劇評講座

2011年9月1日

『シモン・ボリバル、夢の断片』(オマール・ポラス演出・翻案、ウィリアム・オスピーナ作)

■依頼劇評■

生き延びる〈ことば〉としての演劇
=「シモン・ボリバル、夢の断片」評=

柳生正名

開演前10分。観客は誰も梅雨時にそぐわぬ涼しさを感じたはずだ。場の緊迫感がそれだけの密度に達していた。眼前には、さながら大震災の直後を思わせる土手状の盛り土、そして建物の残骸。自らの坐るべき席は、そうした瓦礫とともに静岡県芸術劇場の大舞台上に据えられている。

開演。そして、クライマックス。盛り土の上には、演出家オマール・ボラス自らが演じるラテンアメリカ独立運動の闘士シモン・ボリバル。現在は中南米各国の広場という広場に彫像が立つ彼の、その生身に頭から液状の石膏が浴びせられる。文字通り「偶像化」していく存在として、観客の目前、というより、演者と観客が共に在る舞台上で、同時代的な生々しさをみなぎらせつつ、演じられるのだ。冒頭、同じボラスが演じる「演出家」の口から語られる「ボリバルの物語はお前たちの物語でもある」という〈ことば〉そのままに。

ボラスが7度目の来静に携えてくる舞台は、彼の母国コロンビアの建国200周年を記念して制作された「シモン・ボリバル、夢の断片」になるはずだった。解放者(リベルタドール)の称号を持つ対スペイン独立闘争の指導者ボリバル(1783〜1830)—現代日本人には19世紀のチェ・ゲバラとでも説明した方が伝わりやすいか—を主人公に2010年完成した作品である。

しかし、東日本大震災とこれに続く東京電力福島第1原発事故によって、計画は頓挫する。オリジナルの舞台をボラスとともに作り上げた同志たち、すなわち役者、スタッフの多くが来日を見送る中、「今回の静岡公演でオリジナル演出から変更された点はただ『ひとつ』。その『ひとつ』とは『すべて』」とボラスが語る結果になった。つまり、主演のボラス以外の全キャストはSPACの日本人俳優に入れ替わり、構成・演出も一変した静岡バージョン「ソロ・ボリバル」として上演することを余儀なくされる。

この静岡版のオリジナル演出からの変更点のうち、特筆されてしかるべきなのは客席の配置を中心とした舞台の在りようだ。開演前、観客は本来の劇場客席を素通りし、幕の降りた舞台に上がるよう求められる。そこには奥行き12〜3メートル、幅5メートルほどの土手状に盛られた土。その上が役者たちの演技の場となる。

そこに現われるのは、ボリバル自身と彼を取り巻く多彩な人間像—恩師シモン・ロドリゲス、独立運動の同志フランシスコ・デ・ミランダ将軍、妻マヌエリータ・サエンス、さらには地理学者フンボルト、ナポレオン、ボリバルの遺志を継ぐ政治家たち、テロリスト、群集、天使風の何者か、時の神クロノスなどなど。これら数多くの役柄が、ボラス以下、わずか5名の俳優らによって演じ分けられ、波乱に満ちたボリバルの半生—人格形成期から、南米諸国を独立に導き、現在のコロンビア、ベネズエラ、エクアドル、パナマに加えて、ペルー、ブラジルの一部までも含む大コロンビア共和国の初代大統領に就任しながら、同国が内紛によって瓦解後、失意の内に客死するまで—を描き出していく。

といっても、通常の歴史劇とは異なり、主人公の生涯における様々なエピソードをそのまま舞台上で再現することはない。ここまでに名前の挙がった実在の人物による、ボリバルについての証言めいた〈ことば〉、そして日本人俳優4人が演じるギリシャ演劇風コロス(合唱隊)による語り、というよりは、観客の思いをリアルタイムに代弁するかのような呟きによって、ボリバルと生涯を「浮き彫り」にする—そういった種類の叙法が採用されている。

話を舞台装置に戻そう。舞台中央に盛り上げられた赤茶色の土—これが、あまた人の汗と涙と血を吸ったラテンアメリカの大地を象徴することは言うまでもない。劇中は髑髏やボリバルの胸像などが掘り出され、ミランダ将軍や妻マヌエリータの口からボリバルへの愛憎相半ばする思いを独白の形で引き出すきっかけにもなる。時には、イリュージョン風の光景として、その上で現在のベネズエラ、コロンビアの国旗にみられる黄、赤、青3色のペンキがぶちまけられる。また、ボリバルに浴びせられた石膏を洗い流し、偶像化した彼の〈ことば〉に再び命を注ぎ込むがごとき「恵みの雨」が降り注ぎもする。

舞台上の客席は、この土手の両側面に配され、その上で、沈み込む土に足を取られながら演じる役者たちを、観客は横から観る形だ。それでいて、大団円に初めて舞台幕が上がると、寸前まで眼前で演じていた役者たちが、本来の客席からこちらの舞台を見下ろし、拍手を送る。役者と観客の立場が一気に入れ替わり、われわれは自分たちが観られ、問われる立場であることに気付かされるのだ。何を問われるのか?それが、本作のテーマを考える上で、重要なポイントとなる。

こうした客席設定は、キャスト入れ替えの結果、余儀なくされたものではないだろう。ボラスは東日本大震災という偶然の不幸を逆手に取り、オリジナル作品が大がかりなプロジェクトであったがゆえにできなかった冒険と挑発に満ちたゲリラ的試みを、今回の公演に仕組んできた—そう考えたくなる。

とは言え、来日後2週間で事実上の新作を立ち上げるなど、並大抵のモチベーションでできることではない。そこまでして、日本での上演にこだわったボラスの思いは、彼自身が記した次のような文章からうかがえる—「ボリバルの夢を見続けたいという気持ちから、私達の仲間が少しずつ遠ざかるのが分かる」(稽古日記・2011年3月11日付)。ボリバルはラテンアメリカの将来像として、北はメキシコから南はアルゼンチン、チリに至る諸国の単一の共和国連合としての統一を夢見た。その手始めとして、盟友ミランダ将軍らとベネズエラ第一共和国を樹立。しかし、王党派の介入と内部抗争、さらに本作で黙示録的光景として鮮烈に描かれる「カラカス大地震」の被害によって、共和国は崩壊し、ボリバルの夢は一時的に挫折する。

演劇の力、言い換えれば身体性に基礎付けられた〈ことば〉の持つ力(それが語るものは、おそらく「夢」)が多様な人と世界を結び付けることを信じ、ついには「演劇は救い主である」と信条告白さえするボラス。そういう彼にとって、19世紀初頭をドン・キホーテさながらのラテンアメリカ統一の夢に生きた革命家にして、〈ことば〉を巧みに操る詩人、それでいて、震災と裏切りに夢と〈ことば〉を打ち砕かれもしたボリバルの物語を、大震災直後の日本で上演することが、いかに重い意味を持ったか。想像するに余りある。

ましてや、ボラスは20歳で渡仏して以降、フランス語圏を中心に演劇活動を展開してきた。故国を離れ25年後に創作された本作は、彼の母国語による初の演出作品だ。その初演の地となったコロンビアは、現在も内戦状態が続き、被災直後の東北地方太平洋岸と同様、突発的な死が常に身近にある、という。そうした状況下で、ボリバルの、偶像化した姿ではなく、遺した〈ことば〉によって形づくられる物語が、どれだけ現実的な力を持ちうるか。また、人と人を結び付ける絆となりうるか。かつて故国で演じたこの作品を、大幅な改編を伴いながらも、震災後の日本で上演することへの使命感に似た思い—それをボラスに抱かせたのは、コロンビア/震災後の日本、革命家の〈ことば〉/演劇の〈ことば〉という、それぞれ、一見かけ離れた組み合わせを貫き通し、結び付ける何かではなかったか。

そのボラスが、事実上の新作「ソロ・ボリバル」に背負わせたテーマ。それは、「〈ことば〉は《 》を生き延びる力を持つか」という問い掛けだったように思われる。身体性に伴われた〈ことば〉の上に成り立つ演劇という芸術ジャンルにとって、もっとも本質的かつ死活的な問題設定でもある。

この問いで《 》内に何を代入し、この舞台に向かい合うか—災害、それとも革命、戦争、時、または死?—は、各々の状況を生きる観衆それぞれに託される。それが、本演出で客席を舞台上に配置したことの、大きな理由なのではないか。この演劇空間において、観客は演出家や役者から回答を与えられる存在ではない。むしろ、演出家や役者と同列にあって、能動的な選択を求められ、その結果を自らのものとして引き受け、評価(拍手、またはブーイング)を下される存在なのだ。

こうした〈ことば〉に対するボラスの思いの強さは、コロスたちがボリバルという歴史的存在の現代的意味を語る際の台詞「永遠に残る〈ことば〉の痕跡—来るべき時を待ちながら—例えば演劇」によって露わになる。この言説に凝縮された、演劇の根源的な在りよう—それを自らのものとして掴み取ろうとする情熱こそ、ボラスの創造の原点にあるものに違いない。

「夢見る人」ボリバルが、あたかも遺言のように語る劇中最後の「コロンビアの声が呼ぶ—私は蘇る—うわごとを書き留める」をはじめ、本作に登場する人物が語る台詞の大半は、彼らが遺した手記や書簡などから選び取られた歴史的現実としての〈ことば〉だ。本作で語られるボリバルの半生も、先に述べた通り、その事跡を歴史学的に追って行く類いの描き方はされない。むしろ、彼を取り巻く人物たちの〈ことば〉を提示することで、物語を浮かび上がらせる。

ある意味、本作では〈ことば〉そのものが主人公なのだ。演劇という芸術は、その〈ことば〉に対し、戦争や災害、革命、テロル、忘却、特にボリバルの場合は「偶像化」、などという暴力的な障害を乗り越え、どこまで生き延びる力を与えることができるのか—「ソロ・ボリバル」はこの点を問い、観客にも突きつけてくる。

そして、こうした問いかけを行うボラスの紡ぐ物語には〈ことば〉—言い換えれば「演劇」—の最終的な勝利が当然のものとして前提されてはいない。例えば、本作で4人のコロスは冒頭、ボサノバ風の調べに乗って、軽やかに踊るがごとく、盛り土の上に登場する。そして終幕、サンバ風のリズムにのり、華やかに退場していく。こうしたミュージカル仕立ての演出は、本作の持つ重厚なテーマ性を中和し、〈ことば〉が本来持つ重苦しさを忘れさせることで、舞台をポップでとっつきやすいものにする、ようにみえる。

しかし、ボラス自身は内戦状態が続く母国の状況について、こうも語る—「不条理な死が日常化しているにもかかわらず、人々はお祭り騒ぎとダンスのリズムで生きており、それによって、時に真実が隠されてしまう」。ボリバル自身、踊りが得意だったとはいうものの、コロスたちの軽やかなステップは、〈ことば〉が指し示す真実を、逆に覆い隠す「阿片」としても機能しうるのだ。終幕のカーニバルさながらの退場などは、むしろ〈ことば〉の敗北を象徴する場面なのではないか。

〈ことば〉の力を信じ、〈ことば〉に忠実に生きることは決して容易な道ではない。「ソロ・ボリバル」でも、〈ことば〉を武器に民主主義を奉じ、戦う政治家が次々と凶弾に倒れる姿が衝撃的に描かれる。それとは対照的に、ポップな「とっつきやすさ」「軽さ」を前面に出し、物語を予定調和的におさめる傾向は、政治の世界でも、また演劇においても、今や主流なのかもしれない。

しかし、この種の「軽さ」に安易に飛びつくことは、〈ことば〉の持つ力を演劇自らが否定し、安直な現状肯定に自らを貶めることになりかねない。それは、演劇だけの問題にとどまらない危険さえはらむ。そのことにボラスは警鐘を鳴らしているように思われる。

現代の演劇人のうちで、〈ことば〉に対して、これほど真摯に立ち向かう者がどれだけいるのか—「ソロ・ボリバル」に接し、改めて考えさせられた問題である。であればこそ、望むらくは、被災地を含めた様々な土の上で、この「静岡版」ボリバルに再演の機会があらんことを!

(了)