2014年2月14~16日に、アトリエみるめで上演された、大岡淳演出によるSPAC公演、ハプニング劇『此処か彼方処か、はたまた何処か?』への劇評を、実際に観劇された方々から寄せてもらいました。第3回は、イラストレーター、エッセイストとしておなじみの、南伸坊さんです。上杉清文さんとの交流を中心に、語っていただきました。愉快なエピソードが満載です。
■依頼劇評■
あの上杉君
南伸坊
『此処か彼方処か、はたまた何処か?』は、伝説の舞台だった。私はその伝説を、若い頃、あの石子順造さんからお聞きしたのだ。
上杉さんとは、私の高校時代の同級生、秋山道男が引き合わせてくれた。澁澤龍彦とバルテュスの話が出て、趣味が似ていると気が合ってしまった。
そんなことで知り合ったばかりの上杉さんのことをある時私が話しているのを横から聞きつけて、
「その上杉って、あの上杉君のこと?」
と石子さんに訊かれたことで、その上杉がタイヘンな人だったというのが分ったのだった。それから、私は上杉さんとつきあい方を変えなきゃいけないかなと思ったのだが、すでに会うといきなり下らない冗談を言い合う関係になってしまっていて、結局今にいたるまで、つきあい方は変わっていない。
一緒にくだらないこと、バカバカしいことを沢山やってきたが、私はほんとうに上杉さんに影響されてるなァ、といつもつくづく思うのである。「みづゑ」っていう美術雑誌で、のちに『モンガイカンの美術館』としてまとまることになった連載をしていた頃も、富士の上杉さんのところへしばしば長電話をして、ダダの奇人たちの話を聞いたり、現代美術のむずかしくしたつもりの理屈の拙いのを笑いとばしたりするのを、聞いているうち、まるで自分が考えたことのようにそのまま書いてしまったりした。
上杉さんは当時から、現代思想や哲学、文学について、沢山の本を読んでいて、今、どんなことが論壇や文壇でテーマになっているのか、冗談の合い間に教えてくれるのだ。
舞踏家のビショップ山田さんが、上杉さんのところに遊びに来て「いま、何がきてる」のか? と質問したらしい。
暗黒舞踏の公演のパンフレットに、何かむずかしそうで、読んだら客が恐れ入ってしまうようなフレーズをさがしてるのだった。本棚にぶ厚い「ガストン・バシュラール」の本を見つけて、これだとばかりに取り出していきなりガバッとページを開く、開いたところの一行を一分かけて暗誦して「よし! これでバシュラールはやった!」
と言って帰った。と上杉さんが笑ってるのを聞いて、私もつきあいに笑ったけれども、本当は、「山田さんと自分はまったく同じだなあ」と思っていたのだ。
「夜中の間違い電話は都市のコミュニケーションだ」と、ラジオで寺山修司が喋ってるのを聞きつけて、夜中に寺山修司に電話をした話も大好きだ。
「キミいま何時だと思ってるんだ」と電話に出た寺山修司がものすごくフツーなことを言ったといって「えらいよね」といったので大いに笑った。やっぱり常識ないと……というのだが、私は寺山修司をハナから呑んでかかってる友人がとてもたのもしかった。
当時、私は唐十郎のほうが寺山修司より、ずっとずっとエライ! と思っていたのだが(その唐十郎が実は寺山修司をとても尊敬していたというのを聞いてショックだったが)それより、もっとビックリしたのが、その唐さんが、上杉さんのことを「自分より演劇人としてずっと先輩なんだ」と言ったことだった。そして、そうとは言わなかったけれども、紅テントの芝居で、ラストにテントを開け放って舞台を現実空間にひろげてしまうあの演出を、何度もつかっているのは、あの伝説の舞台の影響だったんだな。と私はひそかに納得したのだった。
劇団の研究生がつくった芝居が、それだけ大きな影響力を持った。あの頃はそういう時代だったのだ。漫画雑誌『ガロ』で、佐々木マキが、ストーリイもセリフもない前衛漫画を描いていた頃、コマの中には同時代のビートルズや歌謡曲が流れていた。
佐々木マキと上杉清文、キャラクターもやってることも、全然かさなるところはないのだが、どこか共通するセンスがあるような気が私はしている。
最近、マキさんの自伝的エッセイの本の装丁をする機会があって、その文章を読んでいるうち村上春樹が佐々木マキを評していった「天才少年」という呼び方にとても納得したのだ。
上杉さんの、昔の写真、私が出会う以前のおそらく『此処か彼方処か~』の頃のスナップを見たことがある。ものすごくシャープで、キリリとした青年僧といった顔だった。
その舞台が作られた時には影も形もなかったような若者たちが、四十年前の芝居をイキイキ演じているのを見ながら、私は不思議な気分でいた。
昔新しかったもの、っていうのは、たいがいがムチャクチャに古くさいものになっているものだ。昔流行した写真、昔流行したファッション、昔流行したデザインが、どれだけ古くさくなるか、それはわざわざ例をあげなくてもわかるだろう。
不思議だ。と書いていて、いまアッと思い出した。上杉さんは、新しい才能として、マスコミでもてはやされだした頃、いきなり、どうしてなんだかヨーロッパへと長い物見遊山に出かけてしまったらしい。そうしてあちらで日本からきた変わった若者として、遊び呆けていたらしい。石子順造さんが、ちょっと残念そうに、そんなことを言っていた。
つまり上杉さんのお芝居は、当時、大流行したわけじゃないのである。だが、様々な先輩たちの頭の中に、とても強烈なショックを残した。まるでバルテュスのデビューみたいに。
若者にそういう力があった。それが発揮できた時代、というのがつまり面白い時代なのだった。
【プロフィール】
南 伸坊 MINAMI Shinbo
1947年東京生まれ。美学校・赤瀬川原平教場に学び、のち青林堂『ガロ』編集長を経てイラストレーター、エッセイスト。
主な著書:『モンガイカンの美術館』(朝日文庫)、『顔』(ちくま文庫)、『ハリガミ考現学』(ちくま文庫)、『仙人の壺』(新潮文庫)、『李白の月』(ちくま文庫)、『歴史上の本人』(朝日文庫)、『黄昏』(新潮文庫)、『本人伝説』(文春文庫)など。