2014年2月14~16日に、アトリエみるめで上演された、大岡淳演出によるSPAC公演、ハプニング劇『此処か彼方処か、はたまた何処か?』への劇評を、実際に観劇された方々から寄せてもらいました。第2回は、『此処か彼方処か、はたまた何処か?』の作者・上杉清文さんと共に、劇団「天象儀館」のメンバーとして活動されていた、クリエイティブディレクターの秋山道男さんです。上杉戯曲への熱い思いを中心に、語っていただきました。
■依頼劇評■
赤飯を炊きたいくらいの精神の運動
――― 上杉清文Works連続上演へ急げッ!
秋山道男
僕も『此処か彼方処か、はたまた何処か?』は、観たことなかったんですよ。噂だけは聞いていて。それでまず嬉しかったのは、上杉清文という人にお声掛けがあったってことなんですね。というのも、僕たちは天才・上杉の作品が、なぜ評論家とかメディアとかの俎上に乗らないんだろうっていう疑問をずっと持っていたんですね。だから、大岡さんたちが『此処か~』に眼差しを送って、瑞々しい役者の連中がああいうふうに充実した時間を作ってくれたことが嬉しくて。そして『此処か~』という処女作の後には、上杉Worksと僕が勝手に呼ばせてもらっている作品群が、ずっずっと続いていく。時期的にも意味的にも、導火線に火がついたという感じがするんですね、いよいよ。導火線の先には爆弾があるわけですが、その爆弾がまるで団子屋の店先のようにゴロゴロ並んでるんです。そのお団子にもし大岡さんたちが興味があるなら、まずその上杉作品を年代順でも何順でもいいから、読んでほしいんですよ。
僕も含めて、上杉さんの友人たちは、芝居が好きってことはほとんどない連中なんでね、芝居全体のことは言えませんが、上杉作品はある時期から順を追って見せてもらってるんですけれど、よその芝居をたまに観るとね、なんか面白くないんですね。なんでこう面白くないのか、じゃあなんで上杉作品は面白いのかっていうことに当然なるんですけれども。で、僕が思うには、『此処か~』もそうなんですけど、おそらく僕たちの中に眠っていたであろう感覚や感情を目覚めさせて、とてつもない知性と感受性がつかさどる精神の運動会のごときものを体感させてくれるんですね、上杉Worksは。理解することよりも、それがとても重要なことだと思うんです。まさかこんなところにツボがあるのかっていうところを押さえられたような、えも言われぬおかしみとか、感動とか、くすぐったい気持ちとか、ポカンとしてしまうヌケ感とか。あまりの飛躍の、ジャンプ力の凄さに唖然とするとかね。それで二時間なら二時間という時間が、時には瞬きももったいないくらいになることがあるんです。だから、旨いものを見つけると人にも勧めたくなるような気持ちがあって、僕は評論家にしろ、普通のお客様にしろ、なぜ上杉作品を観ないのか、って思っちゃうんですよね。
天象儀館仕様の上杉Worksは、大岡さんたちに、とても向いていると思うんです。『紅はこべの傳説』、『食卓の騎士』、『思國貴種流離譚』、『笑い猫』など、何本かあるんですけど。それらはとても向いてる。なぜかというと、発見の会では、平均年齢が高すぎちゃうんですね、俳優さんたち。もちろん、先輩たちが出す滋味旨味はたっぷりあるんだけども、天象儀館に書いたものはやっぱり瑞々しい。あなたたちのユニットも、瑞々しさに特徴がある。その証拠に、先日一緒に観た、アングラ系では人気のある、金子清文という役者が、ああいうお芝居をする人達は東京にはいないという、爽やかな衝撃を受けてるわけですね。上杉Worksには本来的に瑞々しさがあると思うし、それから、一つの木に柿がなったり、ブドウがなったり、梨がなったり、スターフルーツがなったりする、重層的な、ミルフィーユのようなダイナミズムというか。そういうものを、若い人がやるのと若くない人たちがやるのとでは、観客側から観るとずいぶん違うんですよ。
コクや厚みのあるものを若い人たちがやると、その厚みに潜む普遍的な瑞々しさを感じさせてくれて、それはなかなか貴重なものになる。身体にバネを持っているような、目の輝きとか体のこなしとか、声の温かみとか、この間出演していた人たちは、とても東京では観られない瑞々しさがありましたね。だから、天象儀館やヤングアングラ=ヤングラ劇団への上杉Worksはジャストフィット、役柄とか年齢的にも良いと思う、是非読んでください。
それと音楽ね。この間のこのお芝居からも感じたのは、もちろん全体はビートルズから始まったところがあるかもしれないけども、上杉という人の、音楽に対する信頼・親愛・探究心。彼の芝居は、音楽がすごくいいんです。劇中で歌われる歌とか、テーマ曲、エンディング曲、劇中の音楽。それが劇場で聴こえて来ると、体の奥の感覚や感情がザワッーとうごめく。命がけの飛躍というか、デタラメに見えたり難解に見えたりする、色んなやじろべえが、彼の芝居の中には積層する。歴史や事件と夢想奇想、愛と不信、冒険と日和見、変態性と合理性、夢の破れと希望の夢・・・・・・色んなやじろべえがある。そういうつづれ織りの糸の粗いところから聴こえてくる、まるで木漏れ陽が、ワッと広がるような、そういう音楽のあり方。それがものすごくカタルシスになるんですね。
今ちょっと目の具合が悪くなっちゃってお仕事があまり出来なくなっちゃってますけど、杉田一夫さんという、上杉さんとずっとコンビを組んでいる方が、曲。清文が詞、という楽曲がたくさんあるんですね。その曲たちがもう、恋しくて。で、去年の五月に、ついその曲たちへの恋慕絶頂となりまして、その為の楽器を僕は発注しました、弾きながら歌いたくて。それくらい気持ちにも体にもナイスな音楽があるわけ。皆、知らないでしょう? だからもったいなくてしょうがないの。
そういえば、ちょうどこのお芝居のとき、前日、前々日と東京はすごい雪だった。それで静岡に着いたらさ、全然関係ないのね、雪。それで思ったんですよ。そうか、こういう穏やかな、雪も降らないようなところで上杉清文は生まれて、それとは逆の、雪も降れば槍も降る、魑魅魍魎もいる東京と行ったり来たりしていて、それこそやじろべえですよね。
彼は富士の本國寺というお寺のお坊さんですから、当たり前ですけど、死というものが彼の生活の中に歴然と、というか、普通にあるんですよね。ところが静岡県は、一方、みかんだとか、白菜だとか、穏やかな気候が産む畑や海の産物――今流にエコ的に言うと、まさに命ですかね――がある。死があって、命があって、そのやじろべえも彼にとっては、感受性の育みに大きく影響したのかもしれないなと勝手に思ったりね。彼のお寺見ていても、お庭に金柑が成ったり、野蛭が出たり、猫がケンカしたり欠伸したりしていて、小さきものの命の営みがある。そういう環境で、知心身が育まれたんじゃないかと思うんですね。
だからか、彼のお芝居の中には、独特の光明のごとき明るさがある。
悲しみとか怒り、深刻なものとかに、頼っていかない。そういう上品さがある。そして、この上ないのは冗談ですね。彼の冗談は破格なもの。例えば、こういうことがあります。昔KANっていう人の「愛は勝つ」っていう歌が流行ったじゃないですか。今も、何だかんだあっても最後には、愛は勝つんだっていう表現がけっこうたくさんあるわけでしょう。でもそれは、上杉清文って人は絶対にやらないんですよ。だって彼が言うには、「愛は勝つこともあるけど、負けることもある」(笑)。それが彼の口から出ると冗談に聞こえるわけだけれども、これは猛烈な真実ですね。つまり彼の冗談は、破壊的というよりも、むしろ建設的に真実を突く。シャイさを含めた品性&想像性リッチで、ディープかつジューシーな眼差しが、その真実に近寄って、冗談になってしまうところが、ある意味可愛いわけですね。アングラを観ていて可愛いって思わせる感覚はね、大したものだと思う。うん。
メンタルヘルスですね。メンタルが非常にヘルスな人。メンタルヘルスとアンダーグラウンドが一緒になっているということが、上杉清文の天才たる所以だと思うんだけどね(笑)。
もし彼が「負ける」ということがあるとすれば、「ええい、負けた負けた負けた〜い!」って感じだと思うんですよね。昔彼が言っていましたけれども、楽観的敗北主義ですね。常に楽観がある。もしくは違う言い方をすると、もしこの世界が完璧ならば、そこでマイナスで負けるということはあるのかもしれない。でもこのように完璧じゃない世界の中で、勝つとか負けるとかあるわけ?ってことだと思うんですね。なのに、皆この世界が完璧だと思い込んで、そこから引き算して「ああ、俺は私はマイナス度高い」とか思って、だいたいネガティブに考えていく。そうすると、何か分かったような気になったりしてね。そういう発想じゃなくて、なんたってメンタルヘルス、上杉さんは非常に健やかな世界観を持っている。その健やかな世界観が、大岡さんたちのユニットの瑞々しさに繋がっていくんだと思うのね。
僕はいつも思うけど、商売としての芸能であろうが、芸術としての芸能であろうが、人前で何かをやるときに、もしくは別に何もやらなくてもいいんで、ある人間が生きているというときに、バケツの水をバシャッと引っ掛けたら、それをぷるぷるっと跳ね返す力があるのか、それとももう水に負けちゃうのか、だいたいこの二つに別れてしまうんじゃないかと。愛は勝つこともあれば負けることだってあるわけだからね。様々な理由によって、負けてしまうことが多いけど。でもこの間の舞台を拝見した限りでは、久方ぶりにバケツの水を跳ね返す奴らがいるなあと、すげえチョベリグだった。
なんというか、出会いだと思う、上杉さんと皆さんとの。2014年の3.11を前にしてね。出会いほど確率の低いものはないからね、この世では。
そういうわけで、上杉清文Worksはいっぱいあります。ともかく面白いから、急いでやってもらいたいなあと思います。(談)
【プロフィール】
秋山道男 Akiyama Michio
プロデューサー&クリエイティブディレクター
10代後半から20代前半、若松プロダクション等にて各種アングラWorks。30代前半より、スコブルコンプレックス會社主宰。都市計画・空間・商品・広告・編集・芸能・芸術・食・身体・ファッション・生活など多ジャンルの企画開発制作業務を「魅力づくり」として遂行。無印良品、チェッカーズ、小泉今日子、内田也哉子、資生堂、六本木ヒルズなどを魅力化。グッドデザイン賞コミュニケーションデザイン特別賞受賞ほか。