本作「マネキンに恋して」を観劇した5月4日の静岡市内は昼間でも風が吹くとまだ肌寒かった。横浜でも有数の繁華街である野毛在住の私は、前日、野毛の町の匂いが染み付いた冬物の衣類をしまい春夏物に入れ替えたので、当日着ていた服は上下ともに七分丈である。横浜を出たときの気候ではちょうどよい服装のはずであったが、静岡芸術劇場に着き、外に出てみると少し寒い。開場まで時間があったので、劇場前にあるセブンイレブンで「揚げ鳥」を買って車に戻った。車の中が醤油と油の匂いで満たされていった。
本作、「マネキンに恋して」のマネキン達が着ている服、マネキンにはどんな匂いが染み付いていたのだろう。ディスプレイしたての頃はまだ特定の匂いは付いていない。しかし、次第に様々な匂いを内包する。マネキンの服を試着したがる客も居るだろう、そして試着した女性の匂いがうつるはずだ。テナントとして入居している建物が長年に渡って吸収してきた匂いもゆるやかにうつっていく。主人公の彼は何度もマネキンを抱えて運んでいたから、彼の匂いもうつっているだろう。そして、ジーンズをはいた女性の匂いも。服にうつった匂いは服にうつったスピードよりもゆっくりと、しかし確実にマネキンそのものにもうつっていく。
男女の営みはどうだろう。その人とする初めてのキスは何故だろう、自分ではない匂いを感じる。何度か重ねていくうちに、キスの際の匂いへの違和感がなくなる。それは口臭についての話ではない。自分以外のものが発する匂いへの違和感とその後の順応だ。その後の行為についても同じことが言えるだろう。生あるもの同士でしか体液交換はおこなえず、必ず匂いがつきまとうのだ。それに嫌悪を覚える二人は次第に離れていく。嫌悪しない二人は、ともに生活し二人の匂いで空間を埋めていく。
そう考えると、主人公の彼は匂いを発する異性に対して疲弊していたのではないか、と思う。そこから逃げるように、自身の周りにありともに時間を過ごすことによって自分に近しい匂いを発する無数のマネキンに恋をしていったのだ。その匂いに支配された空間で生きる彼は、精神世界に閉じこもるようになる。そして、精神世界が加速度的に強化される。強化されればされるほど、自分の匂いをまとうマネキン達は彼のもとへ引き寄せられる。他者性を排した自我はそれ以外を求めることが出来ず、さらに自我が強化されるのだ。次第に、マネキン達は自ら彼の空間へ意思をもって移動するようになる。自身と一体であったはずのマネキンが暴走し始めたのである。恐れを感じた彼は必死に暴走し始めたマネキン達を元の場所へ戻そうとする。しかし、既に没入し自身のコントロールが効かなくなった精神世界から簡単に抜け出すことは出来ず、彼はその世界に飲み込まれていく。それに対して彼が取った行動は、自らの匂いが染み付いた服を脱ぎ、そしてマネキンが履いていたハイヒールを履き自らの足で歩き出すことであった。
そのシーンは、自らの世界に固執していた少年が閉ざされた空間で生きることを観念しながらも、過去の全ては捨てず、そこで得たものに依拠し、外の世界との折り合いをつけるために一歩踏み出そうとしているように見えた。
外の世界へ踏み出した彼は、ジーンズの彼女の匂いも受け入れることが出来るだろう。そして、彼女と共につくり出した匂いで生活空間を満たすことによって、精神世界へトリップすることもなくなるはずだ。今後、匂いを発しない存在が現れたとしても。