劇評講座

2014年5月19日

■依頼劇評■『ジャン×Keitaの隊長退屈男』批評 井出聖喜さん

■卒業生 依頼劇評■

『ジャン×Keitaの隊長退屈男』批評

井出聖喜

舞台
 一間(180cm)四方、高さ一尺五寸(45cm)ほどの台が中央に置かれ、その縁から更に一間辺りにまで四方から客席の雛壇が迫っている。
 台は朽ちかけ、側面の所々に穴が開き、色褪せた紅白幕がかすかに見て取れる。また、台の四隅には細身の柱が立ち、そのうちの一つの中央部には旧式の電話機が取り付けられ、さらにその最上部には三方に向かって据え付けられたスピーカーが望まれる。そのスピーカーの下部からは、三方に渡されたロープにほどよい間隔でナツメ型の提灯が据え付けられている。この台は盆踊りの櫓なのであろう。しかし、それにしては提灯が白と黒の二色柄で祝祭的な気分に水を差しているようである。
 舞台の進行と共に明らかになるのだが、この台は確かに盆踊りの櫓でもあるのだが、主人公磐谷和泉隊長とその部下が立て籠もる塹壕でもあるのだ。おそらく隊長は(そして彼に率いられた部下たちも)ここで戦死したのだ。
 そう考えれば、この台は人間の生が最も輝かしく沸き立つ祭りの時と、人間としての一切の尊厳を剥ぎ取られ、無為の内に朽ちていかねばならない死の時と、その両者がめまぐるしく往還する「虚」の空間であるのだろう。
 そうして、生の昂揚感がそのまま死の無惨を呼び起こし、死の恐怖が生の世界への限りない憧憬をかきたてる二律背反的な世界の切り取り方は、磐谷和泉という人物の卑小さと崇高さ、激情と静謐、男性的気質と女性的気質、更には軍歌『露営の歌』と渡辺はま子の『忘れちゃいやヨ』や美輪明宏の歌うシャンソンなど、様々に変奏されていくこととなる。

三島景太と磐谷和泉 
 開演。三島景太がカッカッと靴音を響かせて客席の間から登場する。陸軍の軍服を身に着けている。台の前で一礼すると、さっと壇上に駆け上がる。「こんにちは。今日はどちらから。……えっ、そんな遠くから……ありがとうございます。」──にこやかに客席に語りかける。決しておざなりにではなく、四方の客の一人ずつに丁寧に。
 これは、観客を日常の世界から舞台の時空間にいざなうための儀式だろうか。小劇場の舞台では時折こうした導入方法を用いることがある。
 しかし、この舞台に関する限り、事はそう単純でないことが次第に分かってくる。「彼」はその後も何度か人々に近寄って手拍子を求めたり握手をしたり、踊りに誘ったりする。
 さて、その「彼」とは俳優三島景太のことなのだろうか。それとも三島景太演じるところの磐谷和泉隊長なのだろうか。磐谷和泉隊長は、おそらく職業軍人で戦いの中にこそ自らの存在理由を見出すような人物だが、戦場に向かう前は祭りとなると大張り切り、櫓の上に登って陽気に歌い踊り、その度に見物客に「さあ、いっしょに歌おう、踊ろう。」と呼びかけずにはいられなかった好人物だとも想像できるではないか。
 虚実皮膜(きょじつひにく)──俳優三島景太は、素の自分と役の虚とをほとんど薄皮一枚で自在に行き来してみせているようにも思われる。それまで実の自分を見せていたのが一瞬にして虚となり、磐谷和泉という虚が実となる、そんなスリリングな瞬間を我々は何度かこの舞台で味わうことになる。そして、そうした「彼」の姿を見ているうちに、それが役者三島景太の素なのか演技なのかはどうでもよくなってくる。磐谷和泉隊長がこの舞台ではほとんど「幽霊」として存在し、この舞台で発せられる磐谷和泉の言葉が「死者の咆哮」だとするなら、俳優三島景太はおそらくその霊を口寄せするイタコとしての役割を担っているのに違いない。そう考えた時、この舞台における俳優三島景太の立ち位置がはっきりと見えてくるし、作・演出のジャン・ランベール=ヴィルドが三島景太に惚れて、彼を主役に据えて自分の舞台を作りたいと考えた理由もわかるような気がする。

「彼」の居る場所
 「彼」は「日本、日本 日出づる国の美しき大地」と大声で叫ぶ。続いて音楽と共に軍歌『露営の歌』を歌い出す。はつらつとした大きな声で。また、ジェスチャーたっぷりに、ダンスのようなステップを踏みながら。客席に手拍子を求める。その様は一種ファナティックな気迫を帯び、ほとんどアジテーションをしているのかと思われるほど狂熱的な歌い振りである。
 また「汽車の窓から手を握り 送ってくれた人よりも……」と『ズンドコ節』を歌い踊る。台を下りて人々の前で。
 ここはもちろん二十一世紀の静岡市日本平中腹の舞台芸術公園内の楕円堂だし、「彼」の歌い踊る様を見ている我々はついさきほどここの椅子に腰を下ろした観客だ。だが、その一方で「彼」の歌に触発された我々の想像力は、そこが二十世紀半ばのアジアのどこかにある日本軍の前線基地であってもおかしくはないと告げてもいる。
 それを実感するのは、「彼」の歌に観客が一様に笑顔を見せ、すっかりくつろいだ瞬間、突如として「静かにしてろ! 馬鹿野郎が!」と、憤怒の形相と共に四囲を圧する声を挙げた時だ。その瞬間、我々は一種目眩を起こしたかのような感覚に駆られ、そこが戦場であったことを得心するのだ。

作・演出家の眼
 劇場で販売されている「劇場文化」所収の「『男の美学』の魅惑と脅威」と題する文章(横山義志訳)で作・演出のジャン・ランベール=ヴィルドは、隊長の名前を「磐谷和泉」としたのも、最初は立派な軍服を身に着けて登場した彼が後半化粧をしたり扇子を持ったりするのも、「暴力性と女性的な部分を二重写しにするため」だと述べている。また「この磐谷和泉隊長は男性的であるのと同じくらい女性的でもあります。荒々しい戦士であるのと同時に狂おしいほどの美学を持っているのです。」とも述べている。
 更には「隊長は戦争狂ですが、何よりも自分を見失った人物です。」とも。これは本作の初演となる4月26日の公演前のプレトークで、本作の翻訳を始め様々な部分で協力をした平野暁人のインタビューに答えて言った彼の「もともとこの作品のフランス・オリジナル版は14年前に作られており、その主人公は自分の先祖ジャン・デペリエをモデルとしている。彼は戦争の中でしか生きられない人だった。」という言葉に対応する。
 しかし、当然のことながら演出家はデペリエにも磐谷和泉にも否定的な感情を持っているのではない。「怪物的存在であり、真摯な、英雄的な生き方をした人である。自分は尊敬している。」とも同インタビューで述べている。
 要するに彼の頭にあるのは<主人公>=<職業軍人>=<敵を、時に自分の部下も、更には自分自身をも死に追いやる冷酷無惨な人物>という単純な図式ではさらさら無く、俗悪さがそのまま崇高さとなり、男性的気質と女性性が同居し、狂熱と静謐とが手を携え、喜劇がそのまま悲劇となる、そうした磁石の両極のような人間の姿に対する全的肯定であり、共感であるのだろう。

観客の眼
 また同じインタビューで演出家は「主人公は普遍的な存在」だとも語っている。「無念の死を遂げた人を放置してはならない。演劇とはそういう“幽霊”と出会う場である。」とも。ということは、本作のオリジナル・フランス版の主人公マリオン・デペリエの幽霊と、そのモデルとなった作者の大叔父であり、第一次世界大戦に参加したジャン・デペリエの幽霊とは、ここ、この舞台において太平洋戦争で散った陸軍中尉(襟章から筆者が類推)磐谷和泉の幽霊と邂逅しているということであるし、我々も血の叫びを挙げながら魂の帰着点を求めてもがいている磐谷和泉の姿に、時代も人種も異なる無数の幽霊を見ることができるし、また見なければならないということだ。

死を購うもの
 劇場でこの舞台の上演台本が販売されている。それを通読した者は驚くに違いない。台本から我々が汲み取る世界と実際の舞台の作り上げる世界とがあまりにも違うからだ。
 台本は、状況や人物の動きを説明するいわゆるト書き的な部分と磐谷和泉の独白部分とで成り立っており、「伍長 あの丘を攻め落としにかかるぞ」とか「死ね! 帰れ! 天皇陛下万歳!」といった激越な言葉もあるが、全編から立ち昇ってくるのは戦場で死を運命付けられた者の苦痛と恐怖の叫び、生への憧憬、そして彼に対する鎮魂の調べだ。
 ところが、実際の舞台では隊長磐谷和泉の身体、動き、表情、語り、そして歌声から発散される過剰なまでの生のエネルギーが強烈な印象を与え、それが苦痛や恐怖、鎮魂といった死の領域と拮抗し、時にそれらを凌駕してさえいる。
 いや、むしろこう考えた方がいい。平凡な物言いではあるが、戦争のもたらす死の恐怖、惨めさ、絶望が、底抜けに明るい歌声と祭りのさざめきとによって購われ得るのだとしたら、それが人間にとって恩寵でなくて何であろうか、と。
 「蓄音機から流れ出すズンドコ節」とたった一行のト書きで済まされる台本を裏切って「彼」が数分間にわたって我々をも巻き込んで踊り興じていたからこそ、何度となく繰り返される「人生ってやつは素晴らしい」という磐谷和泉の言葉がしみじみと我々に感じられるのである。

磐谷和泉の生と死
 死者が雄弁であるというのは我々が日頃実感していることだ。死者は死ぬことによって沈黙するのではなく、むしろ死んだ後、執拗に我々に語り始めてくるものだ。「俺の声が俺を離れて 牙を研ぐ 怒りを研ぎ澄ます 怒りを怒りで研ぎ澄ます」(上演台本)のだ。
 ところで、この死者、磐谷和泉は「わたしの使命は 犠牲を奨励し 戦争に口づけし 軍服を抱きしめて 軍旗に孕ませること この身は祖国のために」、「貴様ら頬が真赤だぞ 小娘みたいじゃないか」、「伍長 全員 ゲートルをきつく巻きなおせ 痛いの 痒いの 一切の泣き言は許さん」などと激越な言葉で部下や自分自身を鼓舞するが、いよいよ死に絡め取られる時には「俺は遠からず ただの名前に過ぎなくなる どこの誰とも知られぬ名前に」、「あんまりだ 裸の男の死骸だなんて 助けてくれ なにかかけてくれないと 毛布を 誰か毛布をくれ!」、「お国も 陛下も 神罰も 靖国も みじめだ みじめでたまらない かあちゃん」と弱音をもらす。
 我々はこの中尉を嘲笑することができない。死に向かう人間が、彼を装っている文化だとかしきたりだとかの衣服を脱いで、死を恐怖する一個の裸の生き物になったとして、誰がそれを嘲笑い、非難することができるだろう。
 「裸」と言えば、軍服で登場した磐谷和泉は途中から上着を脱ぎ、シャツとズボンを取り、褌一つになる。そしてその後赤いロング・ドレスを着る。これは前掲「演出家の眼」の項に引用した通り「暴力性と女性的な部分を二重写しにする」という演出家の意図によるものだろう。
 しかし、なぜ彼は裸になったのか。褌一つになった彼は周囲を酒で清め、正座をして眼を洗い、水杯を飲み干す。そこに「通りゃんせ」の音楽が流れる。「通りゃんせ通りゃんせ……行きはよいよい帰りは怖い……」──その暗示性。そうして、彼、磐谷和泉は「己の頭に鉛玉を撃ち込んだ」のだ。
 磐谷和泉は今正に死なんとするその時にその磐(いわお)のような男性性を葬り去り、自分を素っ裸にすることでこんこんと湧き出る泉さながらに、命を生み出し育む女性性を素直に露わにすることができたのではないか。言い換えれば、磐谷和泉は裸になることによって男である自分を殺し、女として「蘇る」ことになったのだ。
 「鉛玉を撃ち込んだ」後も磐谷和泉は前述のごとく赤いドレスを身に纏い、舞台上で生き続けているが、それは死にゆく者の魂が咆哮し、また彷徨している姿のように、私には思われてならない。正に磐谷和泉は“幽霊”として、肉体が生きている時には語りきれなかった思い──怒りを、呪詛を、哀しみを、祈りを──吐き続け、魂の還りゆく場所を探し求めているような気がしてならないのだ。渡辺はま子の『忘れちゃいやヨ』が流れてくる。「忘れちゃいやヨ 忘れないでネ」と彼女の歌声が耳に届く時、我々はそこに我々生きている者たちに向けられた死者の怨嗟や哀訴をかすかに聞いたのではなかっただろうか。
 磐谷和泉は最後に「俺の戦いは終わったんだ おまえに還るとしよう」と言って地の底から噴出する煙に包まれる。「おまえ」とは「砂の中から姿を現した蜥蜴」を指すが、自然それ自体と考えていいだろう。日本式に言えば成仏、キリスト教的に言えば昇天したということになるのか。
 台本の最後の一文にはこう記されている。我々観客の知り得なかった、しかし言われてみれば誰もが納得する一文である。
 そして戦いは続いてゆく……

三島景太・讃
 隊長磐谷和泉の肉体は、軍人に相応しく鍛えられてはいるが、ギリシャ彫刻の男性像やかつてのハリウッド・コスチューム・プレイに出てくるローマ戦士のような完璧な美を誇るそれではない。そこには米の飯を食べ続けてきた日本の男たちの野卑が付着している。その肉体が『ズンドコ節』を陽気に歌い、そこに「掘ってェ、掘ってェ、また掘って」と威勢良く炭坑節のかけ声がかかれば、これはもう押しも押されもせぬ滑稽で哀しい日本男児ということになる。そして、彼の滑稽さや卑小さが我々自身の血肉ともなっていることを思えばこそ、彼の真率なる心の叫びと偉大さはひりひりと我々の心を打つことになる。だからこそ、我々はこの磐谷和泉を愛することができるのだ。マリオン・デペリエもジャン・デペリエも、我々の前に現れればたぶん愛することができると思うが、それでもやはり磐谷和泉の方を愛するだろう。このことをもって我々を偏狭なナショナリストだと非難してはならない。これは俳優三島景太の手柄なのである。