAKASE-』(メルラン・ニヤカム振付・演出)

■入選■

「ユメミルチカラ」を取り戻せ!

おおのひろみ

公演が終り、ふと気が付くと、自分の頬ほころんでいて「笑っている」事に気が付いた。その瞬間まぎれもない幸福感に会場全体が包まれていた。後ろの席の女性は感極まって涙さえ見せていた。

こういった舞台には、『よく頑張ったねー、上手だったねー』で終ってしまうモノが少なからず存在する。子供たちの一生懸命さが伝わってきたとしてもだ。

テレビ番組などでも、実に巧みに歌ったり踊ったりする子供たちがしばし登場したりもする。しかしその子供たちから「生きている」感じは伝わってこない。「歌わされている、踊らされている」感がつきまとっているのだ。

オーディションで選ばれた静岡県内の中高生10名のダンサーたちが、90分間舞台の上を縦横無尽に駆け抜け、確かに「生きて」いた。

初心者も含まれていたらしいが、ほとんどは、ダンスやバレエなど「腕に覚えアリ」の子供たちだったように見受けられた。しかし、ニヤカム氏の振付は彼らのそのような経験値をあてにはしているようには見えなかった。個々の身体能力に応じた振付を施し、かつ、稽古の過程に於いて徐々にハードルを上げていき限界以上のモノを引き出したのではないのだろうか。そこに「踊らされている感」が無かった理由があるように思う。

当初のフライヤーには上演予定時間が60分と記載されていた。ところが、公演時には90分近い作品になっていた。稽古を積み上げる中、どんどん要求に応えてくるダンサーたちを前にニヤカム氏も、新たな要素をどんどん加えていったのではないかと睨んでいる。子供たちが輝く瞬間を導き出したニアカム氏の手腕に脱帽するとともに、しかしそれだけでは、単なる「子供たちが一生懸命頑張った舞台」にしかなるまい。プラスアルファの感動を生んだのは、他にどのような要素があったのだろうか?

公演当日の配付資料によると、この公演は仏題で「タカセくんの夢」というのだそうだ。様々な文化と世代の出会いと混じり合いを描き、自然と調和しながら暮らし、お互いのコミュニケーションがとれるような、よりよい世界を夢見ている、ということだそうだ。

この資料を読んだのは、実は舞台を観た後だったのだが、意外にベタな設定だったのだなと、逆に驚いてしまった。

確かに、モノクロの映像だったり、上下逆さまの映像などの前で、黒ずくめのマント、マスクで顔を覆ったダンサーたちなどは、コミュニケーションレスの現実世界を象徴したモノだったのだろう。翻って、後半は映像も衣裳も軽やかでカラフルでユメの世界の実現を描いていたように思う。また、同じく後半に登場した大きな木。切り絵のようなレース編みのような美しい模様の木は、希望の象徴である「バオバブの木」なのだそうである。照明で色とりどりに照らし出されたり、影絵のダンスを映し出したりした。

衣裳は何パターンもあり、ダンサーたちは早着替えで臨んでいた。

素晴らしい舞台装置・仕掛けの数々である。

夢や希望を語るには格好のシチュエーションである。

しかし…この手のテーマのモノにつきまとう胡散臭さ…にいつもうんざりしてしまうのは自分だけではあるまい。夢だの希望だの愛だの平和だの声高に語られれば語られるほど、「青臭いなあ」とか「そんなことアル訳ナイじゃん」などと思ってしまうのだ。

先に書いたが、この舞台が、夢や希望を描いていたと知ったときは少なからず驚いた。というのも、この舞台には「胡散臭さ」をほとんど感じなかったからである。

解の一つは、対立軸に「オトナ達」を持ってこなかったことがあるのではないだろうか。「生きづらい社会を作ったオトナ達」を対立軸にして「正義の子供たち」が世の中を救うというありがちな構図が無かった。舞台にいる子供たちは、コドモではなく、一人一人のダンサーたちであり、コドモでありオトナであった。人間であった。子供は決して純真無垢で正しいイキモノではないのである。ミドルティーンの出演者達は、その表現者として最適であった。

何でも労せずに手に入る環境の中で、子供たちは、夢や希望を失ってしまったという。

理由は様々あろうが、ニヤカム氏は、その閉塞感の理由が、バーチャルな世界にあるのではないかという仮説にたった。

私が子供だった頃より、この国は、ずっと豊かで便利で安全でクリーンな社会を実現してきた。そして、それは様々な感情・体験に「身体」を伴わないという弊害をもたらしてしまった。

そんな大人たちがお膳立てした、安全でクリーンな世の中で、自分のチカラ・身体で何かをつかみ取る事はむずかしい。しかし、この舞台のダンサーたちは、それを成し遂げたようにみえたし、舞台を観た私たちにも、それが可能である事を、思い知らしめた。

しかし、それはニヤカム氏の稀有な演出やSPACの組織力という、完全に守られた環境で成し遂げられたものだ。実は大いなる矛盾を抱えていたのだが、ニヤカム氏は、それすらも見越していたのではないだろうか。してやられた!脱帽。 (了)